以下太字:サンマーク出版「神とひとつになること」より引用
幻想が存在するのは、相対的な関係のある世界という部分をつくり出し、そのなかであなたがたが自分についていだく最も偉大なヴィジョンの最も壮大なバージョンにしたがって自分を再創造できるようにするためだ。
宇宙そのものが、相対的な関係性のある場だ。定義から言っても目的から言ってもそうなのだ。
宇宙は生命が物質的に表現され、体験される場を提供する。
あなたがたは、その相対的な関係性のある場の部分的なヴァーションだ。あなたの周囲のひとやものもすべてそうだ。言い換えれば、部分化した神だ。
相対的な関係性のある部分の外では、あなたがたは自分を存在するすべてとして知るしかない。存在するすべては、すべてとして自分を体験できない。なぜなら、ほかに何もないから。
あなたがたでないものが存在しなければ、あなたがたという存在もない。体験できないのだ。知ることができない。
(中略)
速いということがなければ「遅い」ということもない。上がなければ「下」はない。ここがなければ「あそこ」もない。
したがって、幻想がなければ、あなたがたも(文字どおりに)ここにもあそこにもいない。
だから、あなたがた全体として、このすばらしい幻想をこしらえた。あなたがたがつくり出した世界──じつは宇宙──だ。この世界は相対的な関係性のある場を提供している。そのなかであなたがたは真の自分を決定し、宣言し、創造し、表現し、体験し、満たすことができる。
ようするに、幻想の世界は舞台のようなもので、舞台から降りた自分が「ほんとうの素の自分」なわけだ。舞台から下りれば、悪役を演じた役者も正義の味方を演じた役者も、お互いの演技を称え、舞台の成功を喜び合う。けれども、人間はいつのまにか自分が”役を演じている”ということを忘れてしまった。さまざまな役柄を演じ、さまざまな感情を味わうことに喜びを感じるどころか、役にのめりこみすぎて本来の自分を忘れ、苦しみばかりがつきまとい、舞台を楽しむことができなくなってしまった。
だから、神様は、壮大な舞台であるこの世界のなかで、幻想を幻想として見抜き、軽やかに生きることをすすめているのだ。
「幻想」と、ひとことで言っても、私たちの生きる環境は、あまりに現実的に見える。なので、神様は、この幻想をどのように活用すればいいか、そのステップを教えてくれている。
A:幻想を幻想として見抜く
B:それが何を意味するかを決める
C:自分自身を新たに再創造する
幻想に対する見方を変えるには、まず信念を変えることだ。
これまであなたがたは、百聞は一見にしかず、見ることは信じること、と教えられてきた。だが、新しい考え方は逆だ。信じることは見ることである。よいかな、これが真実だ。
幻想にぶつかったとき、それが幻想だと信じれば、どれほど現実的であろうとも幻想に見える。そうなれば、幻想を本来の目的に活用することができる。つまり、究極的な現実を体験するツールとして活用できる。
それって、辛いことや苦しいことを認めようとしない、現実逃避ってやつじゃないの?という見方もある。けれども、神様は決して、現実を見ないふりをしたり、拒否したり逃げたりすることをすすめているのではない。
例えば、会社でヘマをやらかしてクビになり、失業して、妻子に逃げられた男性がいたとしよう。
「これは現実じゃない、夢の世界なんだ・・・。早く目が覚めろ!」と自分の頭をポカスカ叩くことは、「失敗が存在する」という幻想を幻想だと見抜くことにはつながらない。
そもそも、なぜヘマをやらかしたのか?この男性は、自分の仕事に情熱を感じなくなっており、だんだんと、したくもないことを生活のためだけに我慢して続けることに苦痛を感じるようになっていたのだ。
会社をクビになり、妻子に逃げられたことは、一般的には人生での失敗として扱われてしまうことだ。けれども、誰が何とレッテルを貼ろうとも、当人がそれを認めず、
「これは、失敗ではない(ステップA)。俺がほんとうにやりたいこと、情熱を感じることを見つけるための最大のチャンスなんだ!」ととらえたら(ステップB)、そして湧き上がる思いを行動に移したら(ステップC)どうなるだろうか?
会社をクビになったことは、失敗ではなく成功への布石だった、と言えないだろうか?
あなたのすることに失敗はなく、すべては達成したいと思うことを達成し、体験したいことを体験するためのプロセスにすぎない。
あなたが体験したいのは真の自分だ。自分でないものが存在しなければ、真の自分を体験できない。だから、自分でないものを体験しているときは、体験に失敗しているのではなく、真の自分を体験する途中なのだと理解しなさい。
(中略)
人生で「失敗」と呼ぶものが訪れたら、愛情をこめて抱きとりなさい。非難したり、間違っていると決めつけたりしないように。抵抗すれば相手はかえって強くなるが、見つめれば消える。幻想のかたちがなくなる。ありのままの現実が見えてくる。真の自分自身が見えるように。
(中略)
簡単に言えば、失敗という幻想から離れるためには、すべてを成功の一部だと見ればいい。すべては成功につながるし、成功を生み出すし、成功を体験するためのプロセスの一部だ。
(中略)
何かが「思い通りに進む」のが成功ではないし、何かが「思い通りに進まない」のは失敗ではない。それどころか、長い人生を生きていれば逆こそ真だといいたいことがあるはずだ。
もし、何をやっても一発でうまくいくとしたら、どうだろう?毎回毎回成功していたら、「成功」という概念そのものがなくなってしまう。失敗を繰り返しながらも、時に滅入ったり落ち込んだりしつつ、諦めず、挫けず、目的に向かって突き進んで、ようやく達成してはじめて、「成功」という体験ができるのだ。そしてその時になってわかるはずだ。成功そのものの体験よりも、それに至るまでのプロセス──だめな自分という思い込みをなくし、たとえ失敗ばかりだとしてもそんな自分を受け入れ、認め、目的に向かって前進する強さを身につけられた体験こそ、何物にも代えがたい宝物だったのだ、と。
そう、私たちは億万長者になるとか、幸せな結婚をするとか、そんな目的のためにこの世に生まれでたのではない。ありとあらゆる体験をすることを通して、ほんとうの自分を思い出し、創造し、発達進化することが魂の目的なのだ。
実際には失敗はない。成功が、さまざまな側面を表す成功があるだけだ。また、神でないものもない。唯一の神が、さまざまな側面を現す神があるだけだ。
この対比がわかるだろうか?このモデルが見えるだろうか?
この単純な見方がすべてを変える。これがはっきりとわかれば、たちまち感謝と驚異の念がわき起こるだろう。
人生のすべての「失敗」に対する感謝、そして与えられた宝物に気づくまでに、どうしてこんなに長くかかったのかという驚きが生じるだろう。
そして、「わたしは天使以外の何ものもあなたがたのもとへ送らなかった」、また「わたしは、奇跡以外の何もあなたがたに与えなかった」という言葉の意味がようやく理解できるだろう。
これが理解できたとき、成功しないことは決してありえないと気づくだろう。
このことをいつも覚えておきなさい。
──成功しないことはありえない。
お読みくださりありがとうございます☺️💕
すべてに感謝✨