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妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”世界が平和でもなんでもないとき、どうすれば平和でいられるか?”

主要メディアでは報道しないが、フランスで激しい暴動が起きており、それがベルギーやスイスにも飛び火しているという。

島国日本にいると、そんなテロや暴動など対岸の火事としか思わない人が大多数だろうが、もう、世界は2度とコロナ茶番デミック以前のようにはならず、この先、気候・政治・経済・国内外での紛争等、私たちを取り巻く環境はますます混沌とし、個人個人の生活にその影響がじわりじわりと忍び寄ってくることは間違いないと思われる。

人間は、自分の身に災難が降りかかってはじめて、その災難が心身に及ぼす被害を実感する。他人の苦しみを我がものとして経験する習慣がないからだ・・・というか、「私たちはばらばらだ」という幻想にどっぷりつかっているので、他人の苦しみや悲しみを我がものとして経験しよう、という選択をしないと、実感を伴って体験することはできない。とはいっても、当事者のそれと比べると、その大変さは比ではないけれど。

 

さて、世界中が災難だらけになってくると、誰しもが、己を「被害者」とみなし、「加害者」を糾弾する。「こちら=正義」対「あちら=悪」の分断が起き、あちら側の全てがこの世からいなくなれば、世界は平和になると誰しもが思う。

しかし、この思考では、世界平和は訪れない。

世界平和は、一人ひとりの心のなかにあり、外側にそれを求めているうちは、いつまでたっても、心の平穏は訪れないからだ。

 

外からの瞬間が何をもたらそうとも、自分の内なる状態を平和や愛や理解、共感、分かち合い、赦しにすると前もって決めておけば、外の世界はあなたに対する力を失う。

ほかのひとたちの行動があなたの内なる状態と一致しなければ、誰が何と言っても、あなたを行動に引きずりこむことはできない。政治的指導者や宗教的指導者が自分たちの陣営に引き入れようとしても、むだだ──あなたの存在の最も深いところで、彼らの言葉や行動とあなたが一致しないかぎり。

(中略)

世界が平和でもなんでもないとき、どうすれば平和でいられるか?

世界が愛でもなんでもないとき、どうすれば愛でいられるか?

世界が赦しでもなんでもないとき、どうすれば赦しでいられるか?

残る世界がどうであろうと、自分は自分でいると主張することだ

サンマーク出版:「新しき啓示」より引用)

 

しかし、この、

「自分は自分でいる」と主張することとは、

「自分は、平和であり、愛であり、赦しである」と主張することになる。

それを自分で心底知って(思い出して)いなければ、単なる思い込みや偽りの主張となってしまい、何の効力もなくなる。

自分自身を、全面的に、無条件で、

「喜び・受け入れ・祝福し・愛し・感謝する」ことなしには、内なる平和は手に入らないのだ。

ゆるふわスピリチュアルなどと揶揄されるのは、外界の破壊的な状況から目をそむけ、内側の安定──自己の喜び・幸せばかり希求しているお気楽な教え、ということだからなのか?私はよく知らないのだけれど、神様はこう言っている。

 

 

まず自分自身を変えなければ、世界を変えることはできない。

まず、自分自身について大切なことを決定しなくてはならない。

自分とは何者かについて、神について、生命/人生について、自分の中で新しい結論を出し、その決定を生きることから始めなくてはならないのだよ。

(中略)

あなたが何者であるか、どんな存在であるか、ということは、あなたの想像以上に世界に大きな影響を与える。だが、覚えておきなさい。外側の平和を達成できないと動揺していたら、内なる平和も達成できない。(引用:前出)

 

 

自分一人のあり方が世界を平和にするなんて、この本が出版され、読んだ当初は、どうにも信じられなかったが、20年以上たってようやくその真髄がわかってきた。

世界中で、いわゆるディープステートと呼ばれる闇が、気候を操って大地震や巨大ハリケーンなどを引き起こしたり、テロや戦争、分断工作を絶え間なく勃発させ、病気を蔓延させるために、毒物を食物や水・薬などに混入したりするのは、一般庶民がつねに不安や恐怖の状態でいてくれなければ、彼らの存在がおびやかされるからなのだ。私たちが、己を、神同然の全き愛、とみなすようになれば、もう、悪行の数々は引き起こすことができなくなる。それだけ、私たちは、素晴らしい、万能で完璧な存在なのだ。

そして、実は、その闇側も同じものから創造されている。

それを知り、完璧に理解できなくては、私たち自身も完璧な光の存在になることはできない。

以下は、「神との対話3」に書かれている、ちいさなたましいと太陽の逸話から引用した。

誰かを、何かを、忌み嫌う気持ちが湧きあがった時、私はいつもこの話を思いだすようにしている。

 

 

「あなたは絶対的な神性で、自らを経験する。神性のどんな部分を、自分として経験したいかな?」

「自分で選んでいいんですか?」小さな魂はたずねた。わたし(神)は答えた。「そう。自分のなかで、自分として、自分を通して、神性のどんな部分を体験するか、選んでいいよ」

「わかりました」と小さな魂は言った。「それじゃ、わたしは赦しを選びます。神のなかで、完璧な赦しという部分を体験したいんです」

さて、想像がつくだろうが、これは少々やっかいな問題を生んだ。誰も赦すべき相手がいなかったのだ。創造されたものはすべて完璧であり、愛だったから。

「赦す相手がいないんですか?」小さな魂はまさかという調子でたずねた。

「誰もいない」とわたしはくり返した。「まわりを見まわしてごらん。あなたよりも完璧でない魂、すばらしくない魂が見えるかな?」

(中略)

「わたしより完璧でない魂は見つかりません!」小さな魂は叫んだ。「それじゃ、誰を赦したらいいんでしょうか?」

そのときひとつの魂が群衆のなかから進み出た。「わたしを赦せばいい」と、その友好的な魂は言った。

「何を赦すんですか?」小さな魂はたずねた。

「あなたのつぎの物質的な人生に出かけていって、何かをするから、それをあなたが赦せばいい」友好的な魂は答えた。

「だが、何を?これほど完璧な光であるあなたに、わたしが赦したいと思うようなことができますか?」小さな魂は知りたがった。

「だいじょうぶ」友好的な魂は微笑んだ。「きっと、何か考えつくから」

「しかし、どうしてそんなことをしてくれるんですか?」小さな魂は、これほど完璧な存在が「悪い」ことをするために、わざわざ振動をスローダウンさせようとするのはなぜなのか、はかりかねた。

「簡単だよ」友好的な魂は説明した。「あなたを愛しているからするんだ。あなたは赦しとして、自己を体験したい、そうなんだろう?それにあなただって、同じことをしてくれたじゃないか」

「わたしが?」小さな魂はたずねた。

「そうだとも。覚えていないのかい?あなたもわたしも、みんなその一部だ。わたしたちはそのなかの上昇で下降、右で左だった。ここでありあそこ、いまであり過去だった。大で小、善で悪だった。わたしたちはみな、その一部だったんだよ。そんなふうにして、それぞれが神の最も偉大な部分を体験しようとみんなで決めているんだ。わたしたちにはわかっているからね・・・。あなたでないものが存在しなければ、あなたもまた存在しない。

『寒』がなければ、『暖』もありえない。『悲しみ』がなければ『幸福』もない。『悪』と呼ばれるものがなければ、『善』と呼ばれる体験もありえない。あなたがあることを選ぶためには、それと反対の何か、あるいは誰かが、宇宙のどこかに現れないといけない」

友好的な魂はそれから、そういうひとたちは神のとくべつの天使であり、そういう状態は神の贈り物なのだ、と説明した。

「かわりに頼みたいことは、ただひとつだけだ」と友好的な魂は言った。

「何でもします!何でも!」小さな魂は叫んだ。神の神聖な側面のすべてを経験できるのだと知って、彼はわくわくしていた。やっと『計画』が理解できたのだ。

「わたしがあなたを襲い、暴力をふるうとき、想像しうるかぎり最悪のことをするとき──その瞬間に──ほんとうのわたしを思い出してほしい」

「忘れませんとも!」小さな魂は約束した。「いまと同じように、完璧なあなたを見ます。ほんとうのあなたを、いつも思い出します」

サンマーク出版:「神との対話3」より引用)

 

こんな滅茶苦茶な世の中で、巨悪の存在を知りながら、陽気に笑って、幸せいっぱいでなんて、いられるわけがないだろう!怒って、苦しんで、悲しんで、不満だらけで当然だ!それが普通だろう?!と誰もが思うかもしれない。

私だってこんな文章を打ち込みながらも、もしわが身に大災害が降りかかって、衣食住が充分でなくなり、愛するひとを失ったりしてもなお、平穏でいられるかなんてわからない。それでも、究極の選択は、自分自身のなかにある、ということだけは確信している。すべてが完璧であり、物事はただ起こっているだけであって、そこに意味づけをするのは、ほかの誰でもない、自分自身なのだ、ということ。

 

そして一番大事なのは、理想的・模範的な人間になろうとして、自分の闇を封じ込め、抹消しようとする行為は、破壊的・自滅的行為であり、自分も他人も憎むことになるから、絶対にしてはいけないということ。

自分のなかの闇を、じっくり見つめて、受け入れて、愛することで初めて光に転じることができるのだ。だからこそ、闇の存在は祝福なのだ。そして、全人類が陥った、自分は、皆は、実は神と同じ光だったのだ、という失われていた記憶を、肉体を持ったまま取り戻す一大イベント──それこそがアセンションであるのだ。

まず、心身に余裕があるのなら、自分が光を取り戻そう。苦しみの真っただ中にいる人はそれどころではないのだから、まず自分が小さな灯りをともし、明るく輝けば、灯りが灯りを呼び、いつか闇で覆われていた地球は光り輝く愛の惑星となる──と私は信じている。

 

 

さあ、行って、あなたがたの世界を変えなさい。行って、最高の自分自身になりなさい。

あなたは理解する必要のあることは、すべて理解した。知る必要のあることは、すべて知った。

いま、あなたはならねばならぬ存在になっている。

いままでも、そうだった。ただ、それを知らなかっただけだ。思い出さなかっただけだ。

いま、あなたは思い出している。どこに行くにも、その記憶を忘れないように。そして人生でふれあうすべての人と分かち合いなさい。あなたの運命は、あなたが想像しているよりも大きいのだから。

あなたはこの部屋を癒すためにやって来た。この宇宙を癒すためにやって来た。ほかに、ここにいる理由はない。

サンマーク出版:「神との対話3」より引用)

 

 

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