ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”自分自身を定義するのは、自分ではないものによってだ”

※以下太字は、サンマーク出版神との対話①」より引用

 

神は、愛が存在するためには──そして純粋な愛である自分を知るためには──対照となるものが存在しなければならないことを知っていた。正反対のものが存在する必要があった。そこで、神は偉大なる極──愛の絶対的対極にあるもの、愛ではないあらゆるもの──を創りあげた。それが現在、「不安」と呼ばれるものだ。不安が存在した瞬間、愛もまた、体験しうるものととして存在しはじめた。愛とその対極、この二元性が、人間のさまざまな神話で言われる悪の誕生、アダムの堕落、悪魔の反抗などである。

あなたがたは、純粋な愛を人格化して神と呼び、恐るべき不安や恐怖を人格化して悪魔と呼んだ。

地上のある者は、この出来事を中心とした神話を完成させようとして、天使軍と悪の戦士、善の力と悪の力、光と闇の戦いのシナリオを付け加えた。

 

 

コロナ茶番デミックの目的は、人口削減であったり、人類に不安と恐怖をより一層植え付けることによって、生き延びるためには徹底的に管理・統制されるしかないのだ、と思い込ませることにあるようです。一見、「不安」というのは闇側が自分たちがうまい汁を吸い続けるためにつくりあげた悪いものでしかない、という印象を受けますが、神様は、愛をただ知っているだけでなく、体験するために不可欠な対極の存在として「不安」を自ら創りあげたのだ、と言います。

そもそも、「闇側は悪魔だから神とは相反するもの」ではなく、光も闇も天使も悪魔もなにもかも、発祥は「神」から、ということなのです。

 

 

神は宇宙を分割することによって、見えるもの、見えないものを含めて現在存在するすべてのものを、純粋なエネルギーから創り出した。

(中略)

自分自身を分割したわたしの聖なる目的は、たくさんの部分を創って自分を体験的に知ることだった。創造者が、「創造者である自分」を体験する方法は、ただひとつしかない。それは、創造することだ。そこで、わたしは自分の無数の部分に(霊の子供のすべてに)全体としてのわたしがもっているのと同じ創造力を与えた。

(中略)

何かを知ることと体験することはべつものだ。霊の子供たちは自らを体験的に知りたがった。(わたしがそうだったように!)知識として知るだけでは、霊の子供、あなたがたにはものたりなかった。そこで、わたしは計画を立てた。宇宙のすべてのなかでも、とりわけ思いきった計画だ。そして、すばらしい共同行為だ。共同行為と言ったのは、あなたがたも私に協力するからだ。その計画のもとで、純粋な霊であるあなたがたは、創造されたばかりの物質的な宇宙に入る。概念として知っていることを体験として知るには、物質的な世界で経験するしかないからだ。そもそも、物質的な宇宙秩序を創った理由はそこにあった。宇宙を律する相対性のシステムを創った理由も、すべての創造行為の理由もそこにある。

物質的な宇宙に入れば、自らについて知っていることを体験できる。それには、まず、対極を知らなければならない。簡単に言えば、背が低いということを知らなければ、背が高いということはわからない。やせているということを知らなければ、太っているということはわからない。

つきつめて言えば、自分が何であるかを知るためには、自分ではないものと対決しなければならない。これが相対性の理論の目的であり、すべての物質的な生命の目的だ。自分自身を定義するのは、自分ではないものによってだ。

 

 

 

コロナ茶番デミック禍である今、大衆が二極化している、とよく言われます。メディアはフェイクニュース垂れ流しの洗脳装置だ、コロナは茶番だ、ワクチンは危険だ、と気づいている人たち。一方で、テレビ・新聞の報道を信じ、コロナウイルスの蔓延を防ぐために新しい生活様式に真面目に従い、我先にとワクチン接種を予約する人。

 

私は結婚後、環境問題や平和運動に関わるようになって、世界が、地球が、完全におかしくなってしまう前に何とかしなければ!という激しい焦燥感から、家族や友人知人に自分の得た知識・情報を一生懸命伝えました。中には共感してくれる友達もいましたが、大多数の人は圧倒的に「無関心」だったことから、虚無感・無力感・絶望感だけが残り、その後は情報を人に押し付けることをやめ、細々と一人でできることだけを続けていました。

 

が、そんな私ですら、このコロナ茶番デミックに関しては黙っていられなくなり、家族だけは何とか洗脳を解きたい!と強く思いまして、ネットから得た情報をしょっちゅう身内にライン・メール等で送っていたのですが・・・。まあ、なんということでしょうか!父も母も姉も弟も、義母も義父も、(わが息子たちは反応が薄いのでよくわからないあせる)私の送った情報に対し、「ありがとう!目が覚めたよ!自分たちはずっと騙されてきたんだね!ワクチンは絶対に打たないことにするよ!」などとは言わず、反社会的思想をもつ娘を案じる母、さっさとワクチンを打ってしまった義父、真っ向から意見が対立し、以前より疎遠になってしまった姉。

気が付けば、若かりし頃と同じ、私と同じ価値観を持つのは夫だけで、状況としては身内の中で孤立するようなかたちとなってしまいました。

けれども、これこそが、

 

自分が何であるかを知るためには、自分ではないものと対決しなければならない。これが相対性の理論の目的であり、すべての物質的な生命の目的だ。自分自身を定義するのは、自分ではないものによってだ。

 

ということではないでしょうか。

 

相反する人たちがいる、そのおかげで、私は、

 

・メディアをうのみにせず、自分の頭で考え、しっくりきた情報だけを「自分にとっての真実」と認識する。

・すべての出来事は、自分自身を思い出し創造するための、完璧な機会ととらえる。

・自分でないものが存在するおかげで私は自分自身を定義することができる、よって、すべての出来事・人たちを批判せず、感謝する。

・「すべて完璧」と知っているから、何が起きても何があっても不安を抱かない。

・行動によって世界を変えるのではなく、自分の在り方を自分自身のために変える。

 

こういった人間であろうという意志をもち、それを成し遂げようとすることができるのです。

(もちろん、まだまだ発展途上ですよ!)

コロナのことがあって、20年以上前と同じようなことをくりかえした私ですが、この体験が、私をより強く、大きく成長させてくれました。長年読み込んできた「神との対話」シリーズで得ていた知識を、単なる知識ではなく、心の底から実感として体験できたのは、コロナ茶番デミックのおかげ、と言っても過言ではありません。

もちろん、「神との対話」を読み始めたばかりのころも、自分を霊的に成長させようと様々なことをしましたが、ことごとく自己卑下へとつながってしまい、当時はよく神様への恨みつらみを日記に書きなぐっていましたね・・・あせる。いまとなっては懐かしい思い出です。

 

私たちは、変化しつづけ、成長しつづけます。遠回りに見えたり、ついてない、運がない、災難としか思えない、そんな出来事ほど、成長が促進され、ほんとうの自分に近づいていくのではないでしょうか。ほんとうの自分を思い出す人が増えれば増えるほど、その光が周囲に伝わって、不安が愛に昇華していく・・・・どんどん光り輝くキラキラした地球になる、そう信じています。

 

そうと知っていれば、これから先どんなことが待ち受けていようと「ばっちこい!」と思える、

最強のなかの最強に・・・なれます!よね!

 

 

自分自身を創らないという経験があってはじめて、自分を創ることができる。「何かである」ためには、まず「そうではない」ことを体験する必要があるからだ。わかるかな?

(中略)

もちろん、あなたがたには、自分ではなくなることなどできない。あなたがたはもともと、神の子供、「純粋な、創造的ないのち」なのだから。そこで、あなたがたは次善の方法をとった。自分が本当は何者であるかを忘れたのだ。

物質的な宇宙に入った時、あなたがたは記憶を捨てた。忘れることで、単に王国の城で目覚めるのではなく、自分が何者であるかを選べるようになった。

(中略)

すべての選択肢、それが神である。だが選択肢のすべてであれば、選択の余地はない。あなたがたはどんなに努力しても、わたしの子供でなくなることはできない。だが、忘れることはできる。

あなたがたは、これまでも、そしてこれからもつねに、神聖なる全体のなかの部分、身体の一部、手足、メンバーだ。だからこそ、全体に戻ること、神に戻ることは思い出すこと(リメンバランス:remembrance)と呼ばれる。あなたがたは自分が何者であるかを思い出す。あるいは自分の各部を寄せ集めて、自分のすべてを、すなわちわたしのすべてを体験する。

したがって、地上でのあなたがたの仕事は、自分が何者であるかを学ぶことではなく(すでに知っているのだから)、思い出すことだ。そして、ほかのみんなが、何者であるかを思い出すことだ。だから、ほかのひとにもそれを気づかせること、思い出すようにしむけることも大きな仕事のひとつだ。

いのちの真実を知っているすばらしい教師はみんな、そうしてきた。それが、ただひとつの目的だから。魂の目的だから。

 

 

 

わたしたちが何を選ぼうと、神様の子供であることに変わりはない。

無際限の愛に包まれているのだから、安心して、自分らしく生きていきましょう!

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ