以下、太字・青字:サンマーク出版「神へ帰る」より引用
●思い出すこと──17
死んだら、あなたがたは愛するひとすべてに迎えられるだろう。
あなたより前に死んだひとと、あなたより後に死ぬひとたちに。
あなたが物理的な世界への愛着を捨てたとき、そのひとたちの魂があなたを慰めて、霊的な領域へと優しく導いてくれる。あなたは決して、絶対に、孤独ではないし、いまもいままでも、決して孤独ではない。
(中略)
あなたは個人ではなく、「すべて」の個別化なのだから。
あなたは「生きとし生けるものすべて」の一部であり、あなたの経験に、生きとし生けるものであるわたしたちすべてが投資しているのだから。
あなたの祖先があなたとともに歩む。あなたの子孫があなたの傍らに立ち、彼らのためのあなたの決定を見守る。わたしたちすべてがいつもあなたとともにいて、あなたはわたしたちとともにいる。
わたしたちがいることを「知る」には、信じさえすればいい。
ここで、びっくり仰天なのが、
自分が先に死んだはずなのに、まだ生きているはずの愛するひとが、あの世で自分を出迎えてくれる!というくだりです。
「時間」という縛りのなかで、限られた見方しかできない、三次元の世に住む私たちにとっては、ありえない!としか思えない事実です。
いまあなたが愛しているひとたちが死ぬのは何年も先かもしれないが、その年月は「無時間」の場では、一瞬よりさらに短く圧縮される。あなたが壁画から遠ざかって全体像を見渡せば、「あっという間もなく」「あの世」で彼らと再会する経験ができるだろう。
だからあなたが境界を越えたとき、「あの世」で愛するひとたちが──愛するひとたちのすべてが──そこにいると信じれば、どうかいてくれるようにと願えば、みんながそばにいることに気づくだろう、と言ったのだ。信念が視点を創造し、希望が最悪の創造からあなたを遠ざけ、もっと大きな図を見られるようにしてくれる。
私たちは、ふだん、巨大な壁画から10センチくらい離れたところに立ち、20センチ四方くらいの、壁画のほんの一部分のみに集中しています。目の前の「ちいさな絵」が、じつは巨大な壁画の小さな小さな一部分なのだ、ということにまったく気づいていません。
けれど、後ろに何メートルも下がって「絵」を見たとしましょう。さっきまではまったく見えてこなかった壁画の全体像が見えてきます。最初から、壁画はここに存在していたのに、その一部しか目に入っていなかったので、じつは、こんなにすばらしい、完璧としか言いようのない壁画だったとは、「知らなかった」だけなのです。なので、全体像が分かれば、その絵のどの部分を見たいか、という選択ができます。
「生き別れたばかりの最愛のひとと、あの世で何年も待つことなく、すぐ再会できる」という信念を抱いてさえいれば、
信念が視点を創造し、希望が最悪の創造からあなたを遠ざけ、もっと大きな図を見られるようにしてくれる
のです。
なんだか、「死」についての謎を知れば知るほど、死んであの世に行ってからは、なんだかすごく楽しそうなのに、
三次元の世で生きることは苦行でしかないような気がしてきます。
でも、それは、私たちがまだ、本当に思い出していないから、なのです。
わたしはつねに、あなたとともにいる──つねに。
あなたの愛するひとたちが、つねにあなたとともにいるように。
彼らはいまもあなたのそばにいる。
物理的なかたちをもっている者もいれば、霊的な導き手や天使もいる。
だが、ほんとうはみな天使だ。あなたが対立相手だと思っているひと、敵だと想像しているひとたちでさえそうなのだよ。
すべて神聖な理由と神聖な目的があって、あなたの世界に現れている。
あなたが「ほんとうの自分」を知って、選び、表現し、経験し、そして余すところのない存在になること──それが目的だ。
だからこのことを知っておきなさい。
この地球における人生/生命はあなたの最大の宝物であり、あなたが自分自身についてつぎの最も栄光ある決断をすることができる場としてあなたのために創造された。
また、その選択をするあなたを助けるために、わたしが天使以外の何ものも送りはしなかったことも、知っておきなさい。
そのことは前にもおっしゃいました。でも、いまやっとわかりましたよ。
わたしの人生はめちゃくちゃでした。わたしは誰かのせいにしたかった。世界はいま崩壊に近づいていますし、わたしはそれも誰かのせいにしたかったんです。
だがわたしは、批判するな、非難するなと言わなかったかな?
だから闇をののしらず、闇を照らす光となりなさい。起こることはみな、想像するなかでも最高にすばらしい世界と経験に導く道を開くのだから。
今日の出来事を使って、明日の約束を創造し、「いま」の経験を使って、「永遠」の驚異を生み出しなさい。
私たちが、この地球に生まれてきたのは、成長するため・成長させるためであり、神のすべての側面を余すことなく経験するという目的のために、本来のただ愛・光である自分を忘れて、時に悪役になったり、ヒーローになったりしながら、もとはひとつの個別化された魂同士で進化してゆくのだ──ということを、心底知り、思い出し、それを生きることができれば、この三次元の世も、苦行ばかりでなく、奇跡としか思えない素晴らしい世界なのだと思えるでしょう。
いま、暗闇の真っただ中にいるとしか思えないような、世界的コロナ詐欺にしても、毒物をまき散らしたり摂取させたりすることにより地球人口を削減し、コロナパンデミックを利用して恐怖を蔓延させ自由を奪い、全人類を完全に管理下に置こうとしている闇側の面々ですら、
ほんとうはみな天使だ。あなたが対立相手だと思っているひと、敵だと想像しているひとたちでさえそうなのだよ。
すべて神聖な理由と神聖な目的があって、あなたの世界に現れている。
あなたが「ほんとうの自分」を知って、選び、表現し、経験し、そして余すところのない存在になること──それが目的だ。
と神様は言います。
(サンマーク出版:「ちいさなたましいと太陽」を読めば、より理解が深まります)
だから、ひとあし先に気づいた私は、批判せず、非難せず、闇をののしらず、闇を照らす光になることを選択し、それがやがて世界中に広がることを信じて── 一瞬一瞬を生きていきたい、と心底思うのです。まだまだ修行中の身ですが、とにかく実践あるのみです!
●思い出すこと──その18
自由な選択は純粋な創造行為であり、神の署名であり、あなたの贈り物であり、
あなたの栄光であり、永劫のあなたの力である
あなたはその力を霊的な領域と物理的な世界の両方で行使するだろう。
あなたの思考によって、言葉によって、行為によって、その力を行使するだろう。
あなたはいま、この瞬間にもそうしている。
したがって、この「いま/いつも」という栄光のときに、あなたは「ほんとうの自分」についてつぎにいだく最も壮大なヴァージョンとして「自分自身」を再創造している。
最後にこのことを知っておきなさい。
あなたが何を選び、どこにいようとも、あなたはつねに、瞬時に──。
神へ帰り、「神とともにわが家に」いることができる。
「死とは何か」シリーズは、今回をもって終了です。
死について、もっともっと深く理解したいという方は、ぜひぜひ「神へ帰る」を手に取り、じっくり、くり返しお読みくださいませ
お読みくださりありがとうございます。
すべてに感謝