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妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

人間の10の幻想──第1の幻想「必要性が存在する」

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第1の幻想──必要性が存在する

 

※以下太字サンマーク出版「神とひとつになること」より引用

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サンマーク出版:「神とひとつになること」では、地球上に存在する10の幻想について取り上げ、幻想にどっぷりつかって生きることに満足しているのなら構わないが、もううんざりしているのであれば、幻想の本来の目的を見抜き、真の自分を思い出し再創造するのに活用することを勧めている。

本のなかで最初に取り上げられているのが、

「必要性が存在する」という幻想だ。

 

つまり、究極の現実では「必要性は存在しない」ということになるが、マスターレベルに達していないと

「いやいや、そんなことあるわけないでしょ!生きていくのに、食べ物、お金、住まい、衣服が必要だし、それには仕事もしないといけないし、これって”必要性”以外の何ものでもないじゃん!」と考えるのが普通でしょう。

この、誰もが必要と思っている、生き抜くために必要なあれこれ一切について、神様はこのように言っています。

 

 

あなたがたは、生き延びるためには何かが必要だという体験から、想像のなかで必要性という考え方を生み出した。だが、生きようが死のうがかまわないと考えたらどうなるか?何かが必要だろうか?

 ──何も必要ではない。

 では、生きないでいることは不可能だと考えたらどうか?何かが必要だろうか?

 ──何も必要ではない。

ここに、あなたがたの真実がある。あなたがたが生き延びないことはありえない。生きずにはいられない。生き延びるかどうかではなく、どう生きるかが問題なのだ。つまり、あなたはどんなかたちで生きるか?どんな経験をするか?

 

 

ようするに、私たちは肉体が滅びるとそれをもって「死」とし、「死んだらおしまい」という観念に則って生きている人がほとんどだが、そうではないのだ、と神は言っているのだ。

肉体の死は、私たちが数々の体験をするための乗り物が動かなくなっただけであり、私たちの本質である魂は、永遠に存在する。

この概念を全く信じることができなければ、しょっぱなの「必要性が存在する」という幻想を、幻想と見抜くことが困難になるが、逆に信じることができるのなら、他の9つの幻想についても、幻想だと見破ったに等しいほどの大きな概念なのだ。

 

 

 呼吸している空気でさえ必要ではない。

 死ぬ瞬間に、あなたはそれに気づくだろう。空気はあなたの身体が必要としているだけで、あなたは身体ではない。

 あなたの身体はあなたのものだが、あなた自身ではない。身体はすばらしい道具(ツール)だ。だが、創造のプロセスを続けていくのに、現在の身体は必要ではない。

 この情報は形而上的には喜ばしいことだとしても、自分の身体や家族、いまの状況を失う恐怖をやわらげてはくれないかもしれない。

 

 

神様は、身体から離れる、つまり死を体験すれば、死がどんなにか輝かしい、すばらしい体験で、物質的な身体に宿っているよりもはるかに好ましいとわかるだろう、と説明しているんだけど、

「死んでからわかるんじゃ遅いでしょ!」とツッコミを入れたところで・・・。

 

 

 執着を捨てるには、必要性という幻想から離れるだけでいい。

 必要性という幻想から離れるには、あなたがたが考えていたような死は存在せず、生命は永遠に続くということをふくめ、生命と死についてもっと深く知ることだ。

 これが理解できれば生命そのものをふくめ、人生のすべてへの執着を捨てることが可能になる。なぜなら、生命が永遠に続くならば、そうした愛着にしても、二度とないと考えたほかの経験にしても、何度でも味わえるとわかるからだ。

 それどころか、現世の愛着のすべては、あなたがたが「あの世」と呼ぶところ、あるいは未来のどの人生でも味わえるから、何も失うわけではない。あなたがたは徐々に愛着から自分を解放していくだろう。決して終わることのない生命が提供してくれる、拡大と成長という比類ないチャンスに気づくからだ。

 

 

※人間にとっての「死」とは何なのか、より深く理解したい、もしくは生命が永遠なんて納得できないという方、もしまだ読んでいなかったら、以前シリーズ化した

「死とは何か」①~⑭をぜひ読んでください!

 

chisuke926.hatenablog.com

 

「死」にたいする不安・恐怖がなくなれば、「必要性」があると思いこんできた数々についての執着が和らぎ、「そうであったら好ましいな」というレベルに達することが可能になる。

 

「○○が必要だ」という思いは、焦りや不安を生む。

「○○があってもなくてもすべて完璧だ」あるいは「必要なものはすべて自分の中にある」という思いは、リラックス、安心を生む。

そういった状態が、自分の現実を創造するのだ。

 

例えば、私は結婚して2年の間、不妊状態だった。義母からは孫をせっつかれ、後から結婚した友人・知人がどんどん妊娠、出産していき、私は精神的にかなり追いつめられた状態になった。不妊治療に通い、産婦人科でめちゃくちゃ痛気持ち悪い、卵管造影検査を受けた時、私はそれまで抱いていた

”結婚したら子供を産み育てるべき”

という必要性をかなぐり捨てた。

なんのこっちゃない、痛みがあまりにも耐え難くて、不妊治療を続けるのが嫌になっただけなんだけれど(根性なし!)、子供を産まなきゃいけない、という呪縛から解き放たれたとたん、それまでの鬱々とした自分はどこかへ行ってしまい、子供のいない人生を思いっきり楽しもう!とワクワクウキウキの自分に大転換したのである。

片っ端から安価な行政主催の講座を受け、自分のやりたいこと、高めていきたいスキルがみつかった矢先に、妊娠が判明したのは、卵管造影剤査を受けてから1年もたたないころだったろうか。そして私にとって人生最大の修行となる3人の男の子の育児期間が始まるのだが、まあそこはおいといて、ようするに、

「子供がいないと幸せになれない」、という執着を捨てることで、精神状態が安定し、夫婦二人だけの生活を思いっきり謳歌したことが、予想外の妊娠につながった、ということなのだ。

 

 

──幸福はある条件の結果として生まれるのではない。ある条件が幸福の結果として生まれる。

 

幸せには何も必要ではない。幸せとは心の状態だ。

 

 幸せになるにはある人物が、成功するにはある仕事が、満たされるには感情的、物質的な何かが必要だとあなたは思うかもしれない。そのときこそ、「たったいまのわたしは、それなしで存在している」、そう気づくべきだ。

 それなのに、なぜそれが必要だと思うのか?

 よくよく考えてみれば、生きるのには、あるいは幸せであるためにさえ、それは必要ないと気づくだろう。

 幸せは経験ではなく、意志である。

 幸せに必要だと思うものがなくても、幸せになれると決めればいい。そうすれば幸せになれる

 

 

最愛の男性と結婚できた時点で、幸せの絶頂だったはずなのに、「子供ができないと不幸せ」という思い込み・執着が自分自身を不幸な状態に追い詰めた。けれど、そんな自分にうんざりし、

「たとえ子供がいなくたって幸せになってやる!」と決めたとたん、幸せになれたのだ。

 

いま、あなたが幸せでない、満たされていない、と思っているのなら、自分の内側に問いかけてみてほしい。

「必要だと思うものがなくても、私は今ここにこうして存在している!」と。

そして、自分を生かしてくれているモノ、人、環境すべてに感謝してみよう。そうすれば溢れるほどの愛が体中に駆け巡り、即刻幸せになれること、請け負います!!!

 

 

う~ん、「10の幻想」シリーズ、なかなか難しいかも・・・😅。

続けられるかわからないけれど、今日のところはこの辺で!

 

お読みくださりありがとうございます☺️💕。

すべてに感謝✨