ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”わたしは光であり、光を創造し、光を可能にする闇である”

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今年の日本の冬至は12月22日だが、巷では、この日が大変重要なターニングポイント?になるとささやかれている。

 

なんだか2012年12月を思いだしてしまう。

この時もアセンションアセンションと騒がれていて、日本や世界の情勢にうんざりしていた自分は、人類なぞどうなってもいいから、地球が次元上昇しますように!と心底願っていたのに何も起きなくて、激しく落胆した記憶がある。

まあようするに、当時の自分は、喜びに満ち溢れた日常を送るというよりは、闇の横行する世界のあり様に対して、常にフラストレーションを抱えて生きていた。そして、近視眼的な世間に対しても、「何も気づかない・視野の狭い人たち」といった、やや非難めいた感情を持っていた。

ちょうど、2012年12月に衆議院議員選挙があり、自民が圧勝してしまったので、

アセンションして争いや環境破壊のない地球になるどころか、真逆の方向へ突き進むことになるなんて、この先、日本は、世界は、暗黒時代に向かうのか?ショック!黄金時代が来るなんて到底信じられない。どうなっちゃうのこれから。」・・・・と12/16の日記に記されている。

 

こうしてみると、当時と今の状況は似たり寄ったりだ。パッと見、世界情勢はどんどん悪くなる一方としか思えない。緊急放送が稼働しないので、大方の日本人は、世界統一政府の実現に向かって着々と誘導されているとも知らずに、人間の尊厳を奪う政策に黙って従っている。

「まじめに言うことを聞いてさえいれば、いつか元の生活に戻れるだろう」と信じて疑わず、いつのまにか非日常が日常にとって代わるとは夢にも思わずに。現にマスク着用は「日常」になってしまった。このままだと、数か月おきのワクチン接種も日常になってしまうだろう。

 

政府の横暴な抑圧政策に反旗を翻した庶民による、諸外国の大規模なデモの様子をSNSで観るにつけ、

「緊急放送なくてもさ~フランスだのイタリアだの、こんなに大勢の人が気づいている国はいいだろうけど、日本人は、自然に目覚めるとかって、絶対無理じゃないの?😫💦」

と、外出しては、相変わらずマスク着用率ほぼ100%の人達に対し、どうしても軽い落胆を覚えずにいられなかった。

 

しかし、私は2012年の自分と同じではいけない。

アセンションとは、ぼけーっと何か起きるのを指をくわえて待っていることではなく、千載一遇のチャンスを活用して自分の波動を爆上げすることだ(注:私個人の解釈)。

なので、何年何月に世界はこうなるだのなんだの、この手の情報は、積極的に取りに行かないと決めた。予言はあくまでも予言であり、予言を公表したとたんに、それを知った人の意識によって、現実化する可能性は変動してしまうことは避けられないからだ。

私の場合、予言を知ると、ついつい「待ちの姿勢」になってしまう。しかし、変化は「待つ」ものではなく、「起こす」ものだ。これを回避するためには、取りこむ情報は自分にとって有益か・無益か、見きわめて厳選することが大事だ。

 

それから、気づいていない人に対する見方も、2012年当時のように、

「残念な人たち」と見ることを止めなくてはいけない。みな、それぞれ一人ひとりが、自分の目覚め・成長にとって、最も適した状況に身を置いているのだ。ワクチンを打った事により、ひどい副作用に苦しんだり、身内を亡くして辛い思いをすることが、その人にとって目覚めを促す最善・最速(当人は最悪と思うでしょうが)の環境なのかもしれない。個人個人の目覚めの旅に、いちゃもんをつけたり、批判したり、快く思わないのは、はっきりいって

「大きなお世話」なのだ。

 

和を重んじる日本人、というと聞こえはいいが、ただ単に「自分を押し殺してでも、他人様に迷惑をかけてはいけない」という教えから逃れられないだけ?かもだが、どちらにしても、そのあり方が、

「ほんとうの自分に反しているのでは?」という疑問を抱くようになるために、大勢の日本人が今の状況に身を置き、自身の創造行為に邁進しているのだ。私にできることは、やはり、彼らを全面的に尊重し、受け入れ、私がこうなってほしい人物像を押し付けるのではなく、彼らがなりたいと望む人物像が実現するよう、祈るだけだ。

 

ほんとうの自分を思い出す、というのは、ありとあらゆる選択肢の中から、経験したい感情を呼び起こす環境をつくり出し、実践し、もう十分だ!となったら、また別の経験を呼び起こすことを何度となく繰り返すうちに、だんだんと全なるものである神に還っていくことに他ならない。良くも悪くも、全ての経験が神へとつながっているのだから、ようするに、

「すべて完璧」

なのである。

 

 

わたしは神である。わたしは女神である。わたしは至高の存在である。存在するすべてである。はじまりであり終わりである。アルファでありオメガである。わたしは太陽であり物質である。問いであり答えである。上昇であり下降である。左であり右、現在であり過去、未来である。

わたしは光であり、光を創造し、光を可能にする闇である。わたしは限りない善であり、善を「善」たらしめる「悪」である。わたしはそのすべてであり、存在するすべてである。そして、わたしは自分のすべてを経験せずに、一部だけを経験することはできない。

そこが、あなたにはわからない。あなたは、わたしをひとつに決めたがり、べつのものではないと思う。高いのであって、低くはない。善であって、悪ではない、と。しかし、わたしの半分を否定すれば、自分の半分を否定することになる。それでは決して、ほんとうの自分にはなれない。

わたしは荘厳なる「すべて」であり、自分を経験的に知りたい。あなたを通し、存在するすべてを通して、わたしは自分を経験する。自分の選択を通じて荘厳なる自分を体験する。選択はすべて自己の創造だ。どの選択も自己規定だ。どの選択もわたしを「表して(represent)いる。つまり、わたしを「ふたたび存在させて(re-present)」いる。いまこうあろうと選択したわたしを存在させる。

だが、選択肢がなければ、荘厳であるという選択もできない。わたしの一部が多少とも荘厳さに欠けていなければ、荘厳な部分を選択することはできない。あなたの場合も同じだ。

(中略)

わたしの最大の望みは、自分が何者であるかを体験することだ。しかも、それはわたしではない場(スペース)を通してしか経験できない。

そこで、わたしはわたしではないものを創造した。自分を経験するためだ。

しかし、わたしは創造するもののすべてである。したがって、わたしではないものもわたしだ。

サンマーク出版:「神との対話③」より引用)

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私たち人間も、自分ではない場を通してほんとうの自分を体験する。全面的な自由=愛であることを経験するために、抑圧された環境に身を置き、不安や恐怖に苛まれる。「愛」しか存在しない状況下では、愛を体験できないのだ。だからこそ、全てのモノ、人、環境が、聖なる贈り物なのだ。

このことを、ついつい忘れてしまうけれど、この年末差し迫った12月にこそ、神様からの最大の贈り物として、いま自分の周囲にある、すべての「自分じゃないもの」に対して感謝することを忘れずに生きよう、と思うワタシでありました。

 

これが少しでも達成されれば、少なくとも2012年12月の恨み節満載の自分とは違う、バージョンアップした自分に・・・なれるかな?!

 

 

お読みくださりありがとうございます。☺️💖

全てに感謝✨