ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”誰かが決めた適正基準に違反するから、やらないなどということは絶対にやめなさい”

※以下、太字・青字 サンマーク出版神との対話②」より引用
 人生のすべてにおいて、誰かが決めた適正基準に違反するから、やらないなどということは絶対にやめなさい。わたしが、車にステッカーを貼るとすれば、「適正基準に違反せよ」というのを貼りたいね。(中略)
 
 しかし、「善悪」のけじめが、社会を支えているんですよ。善悪についての共通の基準なしで、どうやって共同生活が営めますか?
 
 「適正基準」は、あなたがたの相対的な「善悪」の価値観とは何の関係もない。
(中略)
「適正基準」は法的な制約とも関係がない。
何をもって「適正」とするかという単純な話だ。「あるべき」行動とは、必ずしもあなたがたの言う「最高の利益にかなった」行動ではない。それどころか、歓びをもたらすことはほとんどない。
(中略)
 何を決意するにしても、いちばん大きな問題は、「愛していれば、どうするだろう?」と自問することだ。自分自身を愛しなさい。それから関係する全員を愛しなさい。愛しあっていれば、相手を傷つけるようなことは決してないだろう。疑問があったなら、はっきりするまで待つだろう。
(中略)
 他人を裏切らないために自分を裏切ること──それも裏切りだ。最高の裏切りだ。
──シェイクスピアはべつの言い方をしているね。
汝自分に真実であれ。そうすれば、昼のつぎに夜が来るように、決して他人をだますこともなくなる。
 
 だけど、自分の「欲求どおり」に行動していたら、とても利己的になるでしょう。あなたが、そんなことを勧めるなんて、信じられませんよ。
 
 あなたは、人間はつねに「利己的な選択」をすると思っている、だが、いいかね。人間は、「最高の選択」をすることもできるのだよ。それに最高の選択とは、必ずしも他者のための選択ではない。
 
 それじゃ、時には自分を最優先するべきだとおっしゃるのですか?
 
 いやいや、つねに自分を最優先するべきだ!それから、自分が何をしようとしているかを基準に──あるいは、どんな経験を求めているかを基準に──選択しなさい。
あなたが、人生の目的を高いところにおいているなら、高い選択ができるだろう。自分を最優先することは、「利己的」になることではない。自分を認識することだ。
 
ずいぶん緩やかな行動規範ですね。
 
 最高の自由を経験することによってのみ、最高の成長が達成される。成長することが可能になる。他人のルールに従っていたのでは成長しない。誰かに従属するだけだ。
あなたがたが考えているのとはちがって、わたしは従属を望まない。従属は成長ではない。わたしが望むのは、成長だ。
 
 
 「適正基準」という言葉は、適当で正しい基準ということですが、この基準は自分が決めたものではなく、他人が決めたものであり、それに違反した生き方をすると、異端者、異常者、反社会的、反抗的などといったレッテルを貼られてしまうのがいまの社会です。
適正基準に近い言葉で「常識」という社会理念もありますが、これもまた、自分が決めたものではなく、属する世間、社会が方向づけたものであり、常識に逆らうと「非常識」の烙印を押されてしまいます。
 私達は、物心ついたころから、親や教師から常識や適正基準を一方的に植え付けられてしまうので、それが自分の真実と違うと大変居心地が悪く、泣いたり、わめいたり、怒ったり、癇癪を起したりしますが、幼い子供は言葉で大人を言いくるめことは困難なので、いつしか大人の決めた基準に則った生き方をしてしまい、やがて自分の真実から遠ざかっていきます。真実は、無視され、忘れ去られていきますが、消滅することはありません。なので、あまりに自分の真実と、実際に生きている人生がかけ離れていると、気づかぬうちにストレスで身体を壊したり精神を病んだりすることになるのです。
 
・・・・本当は個人的なエピソードと絡めた内容にするつもりだったのですが、神様の言葉を入力しているうちに、まさにコロナ茶番デミックのいま、
「適正基準に違反せよ」というのが、日本人にとって大事なメッセージなのではないかな、と思ったので、声を大にして言います!
 
ソーシャルディスタンス、マスク着用、ワクチン接種、時短営業、ワクチン・検査パッケージetc.etc・・・・。
(何だかおかしくないか?ここまでやる必要あるのか?)と感じている・気づいている、けれども、
 
「みんながやっているから」
「会社に強制されたから」
「テレビで報道しているから」
「家族に非難されるから」
「友達なくすから」
「通報されるから」
 
といった理由から、自分の中で感じている違和感を封じ込め、
(まあいっか、これくらいの事なら我慢できるし・・・)とおとなしく従っている大多数の日本人の皆様。
今一度、
「本当にこれでいいのか?」と、胸に手を当てて、考えてみてはいかがでしょうか。
コロナ茶番デミックは、自分の真実を取り戻す大チャンスなのです!他人に押しつけられた常識や価値観を生きるのか、自分オリジナルの常識・価値観を再構築し、自由に生きるのか、どちらを選択するのかは個人の自由です。
 
でも、自分を愛していたら、尊重していたら、他人からどう見られるかより、自分がどうしたいかを判断の基準にするのではないでしょうか?
神様は、
 
つねに自分を最優先するべきだ!それから、自分が何をしようとしているかを基準に──あるいは、どんな経験を求めているかを基準に──選択しなさい。
あなたが、人生の目的を高いところにおいているなら、高い選択ができるだろう。自分を最優先することは、「利己的」になることではない。自分を認識することだ。
とはっきり言っておられます。
 
 
芥川龍之介の言葉:
危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である
 
ガリレオの言葉:
社会通念とか、一般常識とかいったものがすべて戯言なのは、多数派のためばかりに仕立てられているからだ
 
常識とは18才までに積み上げられた先入観の堆積物にすぎない
 
そして
 
適正基準に違反せよ
 
さあ、みんな、したくないことはしない、やりたいことはじゃんじゃんする!
 
その選択の基準は、愛でもって自分の気持ちを最優先に尊重しているかどうか、ですよ~!
 
 
最高の自由を経験することによってのみ、最高の成長が達成される。成長することが可能になる。他人のルールに従っていたのでは成長しない。誰かに従属するだけだ。
 
 
お読みくださりありがとうございます。
すべてに感謝照れドキドキ