ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”生命はいま起こっていること以外の何も必要としない”

私がこのブログを始めようと思ったのは、緊急放送とやらがいつになるのか、待ちの体制でじりじりしているのが嫌になったからでした。世間に対して大きな影響力があるとは思えない自分だけど、内省する意味も含めて、書籍中繰り返されたフレーズなら暗記しているほど長年にわたって読み込んできた「神との対話」シリーズを基本に、スピリチュアルの探求を読者の皆さんと一緒にしよう!と思ったのでした。

ただ、注意しなければいけないと肝に銘じたのは、「結果を期待しない、執着しない」ことで、「これがわたしだ!」と表明することを喜びとする、それがブログを書く目的であって、世直しだとか、意識を変えたいと言った目的については、結果的にそうなったらよし、でも、そうならなくても落ち込んだりがっかりすまい、と決めて始めました。

 

「結果を期待しない、執着しない」というのはなんて自由なのでしょう。そうであろうと決めてこのブログを書くうちに、だんだん緊急放送についても「まあ、そのうちあるだろう」程度に意識が変わってきました。それまでは、この緊急放送がなかなか実施されないことで、

”早くしないと、メディアのフェイクニュースに騙されてすっかり洗脳されている人達が事実に気が付かず、コロナのワクチンを打つしかないと思い込んじゃうよ!自分は”陰謀論かぶれの頭のおかしな人”のままだし!あ~もう早く発表しないかなあ!まだかなあ!”とついつい「計画」について口を挟みたくなるような気持ちが湧き起こりがちでした。

でも今は、自分のなかから「執着・焦り・必要性」が少しずつなくなってきており、おかげで、フェイクニュースに対しても、緊急放送についてのネット上でのさまざまな憶測に対しても、一歩下がったところで冷静に眺めている、そんな心境になっています。

 

内心の平和を見いだせば、あなたがたは「なしでやっていく」ことができるようになる。つまり、あなたがたは外部世界のものを必要としなくなる。「必要としない」、それは偉大なる自由だ。まず、不安から自由になれる。自分にはもてないものがあるという不安だ。それに、特定のものがなければ幸せになれない、という不安だ。

第二に、「必要としない」と、怒りからも自由になれる。

怒りとは、不安の表現だ。不安に思うことがなければ、怒ることもない。(中略)

誰かがあなたの意に反したことをしても、怒りは感じない。なぜなら、どうしても誰かに何かをさせねばならぬ、あるいはさせてはならぬという必要性を感じないから。だから、怒りも感じない。あなたは、誰かが不親切でも怒りはしない。なぜなら、親切にされる必要性を感じないからだ。誰かに冷たくされても怒りはしない。なぜなら、愛される必要性を感じないから。(中略)

あなたは心のなかで直感的に、自分が創り出したものはすべて再び創り出せることを知っているしーーーもっと重要なことには---じつはそれがどうでもいいこともしっている。内心の平和を見いだしたとき、ひとであれ、場所であれ、ものごとであれ、条件であれ、環境であれ、状況であれ、そうしたことの有無では心の状態も自分という存在の体験も影響を受けなくなる。(サンマーク出版:「神との対話②」より)

 

もちろん、私自身、ここまでの域にはまだ達したとはいえませんが、ちょっとずつ自分のなかにある「必要性・執着」を手放すことに着手していて、その心地よさを実感している最中です。

その方法は、私にとってはやっぱり瞑想、そして今はこのブログを書くことですが、みんなひとりひとりやり方はそれぞれです。まずは、自分の中に巣くっている「執着・必要性」に気づくこと、それを手放すには、「それがなくても、こうして自分はここに存在している」と気づくことです。おもしろいのは、「それがないと、安心できない!」と思っていたのに、「それがなくてもいいや」と思ったとたん、安心感が心にぱあああっキラキラと広がることですね。

 

不安や恐怖に取りつかれているのは「必要性」という幻想にどっぷりはまっているからなのだと、全人類が気づくことを祈りつつ、今日はこの辺で。

 

お読みくださりありがとうございました。

全てに感謝照れドキドキ