ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”自分自身についての気づきは、ほんとうの自分を十全に感じることを通じて達成される”

 

これから5次元へのアセンションに向けて大事なことは、とにもかくにも、「ほんとうの自分を思い出すこと」であり、ほんとうの自分とは、神と自分とは一度たりとも離れていたことはなく、常にひとつであるということです。もちろん自分だけではなく、まったく神らしからぬ行いをしている極悪人でも、神と離れてはいないのです。しかし、私たちは、あまりに畏れおおくて神様といつも一緒だなんて想像したこともないでしょう。しかし、それは、ただ単に「神とひとつである自分」を完全に忘れ去っているだけなのです。

そして、「ほんとうの自分を思い出す」方法、タイミングは千差万別なのです。

 

それぞれが自分の道をたどって「わたし」のもとへ来ればいい。それぞれ、「わが家」への道をたどればいい。

ほかのひとがどんな道を通ろうと、心配したり批判したりしないこと。あなたもほかのひとたちも、「わたし」のもとに到達できないはずはない。それどころか「神とともにあるわが家」に着いたとき、あなたがた全員が再会し、どうしてお互いのあら探しをしたのだろうと不思議に思うだろう。(サンマーク出版:「神へ帰る」より)

 

ほかの人たちがどんな道をたどるのか、気に病んだり、批判するよりも、おのれの気づきを完了することに没頭するほうが、ある意味、ほかの人たちの気づきを誘発することになるはずです。心配や批判はネガティブな感情であり、自分自身の波動を下げてしまいます。それよりも、愛と喜びで心が充たされているほうが、よほど自分にとっても周囲にとってもためになるのではないでしょうか。

そして、神様はこのように念を押しています。

 

わたしが言うことを、ひとことだって信じてはいけない。

わたしが言うことを聞いて、それからあなたの心が真実だと告げることを信じなさい。

あなたの心にこそあなたの智恵が存在し、あなたの心にこそ真実が宿り、あなたの心にこそ神が住まって最も親密な交わりをしているのだから。

わたしが求めるのは、ただひとつだ。(中略)

どうか心と頭を混同しないでほしい。あなたの頭にあるのは他人がそこに置いたもの。あなたの心にあるのが、あなたがたずさえている、わたしだ。(引用元:同上)

 

どんな聖人だろうが、高次の存在だろうが、聖なる書物だろうが、そのメッセージを、「鵜呑みにするな」と、頭で、理性で推し量るのではなく、自分の心がそれを真実と「感じる」かどうかで判断しなさいと、言っているのです。

感情は魂の言語です。そして、魂は、神と離れ離れになったことはないと、知っています。しかし、私たちは、日常の雑事に追われて、「自分の魂」について考えたこともなければ、存在していることすら忘れてしまっています。でも、魂は、そんな私たちを、神のもとへ、戻そう、戻そうとしてくれているのです。
 
あなたの魂は、知っていることを体験しようとしているのだよ。
あなたの魂は一度も神から離れなかったことを知っているが、それを体験したがっている。人生/生命とは、魂が「知っていること」を「体験」に変えるプロセスだ。
そしてあなたが知って体験することを現実と感じられるようになれば、プロセスは完了する。
言ってみれば、「わが家」とは「完了」の場なのだよ。
真の自分を知ることが完了し、体験が完了し、感じることが完了し、それについて真の自分についての「気づき」が完了する、それが「わが家」だ。
そこで「あなた」と「神性」との分離が終了する。(中略)
 
知ること」と「体験すること」によって認識が得られ、それが「感じること」につながる。
気づき」とは、自分が知って体験したことを感じることなのだよ。(中略)
感じる」ことだけが、十全の「気づき」を生む。「知る」だけでは部分的にしか気づけない。「体験」だけでもやはり部分的にしか気づけない。
あなたは自分が「神性」であると知っているかもしれないが、「神性である自分」を体験し、その「感情」を生きることを通じて、はじめて気づきが「完了」する。
あなたは自分が「神性」のある側面であると──たとえば共感であると──知っているかもしれないが「共感する自分」を体験し、その感情を生きることを通じて、はじめて気づきが「完了する。
あなたは自分が「神性」のある側面であると──たとえば寛容であると──知っているかもしれないが「寛容な自分」を体験し、その感情を生きることを通じて、はじめて気づきが「完了する。
あなたは自分が「神性」のある側面であると──たとえば愛であると──知っているかもしれないが「愛する自分」を体験し、その感情を生きることを通じて、はじめて気づきが「完了する。(引用元:同上)
 
自分の中の、神性のある側面を体験し、感じるために、いま、私たちはこの地球上に存在しており、そのためには、自分でないもの─ありとあらゆる、モノ・生物・人間・環境・宇宙etc...
が必要不可欠であって、お互いにその機会を提供しあっているのです。なので、一見どんなに、唾棄すべきものだったとしても、それを「非難するな・批判するな」と神様は言います。
その唾棄すべきものを目の前にして、自分は何を体験し、何を感じるのか、気づきを得ることができるからです。
 
感じるためには知識だけでなく体験が必要なんだよ。
感情は魂の言葉だ。
自分自身についての気づきは、ほんとうの自分を十全に感じることを通じて達成される。
気づきのプロセスには二つの要素があるから、そこの到達する道も二つある。
魂は、霊的(スピリチュアル)な世界を通って完全な知に到達し、物理的な世界の道を通って完全な体験に到達する。どちらの道も必要で、世界も二つある。
この二つが合わさって十全な感情が創造され、その感情が十全な認識を生み出すための、完璧な環境ができる。(引用元:同上)
 
混沌とした今の世界こそ、ほんとうの自分を充分に体験し、十全に感じる絶好の機会なのです。
 
お読みくださりありがとうございます。
すべてに感謝照れドキドキ