ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

「死とは何か⑫」”あなたがたは人生/生命においても死においても、創造行為を続けている”

 

以下、太字サンマーク出版「神へ帰る」より引用

●思い出すこと──その14

 あなたがたは人生/生命においても死においても、創造行為を続けている

●思い出すこと──その15

 進化に終わりとなどというものはない

 

あなたは自分が送り出す振動によって、エネルギーによって、あなたの現実を創造している。

みな、以前に聞いたことがあると言うかもしれない──しかし、あなたはそれを知っているようには行動していない。

 

 

この世でもあの世でも、死や誕生の瞬間においても、私たちは創造行為を延々と続けていて、それは果てしない進化のプロセスなのだ、ということですが、三次元の世にあっては、なかなか自分の振動やらエネルギーが現実を創り出しているのだ、という認識は持ちにくいですよね。

魔法使いのように、「チチンプイプイのプイ!」と杖を振って、パッとご馳走を出す、みたいなわけにはいきませんからチューあせるあせる

でも、少なくともこのブログを読んで下さるような方々は、波動を高めよう、とか、自分の思考・言動によって、ネガティブにしろポジティブにしろ、様々な出来事を引き寄せているのだ、といったスピリチュアル的な思想をお持ちでいらっしゃると思うので、神様の言う、

自分の現実は、自分の振動・エネルギーによって創造されていると、完璧に「知っているように行動」すると、実際どのような人間になるのか、神様に教えていただきましょう。

 

 

第一に、あなたは二度とふたたび、心に否定的な思考をいだきはしないだろう。

第二に、否定的な思考が滑りこんできたら、あなたは即座にそれを心から追い出すだろう。はっきりと意図して、何かほかのことを考えるだろう。要するにそれについての自分の心を変えるだろう。

第三に、「真の自分」を理解しはじめるだけでなく、それを貴び、外に向かって示すだろう。つまり、あなた自身の進化の手段が「知る」ことから「経験する」ことへと移行するだろう。

第四に、ありのままの自分を充分に愛するだろう。

第五に、ほかのすべてのひとについても、ありのままを充分に愛するだろう。

第六に、ありのままの人生/生命を充分に愛するだろう。

第七に、すべてについて、すべてのひとを赦すだろう。

第八に、意図してほかの人間を──感情的にも物理的にも──傷つけることは決してないだろう。(中略)

第九に、二度と、一瞬たりとも誰かの死を嘆くことはないだろう。自分の喪失を嘆くかもしれないが、そのひとの死を嘆くことはないだろう。

第10に、二度と、一瞬たりとも自分自身の死を恐れたり、嘆くことはないだろう。

第11に、すべては振動であると気づくだろう。すべてだ。だから食べるもの、着るもの、見るもの、読むもの、聞くもののすべて、それにもっと重要な自分の考え、語り、することすべての振動に、もっともっと関心を払うだろう。

第12に、自分自身のエネルギーと自分が周辺に創り出している生命のエネルギーの振動が、真のあなたについての最も高い知識や想像しうるかぎりの最も偉大な経験と共振していないと気づいたなら、それを調整するために何でもするだろう。

 

 

──さあ、いかがでしょうか。

自分は、「知っているように行動」できているでしょうか。

私の場合ですと、すべての項目において、数年前に比べたら格段に進歩していると言っていいかと思いますが、まだ完璧にはできていませんねあせるあせる

まあ、これが完璧にこなせていれば、マスターレベルなのかな、とは思いますが、自分が特に未熟な部分については、ちゃんとそれをレッスンするための状況が向こうからやってきてくれます。

 

私事ですが──。

昨夜、痛みにうなされて目が覚めました。

前回のブログでお話ししたように、私は「筋筋膜性疼痛症候群」に近い症状で、もう10日ちかく左側の腰、股関節、太もも、膝の痛みと戦っているのですが、昨日の痛みは、別の痛みでした。火傷の痛みです。

というのは、「筋筋膜性疼痛症候群」の痛みがあまりにもキツすぎて(湿布も痛み止め薬も何も効かない)、民間療法である「ビワの葉こんにゃく療法」を、藁をもすがる思いで何度も何度もやってしまったからなのです。

もちろん、正しくやれば何の問題もない療法なのですが、(ビワの葉の上に熱したコンニャクをタオルに包んで重ね、患部に当てることで、痛み全般に効くとされる)こともあろうに私は、患部が「熱いっ!」と感じるほどに高温であてがい、しかもそれを何度も何度もくり返し行ったうえに、睡眠不足と痛みでもうろうとして、ビワの葉からタオルに包んだコンニャクがはみ出ても放置してしまったのでした。

しばらくは、そんなにひどい火傷を負ったことに気づかなかったのですが(低温火傷はあとから来るようですあせる)ビワの葉コンニャク療法をやめて4~5日もたったころからでしょうか、なんだか皮膚がひどいことになってきて、表面がじくじくと痛みだし、もはや筋膜からくる痛みなのか、火傷の痛みなのか、両方なのか、もー何が何だかわからない痛みが就寝中に襲ってきて、またしても半泣き状態で「痛いよう~えーんあせるあせる」と弱音を吐きまくったのですが・・・。

ふと、前回のブログで紹介した神様の言葉が頭に浮かびました。

 

 

痛みからの解放は、必要なのではなく、そのほうが好ましいというだけだ。必要性から好ましさのレベルに移れば、あなたは自分の経験に比類ない力をふるえるようになる。痛みにさえ力をふるえるようになる。

サンマーク出版:「神とひとつになること」より)

 

 

もしかして、これは比類ない力をふるうチャンスかもしれない・・・・!と意を決し、ぶつぶつと「痛くなくなるよ~大丈夫だよ~ありがとう~ごめんね~」などとつぶやきながら、手で患部をさすり続けていくうちに・・・なんと、あんなにずくずくと激しかった痛みが、スーッと和らいだではありませんか!!!もちろん、完全に火傷が治ったわけでもなんでもありませんが、痛くて寝られない状況からは脱することができたのでした。

この時、私は痛みを消そう消そうと必死の形相で「手当て」したのではなく、

「いざとなったらメドベッド~音譜」などという歌を自作して歌いながら陽気に?行ったことが、功を奏したに違いありません。

 

病気やケガといった症状が早く治るか長引くかは、その人の信念・想念・振動・エネルギーがとても大きく作用すると思います。

「なんで自分はこんなひどい病気になったのだ」などと、鬱々・愚痴々することもできるし、

「この経験から得た気づきで何を創造できるだろうか?症状は辛いけど、心までそれに冒されない様にするにはどうしたらいいだろうか?」と考えることもできるのです。

 

「知っているかのように行動する」ヒントも、ちゃんと神様は教えて下さっています。

 

 

自分が感じることに波長を合わせればいい。

(中略)

要は、どこに集中するかという問題だよ。

ほとんどの人間はほとんどの時間、ほんとうは重要でないことに集中している。だが毎日、ほんの数分でも重要なことに集中してみたら、人生のすべてが変わりうるね。

あなたがたの身体は、感度の高いエネルギー受容器というすばらしい道具なのだ。

信じるかどうかはべつとして、ビュッフェテーブルの料理の15センチくらい上に手をかざせば、さわらなくても、いまそれを食べたほうが良いかどうかはわかるんだよ。クロゼットからその日に着るものを選ぶときや、店で衣類を買うときでも同じことだ。

誰かと一緒にいるときにだって、自分が考えていることではなく、感じていることに耳を傾けてみれば、そのひととのコニュニケーションの質は飛躍的に上昇する──人間関係の質も当然、上がるね。

あなたが混乱してとまどい、宇宙に答えを求めているとき、必死にものごとを把握しようと考えている部分のスイッチを切って、すべての答えにアクセスできると知っている部分のスイッチをオンにすれば──つまり何をすべきかを決めようとするのではなく、どうありたいかを選べば──ジレンマはたちどころに解消し、解決策が魔法のように現れることに気づくだろう。

 

 

まずは、毎日、数分でもいいから重要なこと──自分の振動が、今、どんな状態なのか?軽いのか?重いのか?について、じっくりと向き合い、もし、自分の望む振動ではなかったら、それを即座に変更することを、習慣化することから始めてみませんか?

私も、頑張ります!

 

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ