ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”愛とは感情──憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、羨望など──がないことではなく、あらゆる感情の総和だ”

以下太字サンマーク出版神との対話①」より

 

自分の心の闇を「ヤミ子」と名付け、避けたり、無視したり、逃げ回ったり、抵抗したりせず、友達になり、受け入れ、祝福し、愛し、感謝し、闇から光へと昇華させるべく、しっかりじっくりと向き合おう、と決めて半月ほどが過ぎた。

※「ヤミ子」って何?と思ったあなたは過去記事を読んでねニコニコ

 

ここ数日、何だか気持ちが低空飛行で、立て直そうとすればするほど、どんどん深みにはまっていき、心もとない、わけのわからない不安に襲われていた。低迷しているきっかけとなった出来事もあるにはあるが、そこまで大したことではないので、なんでこんなに落ち込むのか、自分でもわからず、悶々とした気持ちを抱えていた。

(ヤミ子がまた登場してるのかな・・・。今回は私の知らないうちにこっそり忍び込んだって感じかしらん・・・。)などと、ぼんやり考えていたその時、はたと気づいた。

 

ヤミ子は、私のなかに突如現れるのではなく、いまも過去も未来も、いつでも一緒にいる、永遠に切り離すことのできない存在なのではないか!?

そもそも、神様はこのようにおっしゃっている。

 

 

魂が求めているこの「わたし」には非常に複雑で、非常にたくさんの層、感覚、面がある。わたしには100万もの側面が、10億もの、1兆もの側面がある。わかるだろうか?冒涜的な面と深い面、小さな面と大きな面、うつろな面と神聖な面、おぞましい面と神々しい面がある。

 

 

私たち人間が神と同じ性質をもった存在であるならば、当然私たちにも、神同様に1兆もの側面があり、そこには神々しい面もありおぞましい面もあることになる。その膨大なメニューのなかから、自分が体験したいことを選び出している、というのだが、私自身はもうネガティブな自分、真っ黒な自分なぞできるだけ体験したくないと思っているのだから、極力選ばないようにするぞ!と固く決意しているのにもかかわらず、なんでこうもしつこく闇体験がやってくるのだろうか?どうしたら私はネガティブな在りかたを卒業できるのだろうか?

 

はっびっくり!!これはもしや・・・・。

 

究極の、「全面的に無条件に自分を愛する」ためのステップなのではなかろうか。

1兆もの側面の何割がネガティブなのかしらんけど、そのネガティブ側面すべてを全面的に愛することができてはじめて、心底、本当に自分をまるごと全面的に愛することができるのだとしたら・・・・。

 

「え、1兆てその半分だって5000億もあるし!」

 

もちろん、たった一回きりの人生で神の側面すべてを体験するのは無理ってもんだ。だからこそ、何度も何度も転生をくりかえしているのだし、並行宇宙もあるのだし、今、ここにいる自分だけで5000億の闇の側面を体験せずとも、過去や未来や別次元の自分が担当してくれているのであろう。

そして、今、私と同時期に、この地球・この宇宙に存在している全てが、この作業を意識して、あるいは無意識に行っているのだとしたらですよ、無限に近いような神の側面=すべてを、それぞれがそれぞれに絶賛体験中であって、しかも、過去も未来も実は存在せず、すべてが「いま」連続同時に起きているのだとしたら・・・・・!!

想像すると、なんだか頭が爆発しそうな、すごいことだびっくり!!

 

自分がいま体験している、

【例】神の側面・カテゴリー闇:NO.1095「憂鬱」

も、神が神を実体験するのに役に立っているのだから、まったく気に病むことはない。

そして、このNO.1095「憂鬱」がなかなか解消できなかったとしても、それもまた、

「憂鬱をなかなか解消できない」体験をしているのだから全然OKだ。

そこから抜け出したい、変わりたいと思えば、「憂鬱」体験を味わいつくし、喜び、受け入れ、愛し、感謝することによって「能天気」に変換できるはずだ。そして、「憂鬱」で苦しんだ後だからこそわかる「能天気」の素晴らしさを、この上なく満喫できるだろう。

 

そして、私が、世界の縮図で、神の縮図であるのならば、自分の中にごまんと存在するヤミ子を無条件に全面的に愛することができたあかつきには、それすなわち、世界そのものを、宇宙そのものを全面的に愛することになり、私とつながっている世界が癒され、宇宙が癒され、神が癒される・・・・のだろうかクラッカークラッカークラッカードキドキドキドキドキドキクラッカークラッカークラッカー!?

 

わ~なんかすごくない?

 

しかも個人作業であると同時に共同作業でもあるのだから、いまの自分の管轄外のことは他の誰かが必ずやってくれていて、どこかのレベルで達成されているのだ。私は、唯一、好きなように創造できる「いまの自分」のことを、ただただ喜んで受け入れて、祝福し、愛し、感謝すればそれでいいのだ。

今生で、もし自分の中のヤミ子全員を愛することができなかったとしても、それもプロセスの一環で、未来のどこかの次元では、ヤミ子全員を、愛し受け入れ完全な光と化した自分が存在するだろう。それもたったいま起こっているんだから、「そんなの、何千年先の話だよ・・・」などと気が遠くなることはないのだ。

 

 

魂が追及しているのは──想像しうるかぎりの最高の愛の感情だ。これが魂の欲求、目的だ。魂は感じようとしている。愛を知ろうとしているのではなく、感じようとしている。

最高の感情は「すべてである」存在と合体する経験だ。それは真実へとかえることであり、魂が切望しているその真実が、完璧な愛である。

完璧な愛とは色のなかの完璧な白のようなものだ。多くのひとは白とは色がないことだと考えているが、そうではない。あらゆる色を含んでいるのが白だ。白は存在するあらゆる色が合体したものだ。

だから、愛とは感情──憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、羨望など──がないことではなく、あらゆる感情の総和だ。あらゆるものの集合、すべてである。

だから、魂が完璧な愛を経験するには「人間のあらゆる感情」を経験しなければならない。

自分が理解できないことに、共感できるだろうか。自分が経験しなかったことについて、他人を許せるだろうか?そう考えれば、魂の旅がどんなに単純で、しかもすごいものかがわかるだろう。そこでようやく、魂が何をめざしているかが理解できるはずだ。

人間の魂の目的はすべてを経験すること、それによってすべてになりえることだ。

 

 

以前にもこの箇所はブログで取り上げたけれど、今、より一層、腑に落ちた感じがする。こうやって、頭にこびりついているものの実感しきれていない概念が、体験によって、すとん、すとんと腹に落ちてゆくのだろう。

これもヤミ子のおかげなのだ。ヤミ子はふいに時たまあらわれて私を不快にする困ったちゃんではない。私を完璧な白へと導いてくれる天使、私そのもの・神そのものなのだ。

 

 

選択肢がなければ魂は何も選べない。魂が偉大さを体験するには、偉大であるとはどういうことかを知らなければならない。そこで魂は、偉大さは偉大でないところにしか存在しないと気づく。だから、魂は偉大でないものを決して非難しない。

それどころか祝福する。そこには自らの一部、別の一部があらわれるために必要な一部があるから。

もちろん、魂の使命はわたしたちに偉大さを選ばせること──選ばなかった部分を非難せず、最善の自分を選ぶようにさせることだ。こんな大きな使命を果たすには、いくつもの生涯が必要だ。あなたがたはすぐに批判しようとし、自分が選ばなかったものを祝福しないで、ものごとを「間違っている」とか「悪い」とか「充分でない」と決めつけたがる。

非難するより、もっといけないこともある。自分が選ばなかったものを傷つけようとするのだ。破壊しようとする。自分が賛成できない人間や場所やものごとがあれば、攻撃する。

(中略)

自分と違う思想があれば、ばかにする。自分と違う考え方があれば、拒否する。だがそれは間違っている。それでは宇宙の半分しか創造できない。そして残る半分を拒否していたら、自分の側の半分さえ理解できない。

 

 

ヤミ子を祝福せずに非難し、間違っている、悪い、と決めつける私はもういない。

自分の側の半分を理解し、宇宙の半分を創造する旅に、本格的に出発だ~!

 

 

お読みくださりありがとうございます。

全てに感謝照れドキドキ