ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”必要性から好ましさのレベルに移れば、あなたは自分の経験に比類ない力をふるえるようになる”

1週間ほどブログの更新が出来ませんでした。

今回は、「死とは何か」シリーズはお休みして、何があったのかを赤裸々にお伝えいたします。

 

先週の木曜日夜から始まった、左股関節、左ひざ、左太もも周辺の激しい痛み。

最初は、軽い腰痛だったのが股関節に、そしてそれが膝に移行して、一晩中痛くて眠れず。

膝周辺が、成長痛のような妙な痛だるさで、どんな体制をとっても楽にならないのです。

たまらず翌日整形外科へ行きましたが(もともと、20歳のとき謎の腰痛で入院して以来、整形外科は信用していないのですが、痛み止めの注射をぶち込んででもなんでもいいから、とにかく何とかしてほしかった笑い泣きあせるあせる)レントゲンで何も異常が発見されなかったことから、

「何の異常もない、じょ~と~さ~、すぐ治るよ」と医師に言われましたチューむかっ

そこで、家から持参した湿布を見せて「これを貼っても痛み止めの薬を飲んでも効かないので、注射か何かでこの痛みを取ってほしい」と訴えたのですが、

「この湿布はいちばんよく効く湿布だよ~これがあるなら大丈夫、湿布も出さなくていいね」

と、私の願いも一蹴されてしまい、結局また一晩、一睡もできずに夜を明かす羽目になりました。

翌日、ネットで探した整体で運よく予約が取れ、じっくり施術してもらいましたが、相当重症だったようで、施術1回での完治は厳しいとのこと。それならばと長期間通院することに決め、ちょっと楽になった左下半身でルンルンと家路についた私を待っていたのは・・・・。

今までに体験したことのない、痛み地獄だったのですゲッソリ!!

 

「これ以上(施術を)やると好転反応がひどくなってしまうので、この辺でやめておきますね」と言われていたので、だるい程度の好転反応は覚悟していましたが、もう、これはだるいなんてもんじゃありません。

マッサージとかで、痛みのツボをぐっと押されると飛び上がるほど痛いじゃないですか、あれが左側の股関節から膝までの一帯に次々と発症し、一瞬消え、また発症し、消え、これが延々と繰り返されて、私は半泣き状態で「痛い痛い、神様助けて~!!!」ともだえ苦しみました。

どうやら、施術によって私の詰まっていた何か(神経?血管?エネルギー?チャクラ?)が正常化したために、より神経が過敏に働き、痛みがパワーアップしてしまったようなのです。

幸い、たまたま選んだ整体の先生がとってもいい方で、時間外でも相談に乗ってくださって、痛みを減らすための策をいろいろと教えて下さったり、急きょ臨時的に次の施術の予約を入れて下さったり、おかげで、なんとか最悪の痛みの峠は越すことができたものの、1週間たった今も、左足全体がびりびりとし、痛みが時折現れては消え…をくり返しています。

 

あえて病名をつけるとしたら、どうやら「筋筋膜性疼痛症候群」という病気らしく、身体に負荷をかけたことが原因で、筋膜が固くコリかたまり、その周辺のみならず、関連する神経までもが痛みを発症してしまう・・・という、あまり一般の整形外科では周知されていない病気のようです。私の場合は、内臓の筋膜まで固くなっていて、これは私のように喘息が持病だったりするとよくあることのよう。(一般的には過去のケガ、骨折、内臓の不調等いろいろ要因あり)整体の先生によれば、(私の場合は)この病気だけでは説明できない部分もあるとの事なのですが、とにかく、昔から虚弱気味で、体質改善を一生懸命やってきた私でも、自分だけの力ではどうにもならない「筋膜のコリかたまり」に、今後対処していかねばならない事態となりました。

 

今回、この「激しい痛み」の渦中にあっては、コロナも、ワクチンも、アセンションも、スピリチュアルも、光も闇も、正しいも間違ってるも、もう何もかもが

「そんなこと今どうでもいい!この痛いの、なんとかして!!!我慢できない!!!」となり、日頃このブログで

「起きることすべて完璧」だの「自分がすべて創造している」だの、「必要性は幻想」だの、そんな文言はみんなぶっ飛んでしまい、いい年こいて、泣きべそをかきながら、「つらいよ~痛いよ~助けて~えーんあせるあせる」とわめいていたのですからもう、なんともはや・・・・。

死ぬことは何とも思っていなくても、痛みや苦しみというのは耐えがたいものです。

神様も、次のように述べています。

 

 

多くの人びとは肉体的な痛みへの対応に困難を感じる。

痛みを感じるとき、「これは幻想だ」と言うべきだといっても、たいていはべつのことを口走るだろう。

実際、多くのひとにとって痛みは──それに痛みの可能性は──死より恐ろしい。

(中略)

痛みからの解放は、必要なのではなく、そのほうが好ましいというだけだ。必要性から好ましさのレベルに移れば、あなたは自分の経験に比類ない力をふるえるようになる。

痛みにさえ力をふるえるようになる。事実上、痛みを無視するのに充分な力、そして多くの場合、ほんとうに痛みをなくす力が生まれる。

サンマーク出版:神とひとつになること」より引用)

神とひとつになること Communion with God

 

マスターへの道を歩いている私に降りかかってきた激しい痛み体験。正直、出産の痛みよりもずっと耐え難くきつい痛みでしたし、この先、いつ元通りになるのかもわかりません。

けれど、痛みが少しおさまった今ならば言えます、

「この出来事も奇跡であり完璧なのだ」と。激痛のさなかにあったときは、痛みからの解放は必要以外の何ものでもなく、とてもじゃないけれど自分の経験に比類ない力をふるえる状況にはありませんでしたが、今くらいの痛みならば、ちょっとは力を発揮できるかもしれません。

あ~でも、あんなに痛いのはやっぱり2度とごめんだなあ~笑い泣き汗

 

今回の発症のきっかけは、夏の間中頑張ってきた草刈り作業の疲れが腰に蓄積したことが原因と思われます。

もっと、自分の体をいたわってあげなくては・・・という反省とともに、今日のブログはおしまいにいたします。

読んで下さった皆様も、ご自愛くださいね。

 

 

世界中の痛みに苦しむ大勢の人達が、どうかどうか、癒されますようにラブラブ

 

 

お読みくださりありがとうございます、

全てに感謝照れドキドキ