ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”あなたはわたしである。あなたは神を規定している”

 

太字:サンマーク出版神との対話③」より引用

 

人生のすべては、あなたがどんな存在になりたいかで決まる。たとえば、あなたがすべての他者と「ひとつ」になりたいなら、具体的に「ひとつ」であることを体験し、示せるように行動するだろう。そういう考えで行動すれば、結果として他者のためではなく、自分のためにしたのだと感じるだろう。ほんとうの自分として何を求めるにしても、同じことだ。愛があふれる存在になりたいなら、ひとと一緒に愛があふれる行動をするだろう。ひとのためではなく、ひとと一緒に。

このちがいに注意しなさい。ニュアンスのちがいをくみとりなさい。自分のために、ひとと一緒に愛があふれる行動をする。それによって、あなたはほんとうの自分についていだく最も偉大な考えを現実化し、体験する。

だから、他者のために何かをするというのは、ありえない。あなたの決断という行為(act)は、文字どおり演技(act)だから。あなたは演じている。ある役割を創造し、その人物になる。ただし、これはふりをするのではない。実際にその人物になるのだ。あなたがた人間がどんな存在になるかは、自分で選択して決めている。

(中略)

自己に対して誠実で、自己を裏切らなければ、ひとに「与える」ように「見えて」も、実際には「受けとって」いることがわかるだろう。じつは、自己に与えているからだ。

じつは他者に「与える」ことはありえない。理由は簡単で、「他者」というものはないからだよ。われわれすべてが「ひとつ」なら、あるのはあなただけだろう。

 

 

 

ここで、神様が言っている「ひとと一緒に」というのは、たとえば「被災者のために、私と一緒に募金活動をしましょう!」などという意味ではないと思われます。

愛があふれる存在になりたい場合、愛を注ぐ対象となる人・モノ・動物etc・・・が存在します。その対象がたとえどんな存在であろうとも、例えば、極悪人だったとしても、どうにもそりが合わない兄弟だったとしても、苦手なゴキブリだったとしても、一緒に地球上にいる、その存在との関係性のなかで、「愛あふれる自分」を共に創造するのだ、ということだと私は解釈しています。極悪人は、会ったこともない私が、地球の反対側で自分に愛を送っていることなど、微塵も感じていないかもしれません。けれども、その極悪人は、私が残虐非道な犯罪者に対して愛の感情を持つことができるかどうか、のレッスンのために一役買ってくれているわけであり、大きな意味で言えば地球上の愛の拡大に共同で取り組んでいる、と言えるのではないでしょうか。

 

しかし、私は、3人息子の子育て中、大きな失敗をやらかしました。(基本的には失敗というものはなく、成功へのプロセスにすぎませんがあせる

息子たちを無条件の愛でもって愛そう、愛そうと必死になればなるほど、それができない自分が露見してしまい、鬼母の自分を責め続け、何年間も地獄のような毎日を送ってしまったことです。ブログのなかでもそのあたりのことを以前に取り上げていますが、↓

 

 

その原因は次の神様の言葉のなかにあります。

 

 

 

ほんとうのあなたが自己を愛さない存在だとしたら、そして虐待され、傷つけられ、破壊されるままになる存在だとしたら、そういう経験につながるふるまいをしつづけるだろう。だが、ほんとうは親切で思いやりがあり、心づかいをし、分かち合い、共感と愛にあふれる人間なら、その相手に自分自身をもふくめるはずだ。それどころか、まず自分から始めるだろう。自分を第一にするだろう。

 

 

 

私は、当時(20年以上前)から神との対話を読み込んでいましたが、「自分を第一にする」ことをすっ飛ばしてしまったので、「愛あふれる人間になろう!」という目論見はことごとくうまくいかず、自己卑下に拍車がかかり、様々な要因とあいまってしまいに鬱になる・・・・という、さんざんな経験をしてきましたので、声を大にして同じことばかり言います。

 

「誰よりも何よりも、自分をいちばんに、第一にしましょう~!!!!」

 

私は、自己愛が欠落していたために、子育てに疲れて、イライラして、もういやだ!と思っても、「同じような状況でも、しっかり子供と向き合って子育てしている母親はごまんといるのだから、自分がイライラしたりするのは、単なる甘えで、もっと懐を大きくする努力をしなくてはいけないのだ」と自らに言い聞かせ、どんどん自分を追い詰めてしまっていたのでした。

 

 さて、光と闇の戦い、とよく言いますが、それは、自分の外側の世界のことではなく、実は、自分の内側に存在する光の部分と闇の部分のどちらを自分は選択するのか?

毎日、毎時間、毎瞬、無意識にではなく、愛と光の自分を選択する、という作業にどれだけ真剣に取り組んでいるのか?

その戦いこそが、自分が見ている外側の世界にそっくりそのまま反映されているのではないでしょうか。

 

「わたしは光側の人間・あの人は闇側の人間」と分けたがるのもわかりますが、闇だけ、光だけしか持ちえない人など存在しません。闇に落ちることも、光あふれるマスターになることも、その両方の可能性を、すべての人間が持ち合わせているのです。そしてどの可能性を選択し、創造するのか決めるのは、紛れもない「自分自身」なのです。

誰かが、闇を選択していたとしても、その人自身の学びだったり、他者の目覚めを促すためにあえてそうしているのかもしれないのだから、批判するのではなく、認め、受け入れ、感謝することができたら・・・・最強ですね!

 

 

 

あなたはわたしである。あなたは神を規定している。

わたしはあなたを──祝福されたわたしの一部を──物質的なかたちとして送り出し、概念として知っている自分を経験的に知ろうとした。生命は、概念を経験に変える神の道具(ツール)だ。あなたにとっても同じことだ。あなたは経験する神なのだから。

わたしは一瞬ごとに、自分自身を選択して新たに再創造している。ほんとうの自分についていだく最も偉大なウィジョンの最も壮大なヴァージョンを選択し、経験する。

わたしがあなたを創造したのは、あなたがわたしを再創造できるようにするためである。これがわたしたちの聖なる仕事である。これがわたしたちの最も偉大な喜びである。

これがわたしたちの存在理由である。

 

 

 

さて、今日は自分のなかのどんな神様を経験しようかな?

 

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ