ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”自分でないものを体験している時は、体験に失敗しているのではなく、真の自分を体験する途中なのだ”

※以下太字:サンマーク出版「神とひとつになること」より引用

 

あなたのすることに失敗はなく、すべては達成したいと思うことを達成し、体験したいことを体験するためのプロセスにすぎない。

あなたが体験したいのは真の自分だ。自分でないものが存在しなければ、真の自分を体験できない。

だから、自分でないものを体験しているときは、体験に失敗しているのではなく、真の自分を体験する途中なのだと理解しないさい。

 (中略)

 人生で「失敗」と呼ぶものが訪れたら、愛情をこめて抱きとりなさい。非難したり、間違っていると決めつけたりしないように。抵抗すれば相手はかえって強くなるが、見つめれば消える。幻想のかたちがなくなる。ありのままの現実が見えてくる。真の自分自身が見えるように。

 

 

昨日、私のなかにヤミ子が登場した。

(ヤミ子って何?と思ったあなたは、こちらの記事を読んでねニコニコラブラブ

 

 

 ヤミ子にもさまざまなバージョンが存在するが、昨日のヤミ子は、

「自分が辛酸をなめている体験を、他人にも味あわせてやりたいニヤリくっくっく」という、ひがみ根性丸出しの意地悪なヤミ子であった。

といっても、昨日のヤミ子登場のきっかけとなった”辛酸をなめている体験”は、まったくもって大したことではないので、他人を同じ目にあわせる、といっても、ささやかな意地悪にすぎない。きっと、誰でも罪悪感なく日常的にしている行為だろうが、「マスターを目指す」と公言している身である私は、どんなにささやかな心の闇も放置する気は毛頭ない。ヤミ子の登場を手ぐすね引いて待っていた私は、(来た来た来た~!)と歓喜の声を上げ、

「よく来てくれたね~待ってたよ!じっくり話を聞こうじゃないの!ささ、こっちへ来て、お茶菓子も用意してあるからゆっくりしてってねラブラブ

とお得意の妄想で、脳内にヤミ子を招き入れた。

すると、ヤミ子は泣きべそをかきながら、今までの人生のなかで報われなかった様々な出来事をあげつらね、その時々に感じた悔しさや情けなさ、悲しさを赤裸々に訴えはじめた。

 

 この、人生で報われなかった様々な出来事は、私自身もよ~く認識していることなんだけれど、自分自身がその感情を反芻して手放そうとするより、擬人化した、私とは別の存在のヤミ子が傷ついている、と妄想するほうが、ずっと優しい、愛しい気持ちになれるから本当に不思議だ。

 「そうだよね、あの時も、この時も、その時も、悔しかったよねえ・・・うんうん。」と言いながら

ヤミ子をよしよしし、抱きしめた。

すると、何ということか、さっきまでの意地悪な感情はきれいさっぱり消え去ってしまい、新たに、

「私に関わっている全ての人に、感謝の意を込めた恩返しがしたい!」

という真逆な感情が、むらむらむらっと湧き起こった。

 

 

 人生で「失敗」と呼ぶものが訪れたら、愛情をこめて抱きとりなさい。非難したり、間違っていると決めつけたりしないように。抵抗すれば相手はかえって強くなるが、見つめれば消える。幻想のかたちがなくなる。ありのままの現実が見えてくる。真の自分自身が見えるように。

 

 

まさに、これじゃ~ないですか!

 

自己啓発・霊的成長に長年チャレンジし続けてきた私にとって、負の感情が湧きおこることは、成長が失敗している、うまくいっていないことの象徴だった。なので、そのたびに、

「違う違う、これは私じゃない、本当の私は愛なんだから!」と言い聞かせては、理想と現実のギャップにもだえ苦しむ、という、とんだ遠回りをしてきたわけなのだが、ようやっと、齢50を過ぎて、神様のメッセージが本当に本当に腑に落ちてきたのは、何と喜ばしいことか!

 

 

 何かが「思い通りに進む」のが成功ではないし、何かが「思い通りに進まない」のは失敗ではない。それどころか、長い人生を生きていれば、逆こそ真だと言いたいことがあるはずだ。

(中略)

 失敗という幻想は成功の喜びを体験するために必要だ。もし、すべてに「成功」していたら、あなたは何の成功も体験できないだろう。ただ、何かをしていると感じるだけで、それが成功だとはわからないし、真の自分という驚異も栄光も体験できない。世界には、それに気づくための相対的な関係性の場がないのだから。

(中略)

 実際には失敗はない。成功が、様々な側面を表す成功があるだけだ。また、神でないものもない。唯一の神が、様々な側面を表す神があるだけだ。

(中略)

 この単純な見方がすべてを変える。これがはっきりとわかれば、たちまち感謝と驚異の念がわき起こるだろう。

 人生のすべての「失敗」に対する感謝、そして与えられた宝物に気づくまでに、どうしてこんなに長くかかったのかという驚きが生じるだろう。

そして、「わたしは天使以外の何もあなたがたのもとへ送らなかった」、また「わたしは、奇跡以外の何もあなたがたに与えなかった」という言葉の意味がようやく理解できるだろう。

これが理解できたとき、成功しないことは決してありえないと気づくだろう。

 

 

失敗を恐れたり回避したり忌み嫌うことは、成功への道を自ら閉ざすことになる。人生のすべての失敗に感謝することは、それなしに成功の喜びを味わう体験は不可能だからだ。

昨日、ヤミ子が気づかせてくれた小さな心の闇は、心からの喜びと受容と祝福と愛と感謝(神の5つの姿勢)で対処しているうちに、見事に闇から愛へ昇華した。

すべての環境、経験が宝物であることを、理屈だけでなく実体験で認識することこそ、神様と私の共同作業なのだ。人生が神と二人三脚であるなら怖いものなどあるはずもない。

これからも、私の人生に、一見失敗に見えるかのような出来事は、何度も訪れるだろうが、そのたびにもろ手を挙げて大歓迎してやるぞい!と、心に決めた私でありました。

 

 

あなたは〈マスター〉への旅の途上にあり、一体性に戻ろうとしている。

やがては永遠へとつながる無数の人生の何百万もの瞬間に、何千もの方法で、自分自身の魂のなかで、神の驚異と栄光を知り、それを自分を通じて自分として表現するようになるだろう。

 

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ