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妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

コロナワクチンデトックス法③

前回、前々回の続きです。

 

chisuke926.hatenablog.com

 

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①は霊的・精神的アプローチ、②は食事についてとりあげた。

今回は、生活習慣について書きたいと思います。

※くり返しお伝えしていますが、この「コロナワクチンデトックス法」というのは、本来人間に備わっているすばらしい排毒機能を蘇らせるために有効であろう、という、私個人の、長年の体質改善の取り組みと、独断と偏見による方法なので、実際にお試しになる際は、自己責任でお願いいたします。私に合っていたからと言って、その方法が誰しもに合うか合わないかは「やってみなければわからない」のです。

 

デトックス法》:生活習慣編

 

 ○散歩

  ・私は去年から毎日3キロ弱、アップダウンのある家の周囲をぐるーっと1周しているが、すっかり習慣になって、歩かないとなんだか大事なことをすっぽかした気になってしまう。歩くことは、お金がかからず、やる気さえあれば今日にも始められる健康法だ。たくさん歩くよりも、とにかく続けることが大事なので、モチベーションが上がるように自分なりに工夫して頑張ってほしい。できるだけ早足で、大股で歩くと、より効果的。

 

 ○瞑想

  ・瞑想、というと特別なやり方に従わなくてはいけないような気がするが、1回3分でもいい。とにかく、何もせず、何も考えず、深い呼吸をすることだけに集中すればいいのだ。何も考えないことは大変難しいので、私はいまだに瞑想中迷走しているけれど(笑)、それでいいのだ。とにかくリラックスして、身体の力を抜き、目を軽くつむってゆったりとした呼吸でぼーっとする。できれば1日2回はしたいところだけれど、時間や回数にこだわると三日坊主で終わってしまうので、とにかくいい加減・自己流で構わないから、長く続けることが大事だ。

 

 ○アーシング

  ・戸外に出て、舗装されていない地面に素足をつける。海や川に裸足で入るのもいい。可能なら1日15分くらいやると良いだろう。

 

 ○ラジオ体操

  ・以前は毎朝6:30の生放送に合わせ、時間きっかりにやっていたが、今はタブレットに録音したものを聞きながら都合のいい時間にやっている。私は裸足で庭に出て体操しているので、アーシングもかねて一石二鳥だ♡

 

 ○生き物を飼う・育てる

  ・ペットを飼う、というと、お金もかかるしハードルが高いが、金魚でも、観葉植物でもいい。そして毎日声をかけ、会話する。愛情を注ぐ対象は何でもいいが、動物でも植物でも、気にかけてくれる人間の愛情は、絶対、100%伝わっている。伝えるだけでなく、相手からの反応も感じてみよう。たとえ、自分の妄想だったとしても、愛のこもったコミュニケーションは、双方の波動がアップすること間違いなしだ。

 

 ○入浴

  ・スマホを見たり本を読んだりするのは止め、ぼーっと湯船につかる。湯の温度は好みもあるだろうが、あまり熱くしすぎないよう注意。

 

 ○自然に触れる

  ・住環境によっては簡単に自然に触れることはできない人もいるだろうが、毎日の散歩の際、緑のあるところをコースに入れると良い。河川敷でもいいし、小さな公園の木々にふれる、きれいに手入れされた住宅地の庭を見るだけでもいい。それも厳しければ、「生き物を飼う・育てる」と重複するが、プランター菜園を始めたり、ミニ盆栽を育てる、なども良いだろう。

 

 ○ストレッチ

  ・現代人は、机に座りっぱなし、スマホをいじりっぱなしで、身体がカチコチだ。なので、首をぐるぐる回す、肩甲骨をほぐす、腰をまわす、など、何でもいいので、とにかく毎日必ずやることだ。机に座って作業する場合は、30分おきに立ち上がって、トイレへ行ったり肩を回したり首を回すことを習慣にすると良い。

私が最近ハマって毎日やっているのは、ストレッチポールで、ポールに仰向けになってだらんとすると、ほんとうに気持ちがいい。

ちょっと高いけど正規品が良いらしいです。おススメ♡

ストレッチポール®︎(StretchPole®︎)公式ブランドサイト

 

 ○スマホを見る時間を減らす

  ・仕事でPCの前に一日座りっぱなしの人は尚更だが、現代人にとってスマホは、利便性以上に心身の健康に大きな悪影響を及ぼしているはずだ。なので、よくよく自分の1日を観察してみて、スマホに依存しているという自覚があれば、極力スマホから離れる時間を意識して作ることが大事。

 

 ○電磁波対策をする

  ・最近は5Gのアンテナがそこいらじゅうに雨後の竹の子のように?乱立しているし、肌身離さずスマホを持ち歩いている現代人は、ネットの電波も届かない、電線もないような人里離れた山奥で隠れ住まないかぎり、電磁波を浴びまくっている。せめて寝る間だけでもスマホを身体から離すか、電源を落とす、機内モードにするなどし、コンセント差込口や冷蔵庫等々電磁波を発するものから離れて寝るようにする。

※私が愛用している電磁波対策グッズ・CMCペンダント、私自身に効果があるのかないのかを明確に実証できないけれど、お守りとしてつねに身につけています。

 

岐阜市福光東にある株式会社CMC総合研究所 | 総合カタログ

 

私が愛読している中村先生のブログで、このCMC(カーボンマイクロコイル)商品が絶大な効果があった、という患者さんのことを紹介している記事があったので、効果あるんだと信じています!

note.com

※中村先生のブログは、ワクチンのデトックスやシェディング対策、体調を整えるサプリメントなどの記事も盛りだくさんで、大変為になる。関心のあるタイトル記事だけでも読んでみることを強くお勧めする。

 

 ○何かにつけて感謝する

  ・「感謝する」というのは、本当に、最強かつ簡単に幸せになるスキルだと思う。「自分は不幸すぎて感謝する対象なんかない」とおっしゃる方もいるかもしれないが、本当にそうだろうか?

 

☆朝起きた→寝てる間に死ぬことなく、生きて目が覚めた「ありがとう」

☆トイレに行く→その辺に垂れ流すことなく、きれいなトイレで用を足せる「ありがとう」

 

☆排尿、排便→痛みや不調がなければ、そのことに感謝、もし不調があれば、それを訴えてくれている身体に感謝

 

☆食事→たとえ粗末な食事だったとしても、どこかの誰かが、その食材を丹精込めて作ってくれたであろうことに感謝、食材一つ一つに感謝

(食事がジャンクフードでも、”こんな体に悪いもんばっかり食べてちゃ病気になっちまうな、やべえな”、などと考えながら食べるのではなく、その食事に感謝し、思いきり楽しんだほうが良い)

 

・・・水道をひねれば、水が出て、冬には温かい湯で風呂に浸かることもでき、雨露をしのげる屋根がある、目が見えて、耳が聞こえて、自分の足で歩けて・・・・。感謝しようと思えばいくらでも感謝のネタはある。ささやかなことにいちいち感謝しているうちに、あら不思議、なんだかとっても豊かな気持ちになってくる。

人間、誰しも、感謝のネタよりも、愚痴、不満のネタを探す方が習慣になってしまっていて、口を開けば文句ばかりになりがちだ。私もそんな人間のひとりであるが、私が喜び・感謝の師として常々尊敬してやまないのが、わが飼い犬たちだ。

 

うちは猫ファーストで、さまよっていたところを保護した犬2匹は家の外につながれているのだが、1日2回の散歩とごはんの時間の彼らの喜びようといったら!人間で言ったら宝くじの1等に当たったとか、熱愛しているイケメンアイドルと握手できたとか、まあそれくらいの、天にも昇るような歓喜の気持ちを、毎度毎度全身で表現するのだから恐れ入る。ご飯は手作りごはんだけど、毎回似たり寄ったりだし、散歩コースも毎日一緒だ。代わり映えしない、マンネリ化した日常なのに、飛び上がって、くるくる旋回して、まるで生まれてはじめてそれを体験するかのように毎回大興奮する犬たち。彼らは、昨日のご飯と今日のご飯を比べたり、明日もまた同じような1日なんだろうな、つまんねえな・・・なんて1ミリも思っていないのだ。その瞬間を生きている。没頭している。本当に見習わなくてはいけない。

 

思いつくまま入力したので、もし後々別の方法を思いついたら追記するかもしれないが、私自身、コロナワクチンデトックス法①~③を通して、全項目を徹底的に実践しているのかと聞かれたら「いえ、そこまでしていません」というほかない(笑)。そう、徹底的にやることを勧めはするけれど、それがストレスになってしまっては本末転倒だ。なので、いちばん最後に、最強のデトックス法をお伝えして終わりにしたいと思う。

 

○常に、喜びに満ちあふれていること

 

「それができたら苦労しないよ!」という声が聞こえてきそうだが、本来、私たちは喜びそのもの、なのだ。悲劇やシリアスドラマの主人公を演じるのに忙しく、本来の姿をすっかり忘れているだけなので、それを思い出しさえすればいい。喜んでもいないのにふりをするのは嘘になってしまうから、最初はとにかくささやかなことにいちいち感謝するテクニックを駆使して、小さな幸せをかみしめる習慣づけをすることだ。不満のネタを探すことに明け暮れるより、ありがとうのネタを探すことが楽しくなってきたらしめたものだ。

 

では最後に、私の愛してやまないバイブル、「神との対話」シリーズより、”喜び”について書かれた箇所を抜粋します。

 

※以下太字・青字:サンマーク出版「神との友情 下」より引用

 喜びがすべてに先立つということだ。喜びがすべてを可能にする。喜びがなければ何もありえない。多少のユーモアがなければ、人生には意味がないと言っているのだよ。

笑いは最高の薬だ。喜びは魂に良い。

それだけではない。喜びは魂だ。魂は、あなたがたが喜びと呼ぶものだ。

純粋な喜び。限りない喜び。濁りのない、限度も制約もない喜び──それが魂だ。

微笑みは、魂への窓。笑いは、扉だ。

(中略)

 喜びは生命の表現だ。生命のエネルギーの自由な流れ、それが喜びだ。生命のエッセンスはひとつであること、存在するすべてとの一体だ。それが生命だ。一体であることの表現だ。

一体であるという思いは、あなたがたが愛と呼ぶ感情だ。したがって、あなたがたの言葉で言えば、生命のエッセンスは愛だ。喜びは愛の自由な表現だ。

生命のと愛の自由で限りない表現(存在するすべてのもの、知覚ある存在のすべてとひとつだ、一体だという経験)が環境や条件によって禁じられたり、制約されると、喜びである魂は、充分に表現されなくなる。充分に表現されない歓び、それが悲しみと呼ばれる感情だ。

(中略)

他者のなかにある喜びを引き出せば、自分のなかにある喜びを外に出すことができる。

(中略)

微笑みのような簡単なことでもいいのだよ。

ほめ言葉。愛情に満ちたまなざし。愛の営みのような優雅な方法でも可能だ。他者の、それにおおぜいのひとの喜びを引き出すことができる。

歌やダンス、絵筆の動き、粘土いじり、リズミカルな言葉。手をとりあうこと、精神的な出会い、魂のパートナー。

何でも良いもの、愛すべきものを共に創り出すことは役に立つ。そういうさまざまな工夫で、他者の、それにおおぜいの人の喜びを引き出すことができる。

感情を分かち合うこと。真実を語ること。怒りをしずめること。批判をやわらげること。耳を傾けること。積極的に語ること。赦そうという決意。手放そうという選択。与えようという努力。受けとろうという、ひろい心。

ひとの心の喜びを引き出す方法は何千もある。いや、何千のさらに何千倍もある。決意さえすれば、方法はわかるよ。

(中略)

そう、そのとおりですね。でも、ときどき、ひどくひとりぼっちだと感じます。

「自分はほんとうはひとりではない」という真実を受け入れるとしても、ひとりぼっちだと感じるのはどうすればいいんですか?ひとりぼっちだと感じたら、あんまり喜びも感じられません。どうすればいいですか?

 

自分はひとりぼっちだと想像したときは、わたしのもとへ来なさい。

魂の奥底で、わたしのもとへ来なさい。

心からわたしに話しかけなさい。精神でわたしとつきあいなさい。

わたしはあなたとともにいるし、それがあなたにはわかるだろう。

毎日、わたしと接触していれば、簡単にできるようになる。だが、そうでなくてもだいじょうぶだ。あなたが呼んだ瞬間に、わたしは、あなたとともにいる。それがわたしの約束だから。あなたがわたしの名を呼ぶ前ですら、わたしはともにいる。

わたしはいつも、ともにいる。わたしの名を呼ぼうと決意すれば、それだけであなたはわたしに気づく。

わたしに気づけば、悲しみは消える。悲しみと神は併存できない。神は最も高いところに上った生命のエネルギーであり、悲しみは低下した生命のエネルギーだから。

だから、わたしのところに来るときには、わたしを否定して引き下ろしたりしないように!

 

ああ、すばらしいですね。

すばらしい説明で、わたしたちに「わからせて」くださった。でも、ひとはそんなことはしませんよね?あなたを否定したりはしないでしょう。

 

直感を無視するたびに、わたしを否定している。

悪い感情に終止符を打とうとか、争いをやめさせようと提案されても無視するたびに、わたしを否定している。

見知らぬ人に微笑みを返さないとき、壮麗な星空のもとを歩いていても空を見上げないとき、花壇のそばを通っても立ち止まって花の美しさを愛でないとき、そのたびにわたしを否定している。

わたしの声を聞いたり、愛した故人の存在を感じても、気のせいだと言うたびに、わたしを否定している。

魂で愛を感じ、心に歌を感じ、理性で壮大なヴィジョンを見ても、何も行動しなければ、そのたびにわたしを否定している。

自分にぴったりの本を読み、ぴったりの説教を聞き、ぴったりの映画を見、ぴったりのときにぴったりの友だちに出会っても、偶然だとか、得したとか、「運が良かった」ですますとき、そのたびにわたしを否定している。

 

 

喜びも幸せも、別段ものすごい特別なことじゃなくて、日々のささやかな生活のなかに何千、何万と存在しているのに、それを「無視する」か「気づく」か、ようは、私たちの意識如何なのだ、ということなのですね!

 

お読みくださり、ありがとうございます。

すべてに感謝