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妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

存在するすべては”愛”

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前回のブログを更新した日の翌日、義母が亡くなった。

葬儀のため内地に行かねばならず、バタバタと慌ただしい日々を過ごしていた為、ブログの更新がまた滞ってしまったが、今日久しぶりになんか書いてみようかなという気持ちになった。連載していた「10の幻想」シリーズはいったんお休みにして、義母の死を通じて色々と思うところがあったので、それを書いてみようと思う。

 

義母は2年前くらいから骨のがんを患っていた。以前にも皮膚がん、乳がんを患い、手術や投薬で治療してきたが、医師の説明によれば、今回の癌は、乳がんの転移だという。(乳がんが良くなって16年くらいたってるけど。)

私は、西洋医学のがんの診断や治療については不信感しかないので、がんセンターで治療をするより、東洋医学や民間療法のほうがいいのではないかという気持ちはあったが、そういった治療も、本人の意思決定がなければ無理強いできないし、信じていないと効果も半減するだろうし、何より嫁の立場では強くは言えないので、そういったことはダンナに任せ、私は様子をうかがうくらいしかできなかった。

 

そのうち、がんセンターでの通院治療が何の効果もなくなってきて、とうとう抗がん剤治療を医師にすすめられるがまま行い、副作用に苦しんだ挙句、何一つ効果が上がらないまま、医師から「これ以上為すすべなし」と見放されてしまった。義父も義母も、病院や薬が大好き?というか西洋医学を信じて疑わないので、がんセンターを信用してすがってきたというのに、裏切られたかのような仕打ちを受け、大きなショックを受けた。

その後義父は、ネットで探した超高額な民間療法で意地でも義母を復活させようと躍起になった。義母もその気になり、少しだけその治療を受けたものの、完全回復には程遠く、2週間ほど自宅で義父の介護を受けた後に、病院で静かに息を引き取った。

 

この2年間、ちょうどコロナ茶番デミックと重なって、結局私もダンナも一度も実家に行かないまま、直に会うこともないままに、義母は亡くなってしまった。私もダンナもコロナ騒ぎが茶番だとわかっているので、内地に出向くこともその気があればできたのだが、なぜそうしなかったかというと・・・・。

 

まず義父に「コロナが治まるまではこっちに来ないように」と釘を刺されていたことがある。義両親はコロナの報道を完全に信用していて、マスクもつけずワクチンも打たない息子夫婦のことを訝しみ、沖縄からウイルスを持ちこまれて、がん治療で免疫が下がっている義母にコロナをうつされたら大変、という思いがあったため、最後の最後まで頑なに息子の帰省を拒んだ。

 

ダンナは、そもそも両親と、深いかかわりを持とうという気持ちが薄かった。表面上は穏やかな関係を保っていたが、嫁の私から見ると、親子間で気持ちをぶつけあったりすることで互いをより深く理解しよう、という試みがされないまま、何十年もそれが継続しているかのように見えた。以前にもブログでちょっと取り上げたけど、ダンナは小6の時、妹を目の前で交通事故で亡くした経験があり、それ以来、両親に対して一歩下がって深く関わらないで生きてきたのではないかと勝手に推測している。当時は、義母も義父も自分の気持ちの整理をつけるだけでいっぱいいっぱいで、ダンナの心のケアをする余裕がなかったのではないかということは十分考えられるし、それを責めることは誰にもできない。でも、小6の男の子が抱えるにはあまりに辛く重い現実であったことは間違いなく、その後、思春期に入ったこともあって、この家族は娘の、妹の死について話すことをタブーとしたまま、日常においても、腹を割って話をする機会が失われたのではないかと推察する。

そんな歴史があって、結婚してから私たち夫婦はどんどん親元から遠ざかり、ついには沖縄に移住してしまった。ダンナには、一人っ子だからいずれ親の面倒は自分が見なくてはならない、という気持ちはあっただろうが、移住当時私たち夫婦は38歳と若かったため、未来の親の介護について深く思い至ることもなく、思いつき同然で移住を決めてしまった。移住してから、私は何度も実家(自分の)に帰省し、時にはかなり長期滞在したこともあるが、ダンナは、義父の仕事を手伝う、という目的以外で実家に足を運んだことはない。義両親が孫の顔見たさに何度か沖縄に遊びに来たけれど、会話しても相変わらず軽い世間話や仕事の話をする程度にとどまっていた。

 

そこへ、義母のがん再発とコロナ茶番デミックが重なった。私は、「どうせ何を言っても無駄」というダンナを振りきって?義両親にコロナワクチンを打たせたくない一心で必死に電話でコロナワクチンの恐ろしさを熱弁したが、あえなく玉砕した。親の期待(いずれ同居?)をよそに沖縄に移住してしまった息子夫婦の言うことより、近くの医者の言うことを信用しても仕方がないのかもしれないが、義両親や両親、兄弟、友人、ことごとく私の忠告を聞かずワクチンを打ってしまった現実に、このころは激しい虚無感を感じており、もう、こういった虚偽・盲信のすべてから距離を置きたいと真剣に思うようになった。

 

スピリチュアルを極めようと思っているから、自分で自分に、批判することなかれ、相手の意思を尊重しよう、と言い聞かせてはいたものの、実家への連絡は途絶えがちになり、コロナ脳の知り合いとは距離を置き、ひたすら情報開示を待つ──といった受け身の体制を決め込んだ。

しかし待てど暮らせど、ディスクロージャーは起きない。そうこうしているうちに、日本でも3回目のワクチン接種開始がひたひたと迫ってきた。私は自分の母に、海外のワクチンの危険性を訴える動画を送りつけ、

「3回目の接種は急がない方がよい」と伝えたが、父も母も首を縦に振らず、相変わらず「もうこの年だからどうなってもいい。責任は自分で取る」と言い放った。

 

そして、いよいよ義母の命が先行き短くなってきて、これまで積極的に会いに行こうとしなかったダンナも、仕事の都合をつけて亡くなってしまう前に顔を見に行こうとしたが、義父からまたもや「コロナが収まるまでは来なくていい」と言われてしまった。

 

両親は、世間は、どこまでコロナ脳なのか。

 

私やダンナは異端者であることが、身近な人達によって、より明確となり、ちょっとでいいから聞く耳をもってくれたら・・・という願いも、むなしく打ち砕かれ、ダンナはもう半ばあきらめの境地でいたが、義父との電話のやりとりで、義母はもう長くない、と直感し、飛行機の予約を取って出発する1日前に義母は亡くなった。

 

それからバタバタと私も飛行機のチケットを取り、迷っていたが自分の実家にも顔を出すことを決め、気まずくなっていた双方の親と2年以上ぶりに顔を合わすこととなった。義母の葬儀がなかったら、双方の親に会いに行くことはなかっただろうが、もう自分の両親も高齢で、ワクチンもしっかり2回打っている以上、いつどうなってもおかしくないのだ。大きな意見の相違は相変わらずだが、実際に会うことで、たとえ嫌な思いをしても、自分の未解決な部分をより成長させる機会、と思うことにした。

自分と全く異なる価値観をもった存在とは、遠く離れて暮らしていれば、相違もさほど気にならないだろうし、ストレスにもならないが、相対するとなるとそうは言っていられない。自分の信念・真実を曲げることなく、親たちと理解し合い尊重し合うことはできるのか?

 

5日間の内地滞在を通して私が得たもの、それは──

どんな価値観・それぞれの真実を持っていようとも、必ず、絶対に、万人に共通しているのは、

「私たちすべては”愛”である」

ということ。それを強く、心から実感できたことだ。

 

電話やラインだけのやり取りでは、相手のすべてを感じることはできない。けれど、直に会って目の前で話をすると、今まで見えなかったものが見えてくる。

義父とも、両親とも、私たち夫婦とは、コロナに対する考え方、その他さまざまな価値観に大きなずれがあるのは間違いないが、そもそもの真髄にあるものは、何ら変わりのない「愛=魂=生命」であることが、心底わかったのだ。

誰もがその本質を体験すべく地球に存在していて、このコロナ茶番も大変大きな役割を担っており、捉え方がそれぞれ違うのも、一人ひとりコロナ渦において体験したい内容が違うからなのだ。

私は、一歩先に茶番に気づき、情報開示があっても動揺することなく周囲に安心を与えたい、という目的があっていまここに存在しているが、大多数のひとは、あえてメディアに騙されてワクチンを打ち、その後真実が明かされる際に、ショックとともに大きな気付きを得る、という選択をしてきているのかもしれない。それもこれも、万人の生命そのものが、愛を感じ、愛を体験し、大いなる目覚めに導かれる最善にして最短の道なのだとしたら、やはり、余計で過度な干渉は必要ないのだ。

 

そうは言いつつも、実家では、しっかり自分の主義主張は宣言してきた。

「私はマスクもつけないし、ワクチンも打たない。もし、それで投獄されるならそれも厭わない。そんな身内は嫌だ、というなら、縁を切るしかないけど──。」

と言ったところで、弟に「そういうことを言うから、みんな心配するんでしょ!」とたしなめられた。まあ、そんなふうにならないことを祈るしかないけど、とりあえず、お互いコロナ禍においてどう行動するかは、それぞれの自由であると認め合えたので、良かったかな。

 

今回の帰省で、みんなを説得するとか、距離を置く、とかいった押し付けや諦めの境地ではなく、どちらが優れているとか、愚かにも洗脳されているとかでもなく、心から、万人の生き様・選択を尊重し、それを喜べる自分に、ちょっと近づけた気がする。

亡くなったお義母さんが、こういった機会をプレゼントしてくれたような気がして、本当に本当にありがたくうれしい気持ちになった。

お義母さん、本当にありがとうございます、感謝してます!

 

もっと他にも気づきがあったんだけど、長くなったので今日はこの辺で──

 

 

お読みくださりありがとうございます☺️💖。

すべてに感謝✨