私は、月に数回、派遣の依頼を受けて1回につき数時間、病院や行政機関などに出向く仕事をしています。コロナ茶番デミックが始まってから、依頼そのものの件数も減りましたが、そんな中でも、たまに現場に行く際にマスクやフェイスシールドなどを装着しなくてはならないことにとても抵抗がありました。普段の自分は私用で外出する際はマスクはつけておらず、先日は、とうとう行きつけの美容院でも「マスクを着けると頭痛がするんです・・・。」と言って、ノーマスクでカットしてもらうことに成功?しました。パン屋さんで、ノーマスクだと入店できない、と言われた際は、もっていたマスクを着けることも考えましたが、「じゃあいいです」と購入せずに帰りました。
こんなふうに、「私は、ほかの人がマスクを着けようが着けまいがどっちでもよいけれど、自分は、風邪もひいてないし、暑苦しいし、周囲に笑顔を振りまきたいからマスクはつけない!」ということを信条に生きようとするうち、仕事の時にその信条を曲げることがすごく気持ち悪くなってきてしまったのです。
ここ数か月は「都合が合わない」だとか「体調が悪い」などと適当な理由をつけて依頼を断ってきましたが、嘘をつくことが本当に苦手な私は、ついに、派遣元に本心を伝えて、依頼をお断りしました!
「は~っ、すっきりしたあ!!!!」
(自分にとっての)真実を伝え、真実を生きることは、なんて気持ちが良いのでしょう!!
ここ数か月、依頼が来るたびに悶々としていましたが、もう悶々としなくてもよいのです。
自分にとって何が「最善」かと考えていると、選択が慎重になり、いつまでも決断できず、あなたは期待という海に向かって船出することになる。気をつけないと、期待の海で溺れてしまうよ。
(中略)
魂はあなたの感情に語りかける。だから、自分の感情に耳をすましてごらん。
感情に従うこと。感情を大切にすること。
だけど、感情を大切にしたせいで、いろいろとめんどうなことになったような気がするんですが。
それは、成長を「めんどう」だと考え、停滞を「安全」だと思っているせいだよ。いいかい。感情のせいで「めんどう」なことになったりはしない。あなたの感情、それはあなたの真実なのだから。
感情に従う人生ではなくて、感情を理性という機械的なふるいにかける人生がいいと思うなら、そう生きなさい。理性による状況分析をもとに、決断しなさい。だが、そんな機械仕掛けの人生に喜びを求めたりしないことだ。まして、ほんとうの自分を賛美できるなんて、思わないことだ。
いいかね。真の賛美とは非理性的なものだよ。
ネットを見ていると、最近、ほんとうに大勢の人が、コロナの真実について声を上げていて、その声の上げ方も、科学的だったり、ユーモラスだったり、可愛いイラストで誰が見てもわかりやすかったり・・・。見ながら、「あ~これはわかりやすい!」とか「これ、ウケる~!」とか、発信した人のさまざまな思いが伝わってきて、楽しくなってきます。
発信するもととなっている事象は同じだけれど、発信者の意向によって、「恐怖」になったり「お笑い」になったり、「安心」になったり「絶望」になったり「希望」になったり・・・。
発信する人が、何を受信者に伝えようとしているか、もちろん「コロナはヤラセだよ~茶番だよ~」ってことはみんな同じなんだろうけど、発信者の、在り方・生き方・思いが、情報に付着していて、受信者側に伝わっていく──。そんな気がします。
もちろん、受信者の心の在り方によっては、ねじ曲がってしまったり、誤解を生じたりすることもあるかとは思いますが、「なんかこのブログ(ツイッター)読むと、ざわざわする・・・。」とかありませんか?これと言った理由はないけれど、なんだか違和感を感じる、そういう感覚を大切に、出回っている莫大な情報から、自分のためになると思えるもの、共感できるもの、おもしろいもの?!等々、選択して自分の糧としたいですね!
真実を知りなさい。真実はあなたを自由にする。だが、真実を知ったら、理性に振りまわされないことだ。理性は、何が「最善」かおしはかろうとする。それはやめなさい!(中略)
感情とは魂の言葉だ。そして、魂こそがあなたの真実だ。(引用元:同上)
自分が心地いいと思える生き方。誰にも邪魔はさせません!(笑)
お読みくださりありがとうございました。
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