ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”邪悪に抵抗しないこと。抵抗すれば相手はますます強くなる”

 

コロナ茶番デミックが始まってから、そもそも月に数回の派遣の仕事に行くだけの主婦だった私は、一層自宅に籠るようになり、人と会う回数が激減した。

日常的に接するのはダンナと犬猫(←人じゃないしあせる)、宅配便や生協の配達員、週1程度の買い物先ですれ違う人々。あとは、沖縄に来て一番心を許している大切な友と、1~2か月に1回ほど会う。ホントにこれくらいで、非活動的といってよいレベル。まあ、定職を辞めてから、そんなに頻繁に人と会うことも多くはなかったのだけれど。

 

 そんな状況下で、このブログを書き連ねながら、おのれの霊的成長を目標に掲げ、実践することは、ある意味、

「霊的進化・マスターへの道:らくらくコース」だったのかもしれない。だって、自分が不愉快になるような人とは全くと言っていいほど会わないのだ。見て不愉快になるようなテレビは観なければいいし、ネットから得られる情報で、一喜一憂しながらも、「外側の情報で在り方がころころ変わるようではまだまだね!」なんて思いながら、そういったニュースにもいちいち過剰に反応しないスキルも身に着けることができ、心穏やかな、愛ラブラブと光キラキラ状態を比較的キープできるようになってきて、(うふふ・・・私もそこそこ成長したかしら)とほくそ笑んでいた・・・・のにのに。

 

 これはとんでもない思い違いだったことが判明した。

私は、ただ単に「らくらくコース」を終えただけで、どうやら自分で知らぬ間に、次のステップ、

「霊的進化・マスターへの道:悶々コース」に移行してしまったようだ。

悶々コースってなんじゃそりゃ、って思われるだろうが、やたらと最近悶々してしょうがないのだ。その理由は、自分のなかに残存しているネガティブな闇の部分が、これでもかこれでもかと現れ始め、気持ちが晴れ晴れせずに始終悶々しているというわけ。

9月から、ちょっとした新たなる行動を起こしたことがきっかけで、パンドラの箱がパッカリ開き、じっくり向き合うことを無意識に避けてきた、ヨーコの闇 №25(?)が、

「やっと日の目を見るときが来た!ヒャッホ~!」と飛び出してきちゃった・・・・そんな感じなのだ。

 

もう30年ちかくも自分の欠点と向き合ってきたつもりだったけれど、しかも、それなりに成長して、改善してきたつもりだったけれど、やはり、マスターを目指すと公言したからには、ほんのささやかな闇部分も、見逃してはもらえない(誰にじゃあせるあ、自分か)ようで、悶々するようになってから、正直言って苦悩している。

そこで私は、この闇部分に「ヤミ子」と名前を付けた。闇も光も自分なのだから、光ばかり優遇していたのでは、闇も浮かばれないだろう。まずは、闇をよく知り、丸ごと愛することが必要と思われるので、名前を付けて親近感を持つのが狙いだ。

そう、

 

神が私のもとへ送るのは、天使だけで、それ以外はなく、奇跡だけでそれ以外はない

 

ということは、ヤミ子も天使であり、こうなってしまった現状も奇跡なのだ。

ヤミ子を非難・否定し、逃げ回っていても状況は改善しない。

 

 

非難しないからといって、変えようとしないわけではない。非難しないからといって、肯定していることにはならない。ただ、批判を拒否するというだけだ。

批判しなくても、変えることを選択できる。

(中略)

祝福しなさい。敵を祝福し、迫害する者を祝福しなさい。彼らに最善のエネルギー、最高の考えを送りなさい。

すべてのひと、人生のすべての状況が贈り物で、天使であり、奇跡だと思えなければ、それはできない。

そう思えれば、すべてに感謝できる。

(中略)

感謝の姿勢がすべてを変える。何かに感謝するとは、抵抗をやめ、それを贈り物と認識することだ。たとえすぐには贈り物とは見えなくても。

さらに前にも教えたとおり、経験や条件、結果に事前に感謝することは、現実を創造する強力な道具であり、〈マスター〉のしるしだ。

(中略)

今度、問題だと思う条件や状況にぶつかったら、解決だけでなく、問題そのものに感謝を表明しなさい。そうすれば、すぐに見方が変化し、姿勢も変わる。

そのつぎに、(ニールさんの)お母さんがしたように祝福しなさい。最善のエネルギーと最高の考えを与えなさい。そうすれば、相手は敵ではなく友だちになる。あなたに抵抗するのではなく、支えてくれるようになる。それから受け入れなさい。邪悪に抵抗しないこと。抵抗すれば相手はますます強くなる。受けいれたときにだけ、相手を変えることができる。

相手を愛で包みなさい。どんな経験であっても文字どおり愛することによって、好ましくない経験を遠ざけることができる。ある意味では、「愛して死にいたらしめる」ことができる。

サンマーク出版:「神との友情 下」より)

 

 

神様の言葉をタイピングしながら、私はヤミ子の登場を、クラッカーとケーキでもってお祝いするシーンを想像した。あら?なんだか楽しくなってきた。そして、ヤミ子に感謝状を贈り、私の心からの謝辞を述べ、「よくぞ、出現してくれた!ありがとう~!」と抱きしめる様子も思い描いてみた。ヤミ子は、本当は光に昇華したいにちがいないのに、今まで私に長年無視され、ほったらかしにされてきて、イジイジしていたに違いない・・・・などと、どんどん想像(妄想?)が膨らんで、だんだんヤミ子が愛おしくなり、なんと、悶々がワクワクに変換されてしまった!!

 

上記の、「神との友情 下」からの引用部分は、私が大好きなメッセージで、頭のなかに内容はインプットされているが、今まで、あくまでも対象は、憎い人・嫌いな人・好かん芸能人・忌々しい政治家・カバール等々、もしくは、戦争・事故・病気・災害・犯罪・対立・・・・などといった、自分の外側に存在するものをあてはめて読んでいた。しかし、今回初めて、このメッセージの対象を自分の内側の闇に向けてみたら、こんなにも自分の感情がひっくり返ってしまったことに驚いた。さっきまでのしつこい悶々は消え去り、今、私の頭のなかでは、

「今度ヤミ子が登場したら、どんなふうに歓迎しようか、もてなそうか音譜

なんとヤミ子が待ち遠しいほどになっている。

これが、

 

 

祝福しなさい。最善のエネルギーと最高の考えを与えなさい。そうすれば、相手は敵ではなく友だちになる。あなたに抵抗するのではなく、支えてくれるようになる。それから受け入れなさい。邪悪に抵抗しないこと。抵抗すれば相手はますます強くなる。受けいれたときにだけ、相手を変えることができる。

 

 

といった現象なのか!とやっと心底納得することができた。

ヤミ子はもう友達である。今までは、友達面していながら、心のなかで、(もういい加減消えてくれ、あっち行って!)と思っていた。ヤミ子が現れるたびに気が滅入り、そのたびにその感情を打ち消そうと「ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・・」と、「祓いたまえ、清めたまえ・・・」さながらに、念仏のように唱えてはいたが、言霊の力より、私の想念のほうが強かったのか、いまいち効果が薄かった。

 

またしても、「神との対話」メッセージに気づきをもらい、救われた喜びに、さっきまでの悶々はすっかり影を潜めてしまったようだ。

もちろん、今日のブログ作成だけで、ヤミ子を完全に光に昇華させたことにはならないだろうけれど、もう私はヤミ子の登場が怖くない。もし、ヤミ子が登場したら、お得意の妄想で、最大のもてなしをしてやろう、そうだ、ヤミ子にも№によって個性があるので、それぞれの特徴をとらえて漫画化してみようかしらん(未定)・・・とまで考えられるようになった。

万一、ヤミ子の登場で不安に陥ったりしたら、またそれをネタにしたブログに書けばいい。

何回も何百回も、失敗すれば、それだけブログのネタにも困らないのだ。

 

 

人生が終わりだなんて、絶対に考えてはいけない。

毎日が、毎時間が、毎瞬が新たなはじまりで、新たな機会で、新たに自分自身を再創造するチャンスだということを忘れないように。

(引用元:同上)

 

 

お読みくださり、ありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ