ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”迫害者だと思うひとも、敵だと呪うひとも愛しなさい”

 

大切なのは、「してもらいたくなかった」と思うことをされたひとにも、「してほしい」と思うことをしてくれなかったひとにも、害を与えられてはいないということだ。

いいかな、もういちど言おう。

わたしは天使以外の何ものも、あなたがたに送っていない。みんな、あなたがたが真の自分を思い出すための贈り物、すばらしい贈り物を与えてくれた。あなたも同じだ。この壮大な冒険が終わるとき、そのことがはっきりとわかり、お互いに感謝するだろう。

いいかね、自分の人生を振り返って、すべての瞬間に感謝するときが来る。どんな痛みも、悲しみも、喜びも、祝いごとも、人生のすべての瞬間が宝物になる。人生の筋書きが完璧だったとわかるからだ。織物から離れてみれば、構図の美しさに涙があふれるだろう。

だから、互いに愛しあいなさい。すべてのひとと愛しあいなさい。すべてのひとを愛しなさい。迫害者だと思うひとも、敵だと呪うひとも愛しなさい。

お互いに愛しあい、自分を愛しなさい。(サンマーク出版:「神との友情 下」より)

 

私はコロナ渦にあって、マスクをつけずに買い物に行ったりしてますが、ダンナから聞いた話によると、「マスクをつけずに出歩いている人が○○に出没してるから、なんとかしてくれ」といった通報が多数警察に寄せられていているそうなので、もしかしたら自分も通報されているのかしらん・・・なんて思うと、どうも外出もおっくうになりがちで、1日中ダンナ以外の人と全く会わない、なんてこともざらな日々を送っております。

だから、「すべてのひとと愛しあいなさい」と言われても、最近誰とも会わないしねぇ・・・なんて思ったら大間違い!

私は毎日、ネットで様々な情報を検索したり、ブログを閲覧したりしていますが、お会いしたことはなくっても、何十人、何百人という人物と間接的に接しており、テレビを観ても、アナウンサーやCMに出演している人、芸能人、コメンテーター、俳優さん・・・・と、これまたおおぜいの人を観ています。もちろん、そういった方たちと直接お会いするわけではないですが、私がその人に感じた思いは良くも悪くも当人に伝わったり、自分自身に跳ね返っていると思うわけです。

もちろん、私と意見の合わないブロガーさんもいるし、好きではない芸人さんだっているし、そういう方々のことを、さて、自分は愛しているのか?と言われると「真顔・・・・。」となってしまいますよね。でも、何も、気の合わない人を無理に好きになったりする必要はないと思うのです。

「この人も、わたしも、”自分とはなんぞや?”ということを思い出すために、様々な役柄を演じてお互いに影響を与え合っているのだ。だから、この人の「あり方」に賛成はできないけれど、私がほんとうの自分に気づくきっかけを作ってくれて、どうもありがとう。」と素直に感謝できればそれでよいのではないかと思います。

一般的に、「愛する」という言葉に対して、男女間の恋愛感情のような印象をもってしまいがちですが、愛というのは、もっと定義が幅広いものであると思います。

 

誰かを愛したときは、相手に自分自身でいる完全な自由を認める。それこそが、最も偉大な贈り物であり、愛はつねに最も偉大な贈り物を与えるのだから。(中略)

自分がそうあるべきだと想像する在り方をひとに要求しなくなれば、期待を捨てることができる。期待などいらなくなる。そのとき、あなたはありのままの相手を愛する。だが、そのためには、あなた自身があるがままの自分を愛していなければならない。

(「神との友情 上」より)

 

結局つまるところ、自分自身との関係が健全なものであるならば、その先の他者との関係、神との関係は自然に全面的な愛へとつながってゆくのですね。

 

自分の考えやルール、選択をひとに押しつけてはいけない。ひとが、自分と違う選択をしたからといって、愛を出し惜しみしてはいけない。それどころか、ひとが貧しい選択をしたと思うときこそ、愛を示してやりなさい。

それが優しさというものだ。これより高い表現はない。(引用元:同上)

 

誰がどんな発言をし、どんな行為をしていたとしても、それに対して批判したり暴言を吐くのではなく、「この人の発言、行為は、自分にとって有益な考え・言葉・行為ではない。」と認識したうえで、自分が有益だと思うあり方(平和・分かち合い・親切・愛etc・・・)を選択し、それを生き、表明することが、世界の変容につながってゆくのだと思います。

 

世界に見たいと思う変化を、自分自身のあり方にしなさい。(サンマーク出版:「新しき啓示」より)

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ