ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”どんな者でも、自分なりの世界モデルにてらせば、何も間違ったことはしていない”

”光と闇の戦い”という言葉を最近よく聞くことと思います。ネット上では、大物芸能人や政治家、企業や国家等々を「闇側か、光側か」断定し、人によっては闇側の人物や団体等を、激しくののしったり非難しているようです。

でも・・・。闇か光か、そんなにはっきりくっきりと選別するその基準はなんなのでしょうか。

もちろん、「だって誰が見たって、これは明らかに悪で、これは善でしょ!」と100人が100人とも断言できるケースもありはすると思います。しかし・・・。

 

どんな者でも、自分なりの世界モデルにてらせば、何も間違ったことはしていない。ヒトラーの行為が狂気のそれであり、当人は自分が狂っていることを知っていたと思うなら、あなたは、人類の経験の複雑さをまったく理解していない。

ヒトラーは同胞のために善行を行っていると考えていた。それに、彼の同胞もそう考えていたのだ!それこそが、狂気なのだよ!国の大半が、彼に同調したのだ!

あなたは、ヒトラーが「悪事」をしたと言う。よろしい。そのものさしで、あなたは自分自身を定義し、自分をもっと知るだろう。よいことだ。だが、それを教えてくれたヒトラーを非難するのは筋違いだ。

誰かが教えてくれなければならなかった。

冷たさがわからなければ、熱さもわからない。下降がなければ上昇もない。左がなければ右もない。一方を非難し、一方をほめるのはやめなさい。それでは真実を理解できない。(サンマーク出版:「神との対話②」より)

 

私たちは、凶悪犯罪を犯した人間を、簡単に非難し、糾弾します。「こんなことができる人間は、おそろしい悪魔だ、死刑になって当然だ」と言います。

でも、思うのです、もし、私が、その凶悪犯罪者が生まれ育った環境のもとで、人生を歩んだとしたら・・・果たして同じ過ちを絶対起こさなかった、と言いきれるだろうか?と。

 

誰でも生まれたばかりの赤子の時から極悪人であるはずがありません。私たちが生まれる前にある程度人生の青写真を決めて、どんな環境のもと生まれ育っていくかを選択しているのだとしたら、犯罪者は凶悪犯罪を犯すような環境・人生をあえて選んでいると言えます。本来すべての魂が神と同じ成分でできているはずなのに、どうしてある魂は凶悪犯罪を犯すほど自らの振動を落とし、光を忘れ闇に落ちていくのか?そう、それは、地球人類全体が、成長しほんとうの自分を思い出すために、相互に、善人になったり悪人になったりして、役割を演じているにすぎないからです。地球上のさまざまな事象から、何が善で何が悪か、何が愛で何が不安か、何が苦痛で何が喜びか、自分の魂がどう感じるかを探り、自分自身をつくりあげていくための壮大な創造行為に、全人類が一丸となって取り組んでいるからなのです。(地球だけでなく、全宇宙で、とも言えますね)

地球上で長い事続いてきたこの共同作業も、いよいよ佳境にはいり、アセンションに向けて総仕上げに入っていると言ってよいかと思います。

では、いま、どう生きるのがベストな選択なのか、と言えば、

「誰が光で、誰が闇か」といった、外側に目を向けるよりも、「今、この瞬間の自分は、光か?闇か?」の創造作業に専念することではないかと、私は思います。

まあ、でも、今、地球上では最高にスペクタクルでセンセーショナルな状況が展開していますから、それが気になってしょうがないのも正直なところです。けれども、それに気を取られてばかりいて、他人を中傷したり批判する時間があるのなら、それを自分自身の愛と光の強化に使った方が得策ではないかな、と思うのです。それこそが、光に包まれた地球に移行するために、自分ができる最大の貢献ではないでしょうか。

 

誰の中にも、闇と光が共存しており、一瞬一瞬に、そのどちらを選択するのか、だけの違いなのです。

 

何世紀も、人びとはアダムとイブを非難してきた。彼らは原罪を犯したのだと言われてきた。だが、いいかね。あれは最初の祝福だった。あの出来事がなくて、善悪の分別がつかなければ、あなたがたは善と悪の可能性が存在することすら知らなかっただろう!じっさい、アダムの堕落と言われる出来事がなければ、善悪二つの可能性も存在しなかった。「悪」はなく、誰もが、何もかもが、つねに完璧な状態で存在していた。文字どおり、パラダイス、天国だ。だが、それがパラダイスであることもわからなかっただろう---完璧さとして経験することもできなかった。他のことを何も知らなかったからだ。

アダムとイブを非難すべきか、それとも感謝すべきか?そしてヒトラーの場合はどうだろう?

いいかね。神の愛と神の憐み、神の智恵と神の赦し、神の意図と神の目的は、どれほど凶悪な犯罪、どれほど凶悪な犯罪者をも包みこんでしまうほど大きい。

(引用元:同上)

 

神ほどの存在が”赦す”と言っているのに、生まれてこのかた多くの過ちをおかし、自分も他人も傷つけてきた私が、他人を断罪するなんて、よく考えたらおこがましいにもほどがある・・・。そう感じる今日この頃なのであります。

 

お読みくださりありがとうございました。

すべてに感謝照れドキドキ