昨夜、ダンナと夕飯を食べているときにふとたずねてみた。
「ねえねえ、あなたは仕事中とか食事中とか、何か作業したり行動している時って、そのことだけを考えてる?それとも違うことを考えてる?」
ダンナの答えは、私にとって衝撃的だった。
「ん~、たいていは、してることの事しか考えてない」
ガーーーーーーーン
目の前のこと、つまり自分が今、ここで何をしているかに集中し、感じつくすことは瞑想になりうると、「神との対話」の神様は何度も教えて下さったが、私は普通の瞑想、いわゆる座って目を閉じ、深い呼吸をして雑念を消すという行為も、次から次へと間欠泉のように湧きあがってくる雑念が一向に落ち着かなくて、苦労している上に、日常生活においても、していることとは全く関係のないことを妄想しているのが常だ。
掃除中も、料理中も、運転中も、思考はフラフラとさまよい、作業とは関係のない明日の事とか、昨日の事、夕飯のメニューどうしよう、とか、まあようするに、心は「いま、ここ」になく、まさに「心ここにあらず」の状態。
妻が、瞑想状態になることに、日々こんなに苦労しているというのに、そんなことをまったく知らない夫は、いとも簡単に日常生活が瞑想状態だとあっさりのたまったのだ。
「え、じゃあ、犬の散歩中は?」
(私は歩きながらも妄想が止まらず、「はっ!いけない、いけない、いまここ、いまここ」と、意識を何度戻すことか・・・)
「あ~そういえば、仕事の予定を考えてるな。でもこれは、犬の散歩の時間は、あえて仕事のスケジュールをくみたてる時間にあててるからそうしてるだけ。」
またしても、ガーーーーーーン
つまり、ダンナは完全に自分の思考をコントロールしているのだ。
思考コントロール不能の妻に、自分の思考の動きをほぼ完全に掌握している夫。同じ人間だというのにこれほど脳内環境が違うとは・・・・・!ショックである。そもそもスピリチュアルに関心がないダンナだが、確かに、日常生活のなかで瞑想状態になることを、苦もなく、しかもそれを意識することもなく、あたりまえにやってのけているのだから、わざわざスピリチュアルを学ぶ必要もなかろう。
じゃあ、わたしゃ、一体何のためにこんなに苦労しているのか!ゼロからの出発というより
マイナス100くらいからのスピリチュアル道探究は、壁にぶち当たることばかりで、何十年も凹みっぱなしだった。
ハッ、これはもしかして・・・・。
これから考えること、口にすること、行うことのすべては人類を目覚めさせるためだと意図するなら──すべてはあなた自身の進化の旅で前進するための自己表現の一部なのだが──あなたは違うレベルの結果を目にすることになる。
(中略)
あなたがたは自分が何者なのかを知っている。なぜなら、ここに来たのだから。他者を目覚めさせることは偶然にはできないし、すばらしくはあるがとくに狙った結果ではないという具合に実現できるものでもない。それは、ここで差し出されている招待を自ら受け入れるすべてのひとたちの個人的な進化の意図した効果として、達成される。
こうしたすべてを実行する方法のひとつは、自分自身の成長──それに成長を達成するための苦闘──を広く示し、手本にされるようにすることだ。
(中略)
あなたがたのすべてが個人的な進化のプロセスを他者に見せるなら、それはすべての人々が進化のプロセスで前進する手段になる可能性があるのだよ。
そして、いまこそ前進するのに絶好のときではないか。
でも、誰かがそうしようと思い立ったら、ついつい偉くなった気になってしまうのではありませんか?自分が人類の希望の星だと考えるほど、妄想をたくましくしたくはないなあ。
(中略)
はっきりさせておこう。これは自分が完璧な手本だ、優れた進化の事例だと宣言して回ることではないのだよ。単に自分の個人的選択を隠さず、充分に目覚めるための苦闘についても、進歩についても、真の自分を世界に示すことだ。
自分の個人的、内的なプロセスは他の誰のためでもないし、もちろん「世界を救う」ことを目的にしているのでもない。そうではなくて、個人的、私的な進化をできる限り前に進めることだと、心のなかでほんとうに正直に、つつましく認識するなら、そしてあなたの立ち振る舞いの変化について尋ねる誰にでも──なぜなら、人びとはきっとそこに気づくからね──静かにそれを分かち合うなら、いまあなたが言ったようなことにはならないだろうね。
そして、自分の「不完全さ」をほんとうに正直に、つつましく受け入れるなら(私は今のままのあなたを完璧だと見ているが、しかし、そのことはもっと後で話そう)、自分は進化の「途上」にいて、完全にはほど遠い人間だと自分でも思い、ひとにも告げるなら、やはり、いま言ったようなことにはならないだろう。
人類を目覚めさせる助けになろうという招待を受け入れる決意の目的が、何らかの指導者になることではなく、自分が内なる深みからの指導に導かれてきたのだと、そしていま人間としてべつのあり方が──自分にとっても他者にとってももっと有益であろうとつつましく努力するあり方が時──見えたのだと、シンプルにつつましくひとびとにも告げるなら、自己を過大評価することは決してないだろう。
この神の言葉に、ニールさんは、
自己を過大評価しないかわりに、過小評価して、「自分はこんなに不完全で進化していないから、目覚めようと試みる価値もなく、ましてや他者を目覚めさせようとするなんてとんでもないと感じてしまう」と正直に言います。
あなたやほかのひとたちが不完全と呼ぶものが、あなたがたすべての完璧さの一部であることが見えるなら──ついでだが、ほかのあらゆるひとたちの「不完全さ」についても同じ見方をしなさい──あなたや人生でふれあうすべてのひとたちに役立つすばらしいバランスを創り出せるだろう。
そのバランスのおかげで、三つ目の招待を受け入れるひとたちすべては、ありのままの自分を愛せるようになる。成長し、もっと進化しようと、日々つつましく努力しながらでもね。それに、ほかのひとたちにも同じことをするように促すことができるだろう。
あなたがたは成長し進化する美しい存在だ。以前にほかの対話で何度も言ったとおりだよ。神があなたがたを見るように、あなたがたが自分を見るなら、あなたがたはたくさん微笑むだろう。
自分の進化失敗談なら、ネタが尽きることなく、永遠にブログを書けるほどてんこ盛りにある。
そうか、私がこれほどまでに、霊感・ヤマ勘・第6感がなく、瞑想は迷走しまくり、20代から神だのなんだの追い求めた割にはこの程度しか?進化していない理由は・・・・!!
今生の使命が、万人にとっての霊的進化の生きた反面教師となることだからなのか!?
だったらかなり自虐的でもあるが納得がゆく。
波動を上げるとか、霊的に進化するとかって言っても、小難しく考えることないのだと、私の生々しい失敗事例を知れば、誰もがそう思うことだろう。
しかも、どんなに失敗をくりかえそうが、時には後退しようが、神様は、
あなたがたは成長し進化する美しい存在だ。
と言ってくださるのだ!ううう・・・
・・・そんなわけで、ちょっとした悪い習慣がなかなか改善されず、今日は落ち込んでいた私だが、この遅々とした進化をもっとウリ?にしてブログを書くのもいいかもなあと、思ったのでした、乞うご期待?ちゃんちゃん!
というわけで、今回はちょっとテイストを変えてお伝えしました!
次回どうなるかはその日の気分次第かな?
お読みくださりありがとうございます。
すべてに感謝