昨日、猛暑の中那覇まで足を延ばし、巨樹(巨木)たちに会いに行った。
今回のいちばんの目的は、首里金城の大アカギに会いに行くことであり、ほかの木々たちは、まあついでのようなものだった。しかも、首里城のアカギ・アコウにいたっては、その存在すら知らず、たまたま(必然に)通りかかっただけなのだ。
ほかの木々たちについては後々紹介することにして、まずは、この首里城のアカギ・アコウについて記事を書くことにする。というのは、今回、この木々たちに呼ばれたかのように、私の魂が木々に共鳴し、木々の思いが瞬時に私のなかに飛び込んできたからに他ならない。
首里金城の大アカギに会った後、車が置いてある首里駅方面まで、徒歩で戻ることにしたが、早朝(5時半頃)に家を出たというのに、那覇についたころには灼熱の太陽がガンガンに照りつけて、プラプラ散歩するにも熱中症の危険が迫りくるほどに蒸し暑かった。少しでも涼しげなルートで戻ろうと考え、首里城公園を突っ切っていくことに決め、方向音痴の私は片手に重いタブレットを持ちながら、汗をかきかき守礼門をくぐった。
そして数十メートル歩いたあたりで、数人の観光客が立ち止まっている大木が見えた。
一瞬、ガジュマルかと思ったが、それはアコウの木だった。
っていうか、ずっと私はアコウをガジュマルだと勘違いしていたのだが、実は似て非なるものだった、とつい最近知った。
(違いを詳しく述べているサイトがあったのでご紹介↓)
立ち止まっていた観光客が去った後、案内板を読んでみた。
沖縄県民を癒し、見守り続けてきたアカギの大木は、沖縄戦火に巻き込まれて焼けただれてしまった。そして、その枯れ朽ちた幹に、アコウの木が着生し、まるで朽ちた幹を抱きかかえるかのように成長して、2本で1本の大木となったものである。
木の上部に、前回巡ったった天底小学校のガジュマルと同じような白い影が映った。
前回の記事
なんだか、気高い霊的なものを感じます。(わかんないけど)
辺りに誰もいなくなったので、木に近づき、まずは、アコウに包まれたアカギの幹に触れてみた。すると、私のなかに、強いメッセージが湧きあがった。
わたしは、戦火により焼け朽ちたことを悲しんだり、人間を恨んだり憎んだりしていない。
ただ、起きたことをそのまま受け入れて、ここにこうして存在しているだけ。
アコウのおかげで、人びとに、戦争によって何が失われるかを、後世に伝える役目を果たすことができた。
わたしの身体は焼け朽ちたように見えるけれど、わたしのエネルギーは朽ちてはおらず、ここに存在している。
そして、アコウの幹に触れると次のようなメッセージが伝わってきた。
わたしたち植物・木々は人間が思っている以上に”意図”を持っている。
わたしは、偶然・たまたま、この焼け朽ちたアカギの木に着生したのではありません。
人間の世に偶然がないのと同じように、我々植物・木々の世界にも、偶然・たまたまはないのです。
そして、こんなメッセージも受け取った。
名木だから、巨木だから大切にする、名も知らぬ雑木だから乱雑に扱う、そうではなくて、身の周りに生えている野草や雑木にも、愛を注いでください。
なぜなら、野草も雑木も、名木も巨木も、その一切が繋がっているからです。名も知らぬ身近な野草を愛することは、はるか遠くに存在する名木や巨樹に愛を注ぐことになるのです。
以前瞑想中に伝わってきたメッセージも、併せてご紹介します。
草を刈る・抜く、枝を落とす、雑木を切り倒す、その行為は植物を傷つけることになるのだから、すべきではないのか?との問いには、こう答えましょう。
何をするにしても、行為そのものよりも、その時のあなたの在り方・在り様が大切なのです。
むしゃくしゃした気持ちで、はびこる雑草や雑木に悪態をつきながら草を刈り、木を切り倒すのではなく、
「人間が気持ちよく生活するために、愛をもって、あなたたち(雑草・雑木)を刈らせて・切らせていただきます」というような思いを持ちながら、庭を整備してください。その思いは、確実に伝わり、わたしたちは刈られ、切られることを、喜んで受け入れます。
今回もまた、木に触れている際に、ハートになだれ込んでくるような力強い、それでいて愛に満ち溢れた熱いエネルギーを感じ、涙があふれて止まらなかった。
そして、直感的に、首里城のアカギの木が焼け朽ち、そこにアコウの木が着生し、それが1本の大木のように成長し人びとに広く知られることとなり、その木のエネルギーを、私がこうして感じることとなった全ての経緯が、必然かつ、今この瞬間、同時に(過去も未来もなく、今しかないのだから)起こっているのだ、という不思議な確信めいた思いが、ストンと腑に落ちた気がした。
皆様も、首里城を訪れた際には、ぜひ、この二本で一体の素敵な大木にも会ってください。
守礼門からまっすぐ歩いてゆくと、左側にあります。看板があるのですぐわかります!
まだまだこの世には、私の知らない、見たことも聞いたこともないものが、山のように溢れている。
自宅のあるやんばるにばかり籠っていないで、やっぱり、あちこち行きたい!との思いをまた一層強くし、首里城を後にしたのでありました。
お読みくださりありがとうございます☺️💖
すべてに感謝✨