以下太字・青字:サンマーク出版「神へ帰る」より引用
●思い出すこと──その10
生命は永遠である
生命が永遠である、というのは、結局、私たちは、この宇宙から抹消され、存在しなくなることはありえない、ということです。先に逝ってしまった愛するひとも、いずれ肉体が朽ちて死ぬであろう自分も、どこかの(すべての?)次元には必ず存在しています。それは、そもそも時間というものはなく、全てが「いま」、連続同時に「在る」からです。
※代替現実、量子物理学的なテーマについては、自分自身が完璧に理解できていないところも多いので(なんとなくイメージでしかわかっていない)詳しく理解したい方は、「神へ帰る」をお読みください!
●思い出すこと──その11
死のタイミングと状況はつねに完璧である
この物理的な世界に経験するためにやってきたことのすべてを経験できずに死ぬ者は、誰もいない。「完了できない」などということはない。
(中略)
「神」と「生命」は同じものである。
したがって、「神は完璧だ」と言うのは、生命は完璧だ、と言うのと同じことだ。その「システム」は完璧なバランスで存在している。
すべては完璧なタイミングで、完璧な方法で起こる。きわめて狭い人間の経験という視点からは、いつもそれを見抜き、感じとれるとは限らないがね。それが物理的世界の限界だ。しかしその限界は克服することができる。
神との対話シリーズでは、何度も何度もしつこいくらいに、
「起こることは全て完璧だ」というメッセージをくりかえしています。
なので、「死」もご多分に漏れず、完璧なタイミングで起きるのでしょうが、ささやかなこと──例えば、こっぴどくフラれて落ち込んでいたけれど、それを慰めてくれた友達の優しさに気づき、恋愛に発展、結婚した──なんて場合は、
「フラれた時は人生最悪!と思ったけど、そのおかげで今のダンナの良さに気付いたから、失恋も完璧なタイミングだったのね」なんて思えるでしょうが、最愛のわが子を事故で死なせてしまった、などという状況下で、「あなたのお子さんの死も、本人が選んだ完璧なタイミングで起きたのですよ。」などとは、とても言えないし、親御さんもそのように思うことは至難の業でしょう。
でも、今まで世界で常識だった「死」にまつわるネガティブな概念を、神様が諭してくれる新しい概念に取り替えることができたら──そしてその概念が少しずつでも広がってゆけば──世界は驚くべき変革を遂げるのではないでしょうか。
「死」についての真実は、真実のなかでも一番すばらしい真実だ。
たしかにすばらしい真実ですよね、それは認めます。ここで言われていることをひとこと残らず信じたいと思いますよ。それが真実であってほしいとひたすら願っているんです。
ほら、そうだろう?あなたはもう、それが真実かどうかを疑っている。
ああ、信仰うすき者たちよ──それが真実かどうか疑うとき、あなたは「自分自身」を疑っているのだということが分からないのかな?
自分の魂のなかに発見した真実を愛するなら、外部の誰かが同意しないからとか、ばかにされた、疑われたという理由で、それを捨ててはいけない。
あなたの真実が「真実」だと言わなくていい。それが「あなたの真実」だと言えばいい。
「真実」などというものはない。
(中略)
「自分の真実」とふれあうことができれば、それで充分なのだよ。
(中略)
自分自身の真実──何についてであれ──とふれあっているというのが、どれほど力強いことか、わかるかな?
私は、20代のころ、生きる目的を見失ってとても苦しかった時期がありました。ただ、平々凡々と生きるだけでは満たされず、「真理」を探し求めて教会を渡り歩いたり、本を読み漁ったりしましたが、魂の渇きが充たされることはなく、虚しく数年が過ぎていきました。その後、不妊で子供はあきらめていた私たち夫婦は、三人の男の子に恵まれたものの、それでもやっぱり生きる意味が分からずもがいていた私に、ある友達が勧めてくれた本が「神との対話」だったのです。
そこで、私の「真理」を求める旅は終わりました。
これこそが私の求めていた「真理」だと、直観的にわかったのです。体中が雷に打たれたように歓喜で打ち震えました。
あんまり衝撃が大きかったので、この本をみんなに知ってほしいと周囲に勧めまくったのですが・・・・・。
読んだ人はいませんでしたね
でも、家族も友人も同意する人がいなかったけれど、「自分にとってこれほどの真実はない」という私の熱い思いは、何年たっても決して醒めることはなく・・・・。
そして、その真実を生きる旅が始まったのです。
(決して楽な旅ではありませんでした!なんど神様をなじったり、愚痴ったりしたかわかりませんここ2年くらいですかね、気楽=喜楽になったのは!だはは)
まずはこのメッセージの意味をあなた自身の生命に深くしみこませなさい。
すべてのひと、すべてのことに神を見て、すべてを完璧だと見なさい。
(中略)
そのような気づきは、動揺のなかに平和を、疲労のなかに安息所を、恨みと怒りが現れるかもしれないときに赦しを、そしてかつて経験したこともないほど大きな生命への愛をもたらしてくれる。
すべての瞬間に完璧さを探しなさい。探すのだ。
倦まずたゆまず、信じて探しなさい。
それがそこにあることを、深く見つめれば見つかることを知りなさい。
いま、この混沌とした状況のなかだからこそ、一層「自分の真実」が重要になっています。他人の真実、テレビの真実、有名人の真実ではない、オリジナルの確固たる「自分の真実」を
持てれば、こんなに強いものはありません。
他人の真実も、自分の真実も、「真実」。たとえ真逆の真実だったとしても、です。
コロナパンデミックという事象が世界中に起きてはいるけれど、それがもたらす経験は70億人一人ひとり全部違った経験なのです。経験は視点によって形づくられるものであり、その視点はそれぞれユニークだから。
今日もまた、
すべてのひと、すべてのことに神を見て、すべてを完璧だと見る
レッスンが待ち受けています。
わくわく・ポジティブにまいりましょう~
お読みくださりありがとうございます。
すべてに感謝