ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”いま、愛なら何をするだろうか?”

真の愛は決して出し惜しみをしたりしない。それこそが、全面的な愛だ。愛には、最も間違った行動さえも包みこむ力がある。それだけではない。どんな行動でも「間違っている」とは言わない。(サンマーク出版:「神との友情下」より)

 

今、コロナパンデミックの真実、アメリカ大統領選挙の真実について、何が正しくて何が間違っているのかの論争が絶えません。もちろん、ありとあらゆるの情報の中から、”これが真実だ!”と思う情報を選び出すことは、自分が何者なのか、という定義になるので問題はありませんが、自分と異なった主張をする人を非難、攻撃するようなコメントが、SNS上にはあふれかえっています。他人を攻撃することで、何を感じるのか、喜びか、優越感か、満足感か、幸福感か、安堵感か、怒りか、一度じっくり自分の感情を味わってみるのはどうでしょうか。

 

私がツイッターを始めたとき、自民・公明政権に対しての強い怒りと不満、不信があって、それを何とかしたいという思いに突き動かされていました。私は政権を支持している人達のことを”思考停止した愚かしい人たち”といった見方をしていて、その人たちの考えを間違っている、と全否定し、”こちら側”に寝返ってもらうべく始めたツイッターでした。なので、同じような考え方をしている人をフォローし、当時の政権を批判した記事や動画にコメントを付け、非難する言葉をつぶやいていましたが・・・。ちっとも楽しくないのです。気持ちよくもありません。喜びもないし、批判的なコメントをしてアップした後は、なんだか気分が悪く、ちっともスカッとしませんでした。最初は(あの連中は、批判されて当然のことをしまくっている血も涙もない人種なのだから、呼び捨てにして当然だし、これでもまだ足りないくらいだ)などと思っていましたが、どういうわけだか気分が良くないので、いつしか批判的なツイートをすることはやめてしまいました。私は長年にわたって「神との対話」を読み込んでいたくせに、そのメッセージを生きてはいなかった。それにようやく気付き始めたのです。

でも、誰かにそれを指摘されたら、きっと私はムッとして「じゃあ、あなたはこんな世の中でいいと思っているの?!」と反論していたでしょう。やっぱり、自分で気づくことが大事なのだと思います。

 

世界に見たいと思う変化を、自分自身のあり方にしなさい。(「新しき啓示」より)

 

私は20代~30代のころ、この世界を、分断や差別のない、戦争や環境破壊のない、いじめや暴力のない、平和で全面的な愛に満ち溢れたものにしたい、と切望し、様々な活動に取り組んでいました。しかし、ちっとも変化がないどころか悪化の一途をたどる状況に、嘆き悲しみ、胸が苦しく、無知な大衆を、政府を、企業を、無力な自分を呪っていました。そこに喜びはみじんもありませんでした。それもそのはずだ!自分自身が、望む世界のあり方を実現していなかったからです。わたしを活動に突き動かしていた意識の元は、憎悪・焦燥感・絶望でした。

 

自分の考えやルール、選択をひとに押しつけてはいけない。ひとが、自分とちがう選択をしたからといって、愛を出し惜しみしてはいけない。それどころか、ひとが貧しい選択をしたと思うときこそ、愛を示してやりなさい。それが優しさというものだ。これより高い表現はない。(中略)

あなたがたは毎日むずかしいことをしている。だから人生がそれほど困難なのだ。だが楽なことをすれば、真の自分から出発して真の自分になろうと決意すれば、つまり純粋な限りない無条件の愛になれば、人生はもういちど、簡単になる。すべての苦しみは消えるし、すべての争いはなくなる。その平和はいつ何時、達成されるかもしれない。その平和への道は、簡単な質問にあるだろう。

「いま、愛なら何をするだろうか?」(「神との友情下」より)

 

向こうからぶつかってきて、謝りもしない爺さんに(ちっ、なんだよこのじじい、ちょームカつく!)と思ったりせず、飛び切りの笑顔で(嫌みのない、愛のこもった、だよ!)「すみません」と言えるだろうか?もしかしてぶつかってきた人は、具合が悪いのかもしれない。ちょっと認知症が入っているのかもしれない。

車を運転中に、後ろから荒っぽいスピード運転で追い抜いて行った人に(なんだよ、危ないなあ!あんな人、事故に遭っちゃえばいいんだ)と呪ったりしてはいないだろうか?もしかしてその人は最愛の人が危篤状態になっていて、間に合ってくれ・・・!と泣きながら病院に行くところかもしれない。(あの人が事故に遭いませんように)と祈ることができるか?

 

私もまだまだ、完全ではないけれど、絶望や批判、焦燥感は消え去り、毎日が喜びに満ちて、前よりずっと自分が好きになっています。

こうして記事にすることで、周りを思いやる気持ちを忘れないようにと自分を戒める気持ちを持つことができるのも、ブログを読んでくれる皆様のおかげです。

ひとつひとつ小さなことから、世界に見たいと思う変化を、自分のあり方に変えていきませんか?

 

今日はここまで、お読みくださりありがとうございます。

全てに感謝照れドキドキ