ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

「死とは何か⑦」”死は存在しない”

 

※以下太字青字:サンマーク出版「神へ帰る」より引用

神へ帰る(サンマーク文庫)[ニール・ドナルド・ウォルシュ]

 

●思い出すこと──その七

死は存在しない。

 

だが、存在するとあなたが考えているのは知っているよ。だから、あなたにとっては絶対的に存在する。いま話しているのは、そういうことだ。

わたしたちは認識について、それに認識が生じる視点について話している。

(中略)

あなたの視点が──つまり、どのような見方をするかが──この生涯でも、その後でも、あなたの現実を創り出す。

 

すると、死後の世界はないと思っていれば、死後の生命はないってことですか?

 

いやいや、もちろんあるよ。「究極の現実」は変えられない。しかし、それをどう経験するかは変えられる。だから、わたしは言ったのだ──。

神なしで生きることも死ぬことも不可能だが、そうだと思うことは可能だ。

あなたが神なしで生きて死ぬと思えば、そのとおりの体験をするだろう。

その体験はあなたが望む限りは続く。自分が選べばいつでもその体験を終わらせることができる。

そこで──

 

●思い出すこと──その八

あなたは「究極の現実」を変えることはできないが、それをどう経験するかは変えられる。

 

 

確かに、いま世界で起こっているコロナパンデミックは、「これが茶番だ!」と思っている人たちにとっては、恐怖でもなんでもありません。マスクやワクチンは、身体の自己免疫力を下げるアイテムです。外出して気分転換したり、人と会うことを積極的に楽しみたいと感じます。

しかし、「コロナウイルスは、次々に変異する恐ろしい未知の病原体だ!」と思っている人たちにとっては、外出すること、人と接近することは恐怖であり、マスクやワクチンは感染を防ぐ重要なアイテムだったりするわけです。

同じ世界にいながら、個々の視点によって、体験が全然違う──さながら別世界の様相を呈しています。

私たちは、このパンデミックそのものに対し、個人の力で終止符を打つことはできませんが、

それをどう経験するかは好きなように変えられるのです。

けれど、死後までも、私たちの視点が経験を創りあげるのだとしたら──。

一人ひとりの死後の経験は全然違ったものになりますよね!

 

 

人間の経験としての「死」はあるんだ。

 

今の物理的な存在の終わりとしてはね、あるよ。

その経験はあなたの死のときに終わるが、しかし生命そのものは終わらない。もし神を信じているなら、永遠の生命を信じているはずだ。すべての宗教の神がそう宣言しているではないか。

 

もし、神を信じていなかったら?

 

あなたの経験が変わるだろうね。だが事実は変わらない。

あなたは信じることを経験するのであり、何を信じるかはどういう見方をするかに左右される。

 

「定番のコース」ってないんですか?誰にでも起こる、ってことはないんでしょうか?

 

「定番」の出来事はあるよ──しかし、あなたはそれが起こっていると気づかないかもしれない。

(中略)

死の瞬間、あなたは自分が信じていたことを体験する──それが真実だ。

あなたの信念の基礎とはあなたの認識で、あなたの認識の基礎はあなたの視点にある。

 

 

生きている間も、死後も、視点が現実を創造し体験する──そして、見方を変えようと決断すれば、体験は変わる、そう神様は説明します。

けれど、ニールさんは、もっと具体的に死後何が起きるのか知りたい欲求が抑えきれず、神様に答えを求めます。

 

 

まず、誰にでも同じことがひとつあると言っておこう。死は段階というか、局面を追って経験されるのだが、最初の段階は誰にとっても同じことだ。

第一段階の死の瞬間、あなたはただちに生命が続くことを経験する。これは誰にとっても同じだ。ごく短時間、自分がもはや身体には宿らず、そこから離れていることに気づいて、とまどうかもしれない。それからすぐに、自分は「死んだ」が、生命は終わっていないことがわかる。自分は身体ではないということに充分、それにたぶんはじめて気づくのが、この瞬間だ。

身体は自分が所有するものであっても自分自身ではない、ということを知る。

その後にたちまち死の第二段階に移る。ここでそれぞれの道が分かれる。

(中略)

第二段階では死後に起こると信じていたことを経験する。これは瞬間的に起こる。

たとえば輪廻転生を信じていれば、それまでは意識的な記憶になかった前世のさまざまな瞬間を体験するかもしれない。

無条件に愛してくれる神の腕(かいな)にいだかれると信じていれば、その体験をする。

最後の審判」や「真実が現れる瞬間」があって、その後に天国に行くか、未来永劫地獄に落とされると信じていれば──。

(中略)

期待どおりのことが起こる。

死の第一段階で自分はもう体に宿っていないと気づくと、すぐに第二段階に移り、予想したとおりに審判を受ける経験をするだろう。そして、その審判もまた想像していたとおりになるだろう。

自分には天国がふさわしいと考えて死んだなら、ただちにその経験をするし、自分には地獄がふさわしいと思っていれば、ただちにその経験をする。

天国はあなたが想像したとおりだろうし、地獄も同じだ。具体的な姿を描いていなかったら、その場で想像するだろう。それでただちにそのとおりの場が生まれる。

そして自分が望むあいだは、その経験にとどまるだろう。

 

 

三次元の世界と違って、あの世では瞬時に想像していたことがパッと創造できちゃうんでしょうね!だったら、「大好きな生クリームたっぷりの巨大ケーキバースデーケーキを嫌というほど食べたい」とか、「めっちゃイケメンとラブラブラブラブになりたい」とか、「豪邸に住んで、美女に囲まれた贅沢三昧のハーレム生活を味わいたい」とか、まあこの世で経験することが叶わなかった願いが、次々と魔法のように叶えられちゃうのなら、きっと、しばらくはあれもこれも、と面白おかしく色々な経験を楽しむのでしょう!

が、おそらく・・・・。すぐ飽きちゃいそうな気もしますね!どうかな?

そして、自己肯定感がめちゃくちゃ低かったり、罪悪感に苛まれて死んでしまった場合は、自分に楽しいことを経験させようとは思わないでしょうから、望んで地獄体験を選ぶのでしょう。

でも、どうせなら、生きている間に苦行体験は終わらせておき、いまのうちに自分の視点が経験を創る、ということをしっかり理解しておきたいものです!

けれども、もし望んでmy地獄体験を選んだとしても、それは離れたところから自分自身がどうなるかを眺めているようなもの──ビデオ講座を観ているような感じ、と神様は言います。

苦しんでいるように見えるけれど、眺めている部分は何も感じない、苦しみも悲しみもないのだと。

そしてやがて、その体験から自分を釈放するのだそうです。

 

では、死後どうなるのかについて、確信が持てない場合はどうなるのでしょう?

 

 

「死」の直後、あなたはもっとも愛情あふれる天使や道案内や、優しい霊(スピリット)に囲まれる。そのなかには人生で大切に思っていたひとたちすべての霊(スピリット)あるいはエッセンスも含まれる。

(中略)

この愛するひとたちや天使の存在はじつに大きな助けになり、何が起こっているのか、どんな「選択肢」があるのか「見当」をつけ、理解する手伝いをしてくれる。

(中略)

ほんとうにわくわくすることなのだ。それどころか生涯で最もわくわくする瞬間かもしれない。すべてはあなたの信念しだいだな。生きているときと同じく、死後もあなたは信じることを経験する。

たとえば、死ぬときに霊(スピリット)がいてくれるという経験をしないとしたら、それはあなたがそれを期待していないから、つまり霊(スピリット)の存在が信念体系の埒外にあるからだろう。

だが、愛するひとがいてくれることを強く願っていれば、すぐにその存在に気づくよ。

 

 

頑なに魂や霊の存在を否定していると、せっかく先にあの世に逝った優しいおばあちゃんが死後迎えに来てくれても、なかなか気づけない・・・・なんてことになってしまうのですね。

確固たる自分の信念を持つことはとても大事ですが、自分の持つ信念以外の事象に対しても心をオープンにしておくことも、大事なのかもしれません。

 

そして、「死んだら無になる」と思っている場合はどうなるのでしょう?

 

 

何も体験しないのさ。要するに何も存在しない。

それでも事態は進んでいくが、それを認識できない。たとえばいまあなたが眠っていて、まわりで事態が進行しているのと同じだよ。

(中略)

べつの何かを体験するためには、目覚めなくてはならない。

(中略)

この世での暮らしと同じで、永遠に眠りつづけることはない。死後の世界でも忘却の眠りを永遠に貪りつづけることはないんだよ。そういうふうにはなっていない。

魂は、愛するひとや天使の助けによって目覚めるだろう。そして、ここはどこなのか、どうして何もないのか、何があったのか、といぶかる。それから頭を働かせはじめるだろう。その瞬間に、魂は死の第二段階の意識的認識に進む。

 

 

頭が働きだしたら、あとはもう、考えたことが次々に目の前に現れるので、しばらくの間は、とまどったり混乱したりするようですが、「なんだこれは、誰か助けてくれ!」と思った瞬間に、愛あふれる存在が手助けしようと周りにいることに気づくそうです。

そうなれば、やっと、死んだら無になるのだと思い込んでいたのは間違いで、思ったことがどんどん実現する魔法のような世界だと理解して、なんでもやってみたいことを創造するのでしょう!

 

 

次回は、死の第三段階についての記事をアップしたいと思います。

・・・この先「神へ帰る」はだんだんと難解な部分にさしかかっていくので、どこまで続けられるかわからないけど、やれるところまでやってみま~す音譜

 

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ