2020年から始まったコロナ茶番デミックのおかげで、自分自身の霊的気付きが、今までになく速いスピードで進んでいて、あまりにありがたく、感謝の気持ちが抑えきれなくなったので(笑)こうして記事をアップしている。
最近また新たなる気づきがあった、というか、今までも何度も同じ状況を自分で呼び寄せていたのだが、やっと、(もうこの状況を創り出す必要がない)と心底思うに至ったのである。
その状況とは何ぞや?というと・・・。
霊感の強い人に対面したり、その人が発信しているものを読んだりすることで、自分の霊的落ちこぼれ感を再認識したり、違和感を感じる状況のことである。
どうやら、やっと、霊的に感受性が鋭い人(ようは、一般人が見えない、聞こえない、感じられないものを受け取っている人)に対して自分自身が抱いていた考えを、全面的に手放すことができた(断言していいかな?)のである。
その考えとは、霊感の鋭い人全般は・・・
・人間的に自分より上
・自分の考えより、正しい、ホンモノ
つまり、この裏に隠されている私の思いとは、
(私は霊的に鈍感で、第三の目も開いてないし、神様や高次の存在と脳内で話しているつもりだけど、まあおそらく妄想だろうし、こんな自分よりは、目に見えない高次の存在とつながっている、と断言してる人のほうが、間違いなく人間的にも霊的にも格段にレベルが上に決まっている)
というもの。
もちろん、霊感商法など、最初から怪しさ満々の輩は別として、少なからず詐欺まがいのことはしておらず、世のため人のために尽くしている霊感の強い人に関しては、私は、自分の感覚よりこの人の言っていることを聞く方が無難なはず・・・、と何十年も思ってきたものの、鵜呑みにする前に自分のなかで咀嚼してみると「ん?」ってこともよくある。そのたびに、
「いやいや、私ごときが、この人(神や高次の存在の代言者)の言っていることに異を唱えるとか、否定的な感覚持つって、いかんでしょ、あんた何様よ?」
と考えるのだが、なんだかモヤモヤとくすぶる違和感を抱え、悶々することが多かった。結局、自分自身は、霊的・人間的未熟者なのだから、霊感の強い人の前では自分を殺してでも?その人の言うことに素直に耳を傾けるべきなのだ、という、長いこと自分を呪縛していた鎖を、自らの手でぶっ壊すことに、ついに成功したのである!
覚えていてほしい。神からのコミュニケーションはみなそうだが、これからの文章を貴重なものとして読みはしても、間違いのない絶対的真実だと思いこまないように。
あなたがたの最高の権威は自分自身であることを忘れないことだ。タルムード、聖書、バガヴァッド─ギーダー、コーラン、パーリ語聖典、モルモンの書、その他どんな聖典を読むときでも、権威の源を自分の外側に求めてはいけない。
それよりも内側に目を向けて、外に見いだした真実があなたの心の中に見いだされる真実と調和するかどうかを考えなさい。ほかのひとに「この本にあることは真実だ」と言うのではなく、「この本にあることは、わたしにとって真実だ」と言いなさい。
あなたの内側に見いだした真実にもとづく生き方についてたずねられたら、それがすぐれた生き方だと言わず、それもひとつの生き方に過ぎない、と答えなさい。
このコミュニケーションも同じだ。このコミュニケーションも、ものごとの見方のひとつに過ぎない。それで世界がはっきり見えてくるとあなたが考えるなら、けっこう。それであなたの内なる真実にもっと近づけるなら、よいことだ。
(中略)
できあいの信念を求めるのではなく、自分が知っていることを思いだすように努めなさい。外に見いだすことは、気づきに戻るために役立てなさい。
あなたがたは幻想を生きているが、その幻想はすべて現実ではないことを理解しなさい。だが、その幻想は、あなたがたに真実とは何かを教え、経験させてくれる。
(サンマーク出版:「神とひとつになること」より引用)
私はもう20年以上も「神との対話」シリーズを読んできた。人生が生きづらくて意味わかんなくてもがいていた時に、この本に出会って
「これは真理だ!」と魂が震えた。
けれど、知識として頭のなかに本の内容が叩き込まれても、それを経験して、十全に感じるまでは、ほんとうの気づきを得たことにはならない。
「最高の権威は自分自身である」
このフレーズも、暗記していたけれど、それを生きていなかった。自分自身を信じ切れていなかった。でも、自分自身で、そして私を見守り、気づきへと誘ってくれているサポートチーム、そして、この世界・宇宙を一緒に旅している全ての、闇も光も含む全存在・環境が、私を本当の気づきへと向かわせ、ほんとうの自分を思い出させてくれた。
わたしは、唯一無二の、完璧で、素晴らしい、神(ソース・源)の一部分であり、真実は外側になく、自分の内側にだけ存在する
これを、やっと、やっと、心底思いだした気がする。
真実に連れていってくれるのは、ただひとりだけだ。
(中略)
あなただけが、あなたを真実に連れていくことができる。なぜなら、真実のあるところは、ひとつだから。
(中略)
あなたのなかにある真実以外に真実はない。そのほかはすべて誰かがあなたに言っていることだ。
(サンマーク出版:「神へ帰る」より引用)
自分の考えに固執したり殻に閉じこもるのではなく、柔軟な心を持ちながらも、外から得たものが自分自身に調和するかどうかを見極める。
調和しなかったら、無理に受け入れる必要はまったくなく、
「いまの私にはマッチしない」と知り、得たものを手放していいのだ。
自分自身がありのままの自分でいることを心底赦し、認めなければ、他人がありのままのその人でいることを許容できない。
(↓目覚めていることに気づいた時にする行動のひとつとして)
自分自身をありのままで充分に愛するだろう。そして、ほかの誰でも、そのありのままで充分に愛するだろう。それから生命/人生を、そのありのままで充分に愛するだろう。そこでは何も変える必要がないし、すべては自分が知って、「ほんとうの自分」を明示する機会となる文脈的な場を創造するために、自分が通過し経験しているのだ、とわかったうえでね。
お読みくださりありがとうございます。
すべてに感謝