ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”自分自身についての気づきは、ほんとうの自分を十全に感じることを通じて達成される”

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前回の記事にコメント下さった方への返信にも書いたのだけれど、どうも最近、霊的向上への道を歩くのが苦しくなっている。

数か月前、ネガティブクイーンの自分にしては珍しく、不完全な自分で完璧なのだ!という境地をやっとのことで会得した、と思えるほどに、毎日が幸せで喜びに満たされていた時期があった。庭にたたずめば、吹く風や流れる雲、そびえる木々や可愛らしい花にいちいち感動し、生きているって素晴らしい!ありがとう神様!と、ごくごく自然に感じることができた。

ところがところが、過去記事にも書いたけれど、9月ごろからちょっとしたことがきっかけで、開けてはいけないパンドラの箱が開いてしまったかのように、自分の中のどろどろした部分や真っ黒な心の闇が、これでもかこれでもかと湧きあがってくるようになった。喉のスロートチャクラあたりが、苦しくて、ギューッと締め付けられるような感覚がたびたびやってくる。わけもなく涙が出る。

日によって波はあるものの、この症状が出たり消えたりを2か月ほど繰り返しており、霊的成長が進んだと思ったのは錯覚だったのか?と悲しくなってはまた泣けてくる😢。

 

まるで、こつこつと地道に制作していた砂の城が、完成半ばで、大波によって一気にあとかたもなく崩れ去り、またゼロから砂をかき集めて少しずつ作り直さなければならなくなったような気分だ。なんだか永遠にゴールにたどり着けない気がして、気が滅入ってくる。

 

・・・と自分で言ってはたと気づく。悟りの道のゴールは、どこかに行き着くことではない。すでにそこにいるのだと、心底「わかる」ことなのだ。

一瞬一瞬の創造を通じて、本当の自分を思い出し、体験し、感じるプロセスをひたすら繰り返すうちに、求めていたものは最初からここにあった、と気づくのが「覚醒」なのだ。

 

 

あなたはつねに「神性」に浸されている。たったいまもそうだ。それどころか、あなたは「神性」なのだ。「神性」であり、「神性」に浸され、「神性」そのものを「神性」の個別化された側面である自分として表現している。

したがって、あなたは真の意味では「わが家」への帰り道にいるのではない。すでに「わが家」にいる。あなたはつねに「神とともにあるわが家」にいる。

じつはあなたは、自分が行きたがっているところにもういるのだよ。そして驚くべき秘密とは、そのことを知ったとたんに体験できる、ということだ。

(中略)

あなたはもうすべてを知っている。わたしはただ思い出させてあげているだけだ。

あなたは「神性」をめざす旅の途中にいるのではなく、進むにつれてさらに多くの「神性」を経験する、永遠のプロセスのさなかにいる。

(中略)

あなたに「わが家」への道を示してあげることはできるが、あなた自身が「わが家」への道をたどらなければならない。

真の意味ではあなたは旅の途上にいるのではない。あなたはつねに、行きたがっているところにいる。だが、それを知らないから、自分が旅の途上にいるという体験をする。だから、旅は必要なかったということを発見する旅をしなくてはならない。

道のはじまりと終わりは、つねにいまあなたがいるところだ、ということを発見する旅に出なくてはならないのだよ。

サンマーク出版:「神へ帰る」より引用)

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そう、そうなんですよね。何度も読んで知ってはいるけれど、完璧に自分のものにできていないこの概念を、改めて読んで入力するうちに、神様の言う

そして驚くべき秘密とは、そのことを知ったとたんに体験できる、ということだ。

を体験し、泣けました😭!

 

ただ、この体験は私にとっては一時的で、永続しないのですよ。こうやって神の言葉を、読んだり、瞑想することによって思い出した時は、

「そうだった、そうだった、だから何も、もがき苦しむ必要無いんだった!😆」と、気持ちが楽になるのだが、3次元の世にどっぷりつかっていると、すぐ!速攻忘れちゃうのだ。

なので、知識として知っていることを、体験して落とし込む作業を、くり返しくり返し地道にやることにより、神性の側面を存分に感じつくしてやっと、

「ああカンペキ思い出した!私って、実は、はじめっから神だったじゃん!山のようにいろいろ体験して感じることで、やっと完全に思い出せたよ。肉体をもったままこの境地に達するのに、あたしゃどんだけ転生をくりかえしたんだろううねえ、全く!」・・・てな具合に?悟るのであろう。

(それが今生なのか、未来世なのかは、知る由もない(^_^;))

 

 

「気づき」とは、自分が知って体験したことを感じることなのだよ。何かを知ることと体験することはまったく違うし、それを感じることもまた、まったくべつものだ。

「感じる」ことだけが、十全の「気づき」を生む。「知る」だけでは部分的にしか気づけない。「体験」だけでもやはり部分的にしか気づけない。

あなたは自分が「神性」であると知っているかもしれないが、「神性である自分」を体験し、その「感情」を生きることを通じて、初めて「気づき」が「完了」する。

(中略)

感情は魂の言葉だ。

自分自身についての気づきは、ほんとうの自分を十全に感じることを通じて達成される。

(引用元:同上)

 

いま、私が、自分の心の闇と対峙しているのも、ほんとうの自分を十全に感じるためにまず通らなければならない必要なステップであり、それにはやはり、真っ黒い自分を十全に感じて感じて感じつくしてやっと、真っ白い自分へ転じる道が開けるのだろう。

「いつになったら自分は完全な悟りを得られるのだろう・・・」なんて、一瞬たりとも思ってはいけない。いま、この瞬間に感じている自分の感情こそが、魂の導きそのものであり、たとえその感情が一般的にはネガティブとされる良くないものだったとしても、そこをスルーしてしまっては気づきはどんどん遠ざかる一方だ。

軽いネガティブ感情なら、

「あ、いまの間違い、取り消し!」などと言うだけで、キャンセルすることも可能だろうが、過去生から引きずっていそうな深い心の闇は、そうはいかない。

軽いか深いかは、その感情がどれほどしつこく訪れるかでわかるはずだ。

 

昨日の夜、「遺伝子易経」を読んで、

「これは、いまの自分がわすれちゃならん文言だ!」と思い、筆ペンで写し書きして壁に貼った箇所を皆様にもご紹介して、今日は終わりたいと思います。

 

真の目的は、何かを達成することではなく

一瞬一瞬に完全に専念すること

 

お読みくださりありがとうございます😊💖。

全てに感謝✨