ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”一体である、ただひとつのわたしたち──在るのはそれだけだ”

スピリチュアルの探求をしていると、必ずめぐりあうフレーズのひとつが

「いま、ここ」だ。

私は、この、「いま、ここ」を生きることが本当に苦手で、

 

①脳内で(いまここ、いまここ、いまここ・・・)と念仏のように唱えてみては、

②10秒もしないうちに、目の前の作業に集中しておらず、思考はあさっての方向へ飛ぶ。(今日の夕飯、何にしようかな・・・。そういえば、昨日作ろうと思ってたカレーをやめたから、カレーにしようか・・・)などと、どうでもいいことを無意識的に考えはじめ、

③「はっ!!いけない、いけない、また思考が過去や未来を彷徨っている!!」となり、

①に戻る、のくり返し。

こんなことを、もう何十年も続けていると、「いま・ここを生きる」なんて、3次元にどっぷりつかった私には無理なんじゃないか?😅と思えてきて、

(まあ肉体を脱ぎ捨てれば、誰だって「いまここ」の境地に至るらしいから別にいいけどさ・・・)と諦めにも似た心境の日々をずっと送ってきた。

 

 

今日、お昼ご飯を作りながら、ぼんやりと考え事をしていた最中のこと。

(いま、ここ、ったって、「いま」ってそう口にした瞬間から過去になっちゃうじゃん。過去と未来はすごく捉えやすいのに、「いま」ってつかみどころがないっちゅーか、掴んで手中に収めようとしたとたんにもう掌にいないのに、それをどう生きればいいっちゅーの・・・)

そう思った瞬間、はたと天啓のように、ある考えが舞い降りた。

 

わたしが、”いま”なんだ

 

そう、私は今までずっと、今子(「いまこ」と命名)のあとをストーカーのように(笑)追いかけ回していた。そして、捕まえた!と思ったとたん、今子はもう背中を見せ、私の数歩前を歩いている。(捕まえられるもんなら捕まえてごらん、ふふふ)と、私をあざ笑うかのように。

ところが、「いま」というのは、なんと、自分自身だったのだ!私が、まごうことなき「いま」そのものであり、今子は私が創りあげた幻想だった。

どんなに「いま、ここ。いま、ここ」と、唱えながら作業したり瞑想したりしても、脳内が過去や未来を彷徨ってしまうのは、自分自身が今なのだ、と全く認識しておらず、今を捕まえようと必死になっていたからなのだ。私が長年追い求めてやまなかったものは、はじめから手中にあった。というか、一瞬たりとも、離れたことがないのに、記憶喪失になっていたがために単に気づかなかっただけなのだ。

「いまを生きる」ことは、難しいことでもなんでもなく、ごくごく当たり前の自然な魂のあり方なのだ、ということに、どういうわけか、昼食の調理中、突然気が付いたのであった。

神との対話」シリーズをボロボロになるまで読み倒し、重要なフレーズはページを開かずとも頭に浮かんでくるほど理屈はインプットされていたのに、「いまここ」に関しては、それは単なる知識でしかなく、喉の奥にひっかかったまま、何年もの時が経過していたが、やっと、やっと、腑に落ちたらしい。

 

(以下太字サンマーク出版神との対話2」より引用

いまという時を浪費しないことだ。人生の神秘を解き明かそうとして、いまという現実をむだにしてはいけない。神秘が隠されているのには、理由がある。それが何かはわからなくてもいいから、神を信頼しなさい。現在という時を、最高の目的のために、ほんとうの自分の創造のために使いなさい。自分とは何者か、何者になりたいのかを決め、全力をつくしてそうなりなさい。

(中略)

誰でも、いま経験しているすべてを創造している。そのことと、経験のすべてを「わたし」が創造しているというのは同じことだ。なぜなら、わたしは「すべての者」であるから。その対照性がわかるかな?究極だとわかるかな?

何もかも、つきつめれば、たったひとつの真実になる。

───一体である、ただひとつのわたしたち───在るのはそれだけだ。

 

 

私は、いまであり、愛であり、すべてであり、神である──自分を信じることは神を信じることであり、神を信じることは自分を信じること。

信じているつもりが、信じきれていなかったんだなあ・・・と気づくに至った、貴重な体験でした。

もう、これからは、今子の背中を必死に追い続けなくてもいいんだ──なんという安堵感か!

要するに「いまここ」というのは、自分の意識そのものであって、いまここ体験を探し求める必要なぞなく、純粋に、ありのままに、自然に、ただ在ればよいだけなのだ。

私は、「いまここ」を生きようとすることで、魂を発見し体感しようと躍起になっていたが、ただただ、「在る」だけでいいのだ、ということが、ようやく呑み込めた気がする。

 

 

かつて在り、いま在り、これから在るものはすべて──すべてだよ──たったいま存在する。だから、すべては・・・・存在する。しかし、そのすべてはつねに変化している。生命はつねに創造が進行するプロセスだからね。だから、ほんとうの意味では、在るものは・・・・存在しない。

存在は決して同じではない。つまり、存在するものは存在しない。

(中略)

わたしはつねに、ときの終わりまで、あなたがたとともにいる。あなたがたとわたしの合一は完成されている。これまでも、いまも、そしてこれからいつまでも。

あなたとわたしは、ひとつだ。いまも、そして永遠に。

さあ、行きなさい。そしてあなたの人生で真実を語りなさい。

毎日を、毎夜を、あなたのなかの最高の考えの反映にしなさい。あなたの、いまという一瞬一瞬を、あなたを通して神が現れるというすばらしい歓喜で満たしなさい。人生でいきあうひとたちへの永遠の、無条件の愛の表現を通して、闇を呪わず、闇を照らす光になりなさい。

光の使者になりなさい。

あなたは光の使者だ。

だから、光の使者になりなさい。

 

お読みくださりありがとうございます☺️✨。

すべてに感謝💖