神の五つの姿勢について知りたいんです。ところで、そこには「陽気で明るい」というのは入ってないんですね。
入れた方がよかったかもしれないね。
もう、冗談はやめたんじゃなかったですか?
いや、まじめな話だよ。ひとは、神は全然ユーモラスではなく、笑わず、誰もが神の前では敬虔でなければいけないと思いこんでいる。もう少し気軽になってもらいたいのだ。あなたがた全員にだよ。自分を笑いとばしなさい。誰かが「自分を笑えるようになったら、おとなだ」と言ったことがある。自分のことをあまり深刻に考えないことだ。気楽にしなさい。自分もだし、ひとにもそうさせてやりなさい。
(サンマーク出版:「神との友情 下」より引用)
昨日からどうも気分が低迷していて・・・・。
その原因かもしれないのが、コロナ茶番デミックの渦中、血のつながった身内たちと自分との、あまりの感覚のギャップ(今さらだが)に、
「なんだかなあ・・・・」となってしまって。
以前は、身内にワクチンを打たせたくなくて、必死に情報を送りつけていたが、私の知らぬ間に接種をすませていたことが判明し、それ以来、身内とは言えど、それぞれの人生なのだ、選択を尊重すべきなのだ、と悟ったのではあるが。
身内総勢10名以上、こちらは私とダンナだけ。向こうにしてみれば、我々夫婦は、反社会的カルト思想にハマってしまった、困ったひとたち。
「早く目が覚めたらいいんだけどねえ・・・・いつまでもこんなだと困るわねえ・・・・。なんだかテレビ報道も全然観ていないらしいし、極端なのよね。大げさっていうか。ったく、大丈夫かしらね。」
といった目で見られていることは容易に想像できる。
多勢に無勢、何を言っても通じないので、そのうち緊急放送が来ればわかっていただけるだろう、と思いつづけてはや1年以上。
緊急放送に過度の期待は禁物、それより自分の波動を上げることを第一に、日々愛と感謝で生きるのだ!とお思いの方はたくさんおられると思うし、もちろん私もその一人だが、時々自分を鼓舞することに疲れてしまい、
「ってやんで~もうやってられっか!!」とちゃぶ台をひっくり返したい欲求に駆られる。
身内や世間の人が騙されていることも、自分の霊的成長が亀のごとくのろいのも、
「どうでもいい」と思いたいのだが、そう思える時(幸せ)とそうでない時(がっくし)があって、そうでない時は、「あ~あ、アタシってやっぱまだまだじゃん」と落ち込みに拍車がかかる。
さあ、そんな時こそ、神様のお言葉ですよ!
自分を笑いとばしなさい。誰かが「自分を笑えるようになったら、おとなだ」と言ったことがある。自分のことをあまり深刻に考えないことだ。
落ち込んだって、「どうでもいい」と思えなくたって、疲れちゃったって、これも神の側面のひとつなんだから、オールOKなのだ。ネガティブな感情が湧き出てくるところまでは、祝福に値するおめでたいことなのに、それを
「自分、だめだめ・・・」
「愛と光でいたいのに、また波動下がった・・・情けない」
「こんなセコイ、小っさいことで悩みたくないのに・・・」
と波動下げ下げしてるのは、まぎれもなく、自分を罪人かのごとくジャッジする、おのれの思考パターンなのだ。
気分がなかなか浮上しなければそれもまたよし、好きなだけ落ち込んで、どん底まで行ったらあとは自然に浮き上がってくるだろう!なんとかしたくて、アップアップもがくから苦しいのだ、じーっと沈んで行って、いっそ深海の底までいって深海魚と仲良くなっちゃれ!
家族間や友人同士、あるいは職場で、孤立したり疎外感を味わって辛い人、たっくさんいると思います。
一緒にがんばりましょう、乗り越えましょう、笑いとばしましょう!
”平然と悟ったように動じない”ってのは、私にとっちゃやっぱハードル高いので、出来ないときもある!のだ。
楽しみ、喜びなさい。もし、現在の状況や条件が変えたいと思うようなものなら、べつの方法で体験することを選択しなさい。外へ現れた姿、外見はまったく変わらないかもしれないが、内なる体験は変えられるし、変わる。あなたの決心しだいだ。
あなたがたはそれを追及しているのだということを、思い出しなさい。外見はどうでもいい。内的な体験だけを考えればいい。外の世界はあるがままでよろしい。こうありたいと思う内的な世界を創造しなさい。それが、この世界にいるがこの世界のものではない、ということだ。
(引用元:同上)
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