(太字=サンマーク出版「神とひとつになること」より引用)
さあ、あなたが決断する時だ。選択の時だ。あなたは──そして人類は──岐路に立っている。
あなたはこれから毎日、毎週、毎月、毎年、地球上の生命が(life:人生が)どうあってほしいかを選択する。あるいは、地球上に生命が存続してほしいかどうかを選択する。
自分が創造した幻想が現実であるかのように生きつづけることを選ぶかもしれない。あるいは幻想から抜け出し、幻想を幻想として見抜いて、地上で天国を経験し、真の自分の究極の現実を経験するために幻想を利用するかもしれない。
これが、世界へのわたしのメッセージだ。
あなたがかたは新しい文明を創造することもできる。もっと新しい世界を求めることもできる。選ぶのはあなたがただ。選択の時は来ている。これが、あなたがたの恵みの時だ。
この瞬間を利用しなさい。
この日をつかみとりなさい。
目覚めた自分として、真の自分に気づき、かつてあった自分、いまの自分のすべてをほめたたえることから始めなさい。この恵みの時に、かつて以上の自分、夢みた以上の自分になろうと選択することから始めなさい。自分の手が届くよりさらに先へ手をのばし、手の届かないものは何もないことを思い出しなさい。
水面下で大量逮捕が行われている、だとか、すでに光は勝利している、だとか巷では言われていますが、わたしたちの目に見える現実の世界は相変わらず混沌としており、良くなるどころか悪化の一途をたどっているようにしか見えない、と誰もが思っていることでしょう。
ここ日本においては、大手メディアのコロナ茶番劇場はヒートアップする一方ですし、ワクチン接種も”強制ではない”と言いながら、職場での接種強要が日常的に行われ、ワクチン接種後の副反応や死亡も、大多数が国に報告すらされず、報告されても因果関係が認められず、すべてが闇に葬られてしまいかねない状況です。
マスク着用が社会の常識となり、ノーマスクでいることはまったくもって非常識。ここ最近の沖縄は湿度80~100%、気温30℃!
それでも、誰もマスクを外しません。
こんな世界にいることに、うんざりして嫌気がさして逃げ出したい、そう思っても仕方がないかもしれませんが、わたしたちは、地球に存命中に、このような状況になることを事前に充分わかったうえで、あえて、この時代に生まれてきたのです。
いま目の前で繰り広げられているコロナ茶番劇場も、いち創り手として参加しているのです。
この状況において、わたしたちは、どんな自分で在ることを選択するのか。
神様の言うとおり、
これから毎日、毎週、毎月、毎年、地球上の生命が(life:人生が)どうあってほしいかを選択する。あるいは、地球上に生命が存続してほしいかどうかを選択する。
しかないのです。それを、目覚めて意識的に行うのか、何も気づかず無意識に行うのか、それは個人の自由ですから、他人の選択に無理やり介入する必要はありません。
そして、その第一歩として、
目覚めた自分として、真の自分に気づき、かつてあった自分、いまの自分のすべてをほめたたえることから始めなさい。この恵の時に、かつて以上の自分、夢みた以上の自分になろうと選択することから始めなさい。
”自分をほめたたえることからはじめる”というのは、過去に犯してきた過ちも赦し、いま
ここにいる、自分のありのまますべてを受け入れ、愛することができなければできません。
出発点は、自分との関係から始めるのです。それができたら・・・。
自分が世界を照らす光であることに気づきなさい。自分は光だと宣言しなさい。あなたの心に宣言し、つぎに心を通じてすべての人に宣言しなさい。あなたの行動に語らせなさい。世界を愛で満たしなさい。
あなたは待ち望まれていた救済者であること、あなたがやってきたのは、人生でふれあうすべてのひとを、自分自身の驚異を否定する考えから救い、神との永遠の一体化という栄光を否定する考えから救うためであることを知っておきなさい。
あなたがこの部屋にやってきたのはこの部屋を癒すためであり、宇宙のこの場にやってきたのはこの場を癒すためであることを知っておきなさい。あなたがやってきた理由はほかにはない。
光でない人間はいません。でも、光であることを忘れている人間はおおぜいいます。私は、よく照明の明るさ調整機能を想像するのですが、誰でも、ピカピカに明るく光り輝くことができるのに、自分自身が明るさ調整リモコンをもっていることを知らないのです。
闇に埋もれてしまっている人にいたっては、明るさの調整どころか、リモコンスイッチがOFFのまま行方不明になっていて、もはや光輝く可能性から背を向けている状態なのかもしれません。
先に目覚めたわたしたちの責務は、誰もが光でできていて、みな、もっているリモコンを操作すれば、明るく光り輝くことができる、ということを、周囲に思い出させることではないでしょうか。
愛になる、とか光になる、ってことを大仰に考える必要はありません。
私自身の体験談を一つご紹介します。
わたしのダンナ様は、スピリチュアルとか一切関心がないのですが、20年以上もスピリチュアル道を探求している自分よりも、ずっと、寛容で、無条件の愛を実践しているすごい人です。
ダンナ様の在り方から学んだことは数多く、ひそかに?私の師、と仰いでいるのですが、彼から学んだことのひとつに、「愛をもって触れる」というのがあります。
未だに私も完全にはできていませんが、どういうことかと申しますと、モノにしても人にしても、掴んだり握ったり触ったりする際に、ただただ対象物に、「愛」でもって触る、というのでしょうか。
これに気づいたのは、だいぶ前のことなのですが、ダンナが私に「ちょっとどいて」と肩をつかんだりする時に、彼の手から伝わるもの──優しさ、思いやり、愛といったエネルギーがふわっと私のなかに入ってくるのを感じた時、突然、雷に打たれたように、いかに私は対象物に対してぞんざいな触り方をしているか!ということに、はたと気づいたのです。
3人のわんぱく坊主の子育てでイライラしている頃だったので、つい、いろいろなモノ・人に当たり散らしていたというのもありますが、生来せっかちなので、乱暴にモノを扱っては、しょっちゅう壊しておりました。
この日以来、触れるモノ・人、すべてに愛のエネルギーでもって触れよう、と心がけるようになったのです。(未だ努力中)
こんなささやかなことでいいんです。
完璧にできなくちゃいけない、とか、思わなくていいんです。
自分を高めるのに、ゼロから始めるのではなく、すでに持っている資質を思い出す──引き出すだけでいいのですから、誰にだってできます。だって私たちは神様と同じなんですもの!
要は、その意思を持つか、持たないか。
いまが決断の時だよ、と神様は教えてくれているのです。
お読みくださりありがとうございます。
すべてに感謝