ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

あなたがたはお互いに離ればなれではないし、生命のどの部分とも離ればなれではない。 

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 公のメディアによる情報も、ネットで拡散されている裏情報も、何が本当で何が嘘なのか、知れば知るほどわからなくなってくる。

特に、私のように、コロナパンデミックはヤラセ・茶番だ、と気づいている人は、テレビを信用していないので、裏で実際に起きていることは何なのか?必死にネット情報を漁りまくる。けれども、ネットによる情報も、結局何が本当で何が嘘なのか、確証する手だてはない。闇側は、光からの情報であるかのように見せかけるため、狡猾にも真実情報の中に1割嘘を混ぜ込んだりするそうだ。そりゃそうだよな、地球がどれほど長いあいだ闇の支配下にあったかを考えれば、連中は一筋縄ではいかないことは、「敵ながらあっぱれ!」というしかないほど明白だ。

 

 しかし、もう、情報に振り回されるのにほとほと疲れ果ててしまった。一喜一憂するたびに、とりあえず立ち直るのだが、気分はまるで、ジェットコースターに乗りこみ、ベルトもしっかり締め、セーフティーガードも下ろし、準備万端状態で1年以上も出発を待っている気分だ。その間、コースターに乗りこもうとしない人達や、乗り込んでもベルトもしないでいる人達に、

「早く乗った方がいいよ!出発し始めたら乗れないよ!振り落とされるからベルトもしっかり締めて!!」

と必死に呼びかけ、説得しているにもかかわらず、

「この人何言ってんの~?これ動かないのに乗り込んでベルトしちゃってさ。ばっかみたい!」と嘲笑されている感じ。

 

やっぱり、外側の真実を貪るのではなく、私の真実を生きることに、もっともっと専念したほうがいい。

 

では、私の真実とは何か?

 

「わたしたちはすべて一体である」

 

私のバイブル・愛読書である、「神との対話」シリーズのメッセージにくり返し、くり返し登場する、黄金律である。

 

※以下太字サンマーク出版「神とひとつになること」より引用

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 この言葉を日々の現実として生きれば、あなたの世界は根底からくつがえるだろう。

 わたしたちはすべて一体である。

 じつは、これで世界がくつがえるのではなく、正しい方向に戻る!すべては一体でひとつであり、ひとつしかないこと、わたしたちの現実もたったひとつで、わたしたちの存在もたったひとつであることに気づけば、あるレベルではつねに思いどおりになっているはずだし、また、そうでなければならないことがわかるだろう。

(中略)

 毎日、目覚めている時間のほんのわずかを割いて(ほんのわずかでいい)、もう一度わたしと交わることから始めなさい。

 わたしは神との交わりを呼びかけている。創造者との出会いを体験しなさいと誘っている。

 その交わりのときあなたは、一体であることが自分という存在の真実と知るだろう。瞑想がすんだとき、その真実を否定しているから幻想の悪影響が続くのだということを理解し、体験的に納得するだろう。

 幻想は、あなたの喜びのためのものだった。道具のはずだった。決して負担や悲しみ、試練や苦痛になるはずではなかった。

 あなたが究極の現実を理解すれば、そうしたことはすべてなくなる。究極の現実とは、分裂は存在しないということだ。

 何の分裂も、何からの分裂も存在しない。あるのは一体だけだ。あるのはただひとつだけだ。

 あなたがたはお互いに離ればなれではないし、生命のどの部分とも離ればなれではない。わたしとも離ればなれではない。

 

 

もし、今、悲しみ、苦しみ、不安、孤独に苛まれているのなら、それは、この究極の現実を忘れているからに他ならない。

私たちはあまりにも長いあいだ、生命と生命はばらばらだ、人間と神はばらばらだ、という分裂の幻想にどっぷりつかって生きてきた。そもそも、喜びを体験するためのツールだった「分裂」という幻想が、苦しみばかりを生み出し、弱肉強食、優劣、差別、不平等、無関心・・・という、ネガティブな現象ばかりがはびこる世界を生み出してしまった。

 

しかし、もう、その「分裂」という幻想を幻想と見破り、究極の現実に目覚めるときが来ているのだ。

 

わたしたちがすべて一体であるならば、一人の苦しみ、一人の悲しみに無関心でいられるだろうか?

わたしたちがすべて一体であるならば、母なる大地に毒物を蒔き、大洋にごみを垂れ流し、大木を切り倒し、山を削り、大気に毒の混じったガスを放射するだろうか?

わたしたちがすべて一体であるならば、宗教が違うだの、肌の色が違うだの、そんなことでいさかいを起こし、優劣を感じたりするだろうか?

 

もし、自分の中に、分裂や優劣といった感情が湧いてきたら、それは、究極の真実──「わたしたちはすべて一体である」ことを思い出させるために、魂が用意してくれた最適・最善のギフトなのだ。だから、

「なんでこんな嫌な感情を何度も味わうんだろう、こんな自分愛せない!」などと悲観することはなく、

「ま~ぼ~ろ~し~!」とIKKOのギャグでもかまして、楽な気持ちで、湧いてきた感情を幻想と見抜き、その意味するところ──過去の深いトラウマが癒されていない等々に気づき、見つめ、そんな自分をまるごと受け入れ愛することができれば、心の闇は光に転じるだろう。(←言うほど簡単にいかないけどね😅💦)

 

 

 あなたがたはわたしの姿をかたどって、わたしに似せてつくられた。したがって、あなたがたも愛である。ひとことで言えば、それがあなたがただ。

 あなたがたは愛の受け手ではなく、あなたがたが求めているものそのものだ。これは偉大な秘密であり、この秘密を知れば人生が変わる。

 ひとは自分がすでにもっているものを求めて、一生を過ごしている。すでにもっているのに。なぜなら、当人そのものなのだから。

 愛を得るためには、自分が愛であればいい。

 あなたがたはわたしに愛されている。ひとりひとりが愛されている。ひとよりよけいに愛されている者は誰もいない。ひとよりよけいに「わたし」である者は誰もいないから。ただ、ひとよりよけいに「わたし」を、つまり自分自身を、思い出している者はいる。

 だから、自分自身を忘れないことだ。

 愛され、愛になりなさい。

「わたし」を思い出して、わたしになりなさい。

 あなたがたはすべて「わたし」の一部であり、神の身体のメンバーだ。

 真の自分を思い出す(remenber)というのは、文字どおりメンバーになることだ。ふたたびメンバーになる(re-membering)、もう一度、ひとつの身体の一部になることだ。

 存在するのはたったひとつの身体。

 ひとつの存在。

 このことをいつも覚えていなさい。

 

 

「わたしたちはすべて一体である」──この神様からのメッセージが私の真実であり、それにそぐわない情報は、私にとっては幻想であり、究極の現実へと立ち返るために目の前に現れたギフトなんだ──。

そう思うことができれば、失望することも、悲嘆にくれることも、必要ない。

あるのは、ただ、感謝だけ、となる。

 

まだまだ、失望する日も悲嘆にくれる日もあるかもしれないけれど、そんな時はいつもこの真実に立ち返ろう。そうすれば、きっと、また歩き出せるから。

 

お読みくださりありがとうございます✨

全てに感謝😊💖