ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”わたしが赦すのを拒否するほど大きな悪事はない”

 

不安と罪悪感は、あなたがたの唯一の敵だ。不安を手放せば、不安のほうでもあなたを放してくれる。罪悪感を振り捨てれば、罪悪感のほうでもあなたを捨ててくれる。

(中略)

殺人者だって気持ちを変えられる。レイプを犯した者だって新たな自分を再創造できる。児童虐待者だって挽回することができる。必要なのは、心と魂と精神の深いところでの決断だけだ。これはわたしではない、と決断するだけだ。

(中略)

わたしが赦すのを拒否するほど大きな悪事はない。どんな厳格な宗教でも、そう教えているよ。償いの方法や通るべき道については意見が違うかもしれないが、方法があること、道があることに、異論はない。(サンマーク出版:「神との友情 上」より)

 

 

闇(ディープステート・カバール・イルミナティ・・・等々)が長年行ってきた悪事──は、最近では様々な書籍、SNS上で簡単に調べることができます。誰が、どんなことをしでかしてきたのか、発信者によって多少の食い違いはありますが、ほんとうに長期にわたり、闇が地球上に君臨し、支配や搾取を続けてきたのは間違いなさそうです。神は、その、想像を絶するような、血も凍るような、残虐行為も破壊行為も、

「わたしが赦すのを拒否するほど大きな悪事はない」と言っているのです。

 

そんな!今、地球上で起きていることは、神と悪魔との、光と闇との戦いなのではないのか?神が、闇を懲らしめて、排除するために、立ち上がってくれたのではないか?と思う人もいるかもしれませんが、だったら、なぜ、こんなにも長いあいだ、闇の悪事は放置されてきたのでしょうか。もっと早く、神が正義の鉄拳をふるってくれてたってよさそうなものです。

 

それは、存在するすべてが、「ひとつ」だからです。光だけが神なのではなく、神は「存在するすべて」すなわち、光も、闇も、なにもかもが神なのです。

そして、「自分は光だキラキラ(よね!?)」と自覚している私も、光の選択を(しようと)しているにすぎず、選ぼうと思えば自分のなかに闇の可能性はしっかりと存在しています。そして、暴力や殺人こそしませんけれども、過去には、わが子に対して虐待一歩手前のこともしましたし、人を傷つけたり、無視したり、ささやかな悪事はたくさんしてきました。しかも、思い出せませんけど、魂は記憶しているはずです、過去生で、闇側だった時の自分を。他人を殺めたり、暴力をふるったり、おそらく何かしらの残虐行為に手を染めたに違いありませせん。

そういった過去生での自分の悪行、今生での、他人を傷つけてきた行為、すべてを、まるごと受け入れ、赦し、癒し、愛すること──。意識しようがしまいが、それを全うするために、わたしたちは地球上に生まれ出て、互いに役割を交代しながら、一緒になって、人類の、地球の、宇宙の周波数を上げることに同意している、いわばチームメイトなのです。

「そんなことは信じられないし、悪人は罰せられて当然だ!そうでなかったら、被害に遭った人たちが浮かばれないじゃないか!」という意見が大多数かもしれません。私は、それはそれで尊重します、このブログで書き連ねていることは「わたしにとっての真実」であり、何を真実ととらえるかは人それぞれですから。

 

 

自分で許しがたい悪事だと思うことをしてしまったとき、どうすれば償いができるんですか?

 

償いの機会は、あなたがたが死と呼ぶものと同時にやってくる。

「償い(atonement)」とは、文字どおり、「ひとつになるとき(at one ment)」だ。あなたもほかのすべても一体だという認識だ。わたしをふくめて、すべてと一体だという理解だ。

この体験は死の直後に、あなたが身体から離れたときにおこる(そのときにはきっと思い出す)。

すべての魂は、じつに興味深い方法で「ひとつになるとき」を体験する。終わったばかりの人生のあらゆる時を、もういちど味わうのだ。それも、自分自身の立場だけでなく、関係するすべてのひとの立場で。すべての考え、すべての言葉、すべての行い、すべての経験をを関係者すべての立場で、自分がほかのひとであるように体験する。実際にそうなのだから。

自分もほかのひとも一体だ、と体験的に知るのだよ。そのとき、「わたしたちすべては一体である」という言葉が概念ではなく、体験になる。(引用元:同上)

 

 

(肉体が機能しなくなった)死後、わたしたちは生きてきた人生の見直しとして、自分という人間が周囲に与えた影響のすべてを、相手の側になって体験する機会が与えられる、というのです。けれどもその体験は、決して罰や懲らしめではなく、ただ単に気づきの機会であり、主観的な一部分としての自分、というだけでなく、より深く客観的に、総体的に、過ごしてきた人生の再体験をするのです。しかし、なにも死ぬまで待つことはありません。たった今、「わたしたちはすべて一体である」、という認識を持つことができれば、生き方が変わるでしょう。自分にしてやらないことは、他人にもしてやれないし、他人に危害を加えれば、自分に危害を加えているのと同じだ、ということが、心底わかるでしょう。何よりも、自分をありのまま受け入れ、全面的に愛することを、第一にするでしょう。自分を赦し癒せれば、他人を赦し癒すことも容易になるでしょう。

 

それを、世界中の人々が一斉に行ったら──世界は一夜にして激変するでしょう。

 

まず、自分からはじめればいいのです。

「わたしたちはすべて一体である」という黄金律を自分自身の在り方にすること、未熟ながら、気楽に、明るく、楽しく、取り組んでいきたいと思っています爆笑音譜

 

 

他者を苦しめていると考えているかぎり、自分を苦しめつづけることになる。じつは自分自身を苦しめているのだということがわからないかぎり、いつまでも自分を苦しめるだろう。

このことは、他者の意志に反して何かをするのは不可能だということを、完全に理解しないかぎり、わからない。それが理解できてはじめて、ありえないと思っていた真実を垣間見ることができる。すべては自分たちがしているという真実だ。

この真実は、新しい福音を理解し、受けとめ、生きないかぎり見えない。

──わたしたちはすべて一体である。

したがって、もちろん、どこかのレベルで共同創造しているのでないかぎり、他者に何もできるはずがない。そんなことは、すべてが一体でなければ不可能だ。

──わたしたちはすべて一体だ。

わたしたちはひとつしかない。この現実をみんなで創造している。

(「神との友情 下」より)

 

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ