私は、人類を操り、支配し、搾取してきた「闇の組織」なるものが、長きにわたって地球上に存在してきたということについて、”知って”います。その悪行の詳細については、おそらく今後、全世界に向けて真実が明らかにされることと思うので、いま、情報をかき集めて、「これは真実、これはガセネタ」などという振り分け作業に時間を費やすのは、もったいない、と感じます。だから、地球の大変革という一大イベントの中で、自分は何をするべきか、どう在るべきかを、日々探求することにしています。
このブログを書くこともそのひとつで、自分自身に気づきをもたらしたり、ほんとうの自分を再認識できたり、昔のトラウマを癒すことができたりするので、まあ、要するに自分のために書いているのです。
さて、メディアの報道を観ると、コロナ関連のニュースは、もはやギャグのように思えてきますが、大手テレビ局や新聞社の報道を信じて疑わない人たちにとっては、ギャグどころか、恐怖そのもののようで、なんだか哀れに思えてきます。
私も、せめて身内にだけは・・・と情報を伝えてきましたが、何をどう伝えても、彼らの琴線に触れない?ようで、「コロナワクチンは危険かも」くらいは、なんとなく感じているっぽいけれど、自分から「何かおかしいぞ?」と情報を取りに行くまでには至っていない様子。
日本でのワクチン接種が大々的に始まる前に、いくらなんでもデクラス(機密解除)があるだろう、その第1弾が、たとえコロナ詐欺を暴く内容を含んでいなかったとしても、メディアに対する不信感さえ芽生えれば、あとは、自分で調べるだろう、と思っていたのですが、やはり、このデクラスをあてにしていると、相当なストレスがあるので、(なかなか起きないからっ!!)さてはて、どうしたもんか・・・・。と考えますと。
もう、たとえ、身内だろうが、友達だろうが、結局つまるところ、これしかないのかな、という気がする・・・。
「わたし(たち)の道がすぐれているのではなく、ひとつの道だというに過ぎない」
結局、身内に、自分にとっての真実を伝えているのも、
「テレビの報道は嘘だよ、そんな情報信じるのは間違ってるよ、私のように、ネットから情報を探して、騙されないようにしないといけないよ」と、暗に”正しい”自分を誇示し、騙されている人たちを、こちら側に懐柔しようとしている・・・なんか、新興宗教かマルチ商法の、勧誘みたいじゃあ~りませんか。
「信じないと救われないから、あなたのためを思って勧誘しているのです。今目覚めないと、この世の終わりが来たら生きのびることはできません」
「この商品、すっごくいいの!いまならキャンペーン中でお買い得だし、騙されたと思って試してみて!私は買ってよかったわあ!」
・・・なんて、誰かから、しつこく何度も言われ続けたら、その内容はともかく、「うざい」「怪しい」「胡散臭い」と思ってしまいますよね。
お互いに「あいつは洗脳されてしまっている」と思っているのですから、これ以上どうしようもないのです。
あなたは何者かと言うことが重要だからこそ、ひとりひとりがこのうえなくすばらしいのだ。新しい教えは、あなたがたのそれぞれがすばらしいのであって、誰かが誰かよりすばらしいのではない、ということだ。神の目から見ればそうだし、あなたがたの目から見ても、神の目で見ようとすれば、そうなるはずだ。
誰かが「すぐれている」ことがありえないからといって、生きる理由がなくなるかな?
「こちらのほうがすぐれている」宗教や「こちらのほうがすぐれている」政党、「こちらのほうがすぐれている」経済システムがないからといって、どれも必要ではないということになるかな?
(中略)
バラが存在するためには、アヤメより「すぐれて」いなければいけないのか?
いいかな。あなたがたはみな、神の庭の花だ。ひとつが他以上に美しくないからといって、庭をひっくり返すかね?
あなたがたは、そういうことをしている。そのくせ、「花はどこへ行ったの?」と嘆く。
あなたがたはみな、「聖なる交響楽」の音だ。ひとつの音がほかの音以上に重要でないからといって、音楽を否定するかね?(中略)
子供の歌が調子はずれだったら、あなたは黙れと言うかな?そんなことをして、子供が音楽を愛する、あるいは自分を愛するようにしむけられるだろうか?それとも、もっと上手になるようにもっと歌ってごらんと励ますだろうか?
(中略)
効果的な政治活動は、そして霊的活動も、決して怒りや憎悪から生まれるのではなく、愛から生まれる。誰かあるいは何かが間違っていると決めつけることが重要なのではない。いまの現実を新しいものに変えようという決断、真の自分、こうありたいと思う自分についての新しい考えにもとづいて現実を変えようという決断が大事なのだよ。(サンマーク出版:「神との友情 下」より)
自分のほうが正しいのだと証明するために、ムキになって証拠を並べたてるのは、愛から生まれた行動とは言えません。
コロナに関して言えば、1年前に比べて、得られる情報は格段に増えました。自分で調べようという気にさえなれば、いくらだって情報を集めることができるのですから、きっかけ程度の情報を伝えてあげて、あとはそれぞれの意志・選択に任せるほかないでしょう。コロナ茶番劇やアメリカ大統領選挙の不正は、闇によって長いあいだ封じ込められてきた偽りの暗黒の世界から、愛と光の世界へ自らを解放するための最大のチャンスなのです。それを、どう生かすか殺すかは、それぞれの自由であり、他人がとやかく干渉することではなく、そんな暇があったら、自分が”愛を生きる”ことに専念するほうが、地球のためには効果的なのかもしれません。
あなたの愛を生きなさい。人間や天使の舌で語っても、愛がなければ、むなしくシンバルを打ち鳴らしているのと同じだ。預言者の力があり、すべての神秘や知識を理解し、山をも動かす信念をもっていても、愛がなければ、真の自分についていだく、最も偉大なヴィジョンの、最も壮大なヴァージョンを表現することにはならない。
愛は忍耐強くて親切だ。
愛は嫉妬せず、自慢しない。傲慢にも、野蛮にもならない。
愛は自分のやり方を主張しない。いらいらしたり恨んだりしない。間違ったことを楽しんだりしない。間違ったことも正しいこともないのを、知っているからだ。(中略)
どこにいても、愛をひろめ、愛を分かち合い、愛になりなさい。
そうすればあなたは、ほんとうに世界を照らす光になるだろう。(引用元:同上)
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