ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”あなたがたはもともと、神の子供、「純粋な、創造的ないのち」”

 

皮肉なことに、ほとんどのひとは、行きたいところへ行くためには自分がいるところを離れなければならないと考えている。そこで、彼らは天国に行くために天国を離れる──そして、地獄を通る。

悟りとは、行くべきところもすべきこともないし、いまの自分以外の何者にもなる必要もないと理解することである。

あなたはどこかへ向かう旅をしているのではない。

あなたが言うような天国はどこにもない。どこにもないという意味の nowhere の 

w と h のあいだをあけてみよう。

そうすれば、あなたは天国をいま(now)・・・ここ(here)に見るだろう。

サンマーク出版神との対話1」より)

 

 

昨日、コロナ茶番に気づいた人たちが、世間や友人知人、身内との意見の相違でとても苦しんでいる、といった内容のツイートを見かけました。

実際、デクラス(機密解除・緊急放送)がもっと早く行われると私も思っていたので、コロナワクチンの被害が日本で広まる前にはなんとか・・・・と思っていたのですが、発表がいつになるのか、皆目見当もつかず、ワクチン接種はじわじわと身近なところまで忍び寄ってきています。ネットの情報によれば、海外では政府のコロナ規制に反発する大規模なデモなどが盛んに行われているようです。日本でも、コロナ規制や言論弾圧に抗議・反発する声がもっともっと広がっていれば、たとえ生活が苦しくなっていたりしても、「いまはキツイけれど、こうしてみんなで一丸となって戦っていればきっと事態は良くなっていく!」という熱い思いで、仲間と助け合いながら乗り切る気力・勇気が湧いてくるでしょう。しかし、生身の人間で、自分と同じ思いの人が周囲に誰もおらず、周りからは「怪しい、胡散臭い、カルト信者、陰謀論者」といった目で見られているとなると、孤独感に苛まれ、気も滅入り、鬱々してきても当然です。

私は、幸運なことにダンナが同じ価値観を持っていて何でも話し合えるので、テレビのおかしな報道を茶化したりしてこの状況を笑ったりすることもできることから、激しく落ち込んだりすることもなくいられますが、もしそうでなかったら、さぞや辛いしんどい日々だったろうな・・・と容易に想像できます。

 

「いまの世界はまるで地獄だ。ここが天国のように思えるには、これまでの闇の悪事が白日の下にさらされて、全人類が覚醒して、闇が全部地球上から排除されて・・・そうしてやっと、世界は光の世になって、そうなってはじめて私は幸せになれるのだ。それまでは辛くても苦しくても耐えるしかないのだ。」と思っている方も大勢いらっしゃることとは思いますが、神様は、いま、ここに天国はある、と言っているのです。

天国は目的地でも達成地でもなく、いま、ここにいる、自分のなかに最初からあるのだ、と。

 

 

聞いていると頭がおかしくなりそうだ!「天国はいまここにある」のなら、なぜわたしにはそれが見えないんですか?どうして、それを感じられないんですか?どうして、世界はこんなにめちゃくちゃなんですか?

(中略)

知らないことは経験できない。そして、あなたはいま、ここで「天国」を経験していないから、それを知らない。悪循環だ。知らないことは経験できない──その術をまだ見いだしていない──し、経験できないことは知ることができない。

悟りとは、経験していないことを知ること、それによって経験するということだ。知ることによって経験への扉が開かれる──そして、たぶんわかっているだろうが、逆もまた、真である。(引用元:同上)

 

 

そもそも、「天国」ってなんでしょう?

 

ウィキペディアでは、「神や天使がいる天上の理想の世界、神の創造理念と定義できる世界」などと書かれていますが、実をいえば、わたしたち一人ひとり、全員もれなく、神の一部なのです。人間だけではなく、存在するものすべて、神でないものはない、のです。となったら、わざわざ死んで、天国に行かなくても、いまここはすでに天国ではないでしょうか?

しかし、それにしては、なぜ世界はこんな状態なのでしょうか。貧困、差別、戦争、不公平、分断、殺戮、暴力・・・どうみたって神らしからぬ行為がありとあらゆるところで蔓延っています。

 

神は宇宙を分断することによって、見えるもの、見えないものを含めて現在存在するすべてのものを、純粋なエネルギーから創り出した。(中略)自分自身を分断したわたしの聖なる目的は、たくさんの部分を創って自分を体験的に知ることだった。創造者が、「創造者である自分」を体験する方法は、ただひとつしかない。それは、創造することだ。そこで、わたしは自分の無数の部分に(霊の子供のすべてに)、全体としてのわたしがもっているのと同じ創造力を与えた。

わたしたちは、同じものでできている。わたしたちは、「同じもの」なのだ!同じ資質、能力をもっている。その能力には、宇宙から物質的な現実を創出する力も含まれている。わたしがあなたを創造したのは、神としての自分を知るためだった。あなたがたを通してしか、知る方法がなかったからだ。したがって、あなたがたを創った目的は、あなたがた自身がわたしであることを知らせるためだったと言ってもいい。(中略)

さて、あなたがたがつきつめた自分を知る、つまり創造者としての自分を知る方法について話そう。

あなたがたは、実際に創造するまでは創造者としての自分を体験することはできない。そして、自分自身を創らないという経験があってはじめて、自分を創ることができる。「何かである」ためには、まず「そうでない」ことを体験する必要があるからだ。

(中略)

もちろん、あなたがたには、自分でなくなることなどできない。あなたがたはもともと、神の子供、「純粋な、創造的ないのち」なのだから。そこであなたがたは次善の方法をとった。自分が本当は何者であるかを忘れたのだ。(引用元:同上)

 

 

なんと、わたしたちは、ほんとうは神であり、愛であり、光であり、善であり・・・そして闇でもあり悪でもある、つまり、「すべて」であるのです。そして、幻想のなかで、舞台の上で、ほんとうの自分をすっかり忘れて役割を演じるわけです。どんな役を演じるのかは、決して押しつけられるわけではなく、自分で好きなように選択できるのです。「コロナ茶番劇」が繰り広げられている中で、どんな自分でいるか?一見めちゃくちゃでひどい状況としか思えない、こんな世の中で、自分はどう在りたいかを毎瞬ごとに選びとり、「わたしはこういう人間です!」と胸を張って言える、いまはまさに絶好の機会なのです。

周りにいる存在のすべてが、キリストやブッダ聖母マリアのような人ばかりだったら、平和でしょうが、劇的でドラマチックで一気に成長するような体験はむずかしいのではないでしょうか?テレビや新聞の報道にすっかり騙されている人たちのなかで、数少ない”一歩先に目覚めた人”という体験ができるのは、目覚めてない大多数の人たちが、そういった役どころを選択し、演じてくれているおかげなのです。

 

 

あなたがたは、これまでも、そしてこれからもつねに、神聖なる全体のなかの部分、身体の一部、手足、メンバーだ。だからこそ、全体に戻ること、神に戻ることは思い出すこと(リメンバランス:remenbrance)と呼ばれる。あるいは自分の各部を寄せ集めて、自分のすべてを、すなわちわたしのすべてを体験する。したがって、地上でのあなたがたの仕事は、自分が何者であるかを学ぶことではなく(すでに知っているのだから)思い出すことだ。そして、ほかのみんなが、何者であるかを思い出すことだ。だから、ほかのひとにもそれを気づかせること、思い出すようにしむけることも大きな仕事のひとつだ。(引用元:同上)

 

現実のようにしか見えないこの世の有様も、”幻想”に過ぎないのです。そして、しがないただの人間だと思っていたら、なんと神様が自らを体験するために分割した、神のエッセンスを宿した一部分であったのです。無限にある選択肢の中から自由になりたい自分を選んでいいんだよ、どんな選択をしようとも神の範疇からはずれることはないんだよ、と神様は言っておられるのです。

 

だから、世界の悪と呼ぶものを非難してはいけない。それよりも、それのどこを悪と判断するのか、どこを変えたいのかと自問しなさい。

外に向かってではなく、内に向かって、「この災厄を前に、いま自分は何を体験したいのだろう。自分のどの部分を引き出したいのか」と問いかけなさい。人生のすべては、あなた自身の創造の道具なのだから。そして、出来事のすべては、自分は何者なのかを決定し、その自分になる機会を与えるために存在しているのだから。(引用元:同上)

 

 

自分のなかに神を見る、ほかのすべてのひとのなかに神を見る、それができたら──この世は神しかいない、天国だと感じられるでしょう。

 

お読みくださり、ありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ