ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”意識が高まれば高まるほど、あなたは自分という存在のあらゆる側面を充分に認識するようになる”

 

あなたがたは三つの部分からなっている。大半のひとは、自分を肉体として経験する。30歳を超えると、精神すら忘れてしまう。読書もしなくなる。ものを書くこともなくなる。教えなくなる。学ばなくなる。精神は忘れられる。養われない。ひろげられない。新しいインプットはない。最低のアウトプットしか求められない。精神は糧を与えられない。目覚めない。なだめられ、にぶる。精神をにぶらせることばかりをする。テレビ、映画、くだらない本。何をするにしろ、ものを考えない。

まったく、考えない!

(中略)

たいていのひとは何も考えたくないのだ。自分で考えなくてもいいように、指導者を選び、政府を支持し、宗教を採用する。「気楽にさせてくれ。どうしたらいいか、教えてくれ」。

たいていのひとは、それを望んでいる。どこに座ればいいか?いつ立てばいいか?どんなふうにあいさつすればいいか?いつ支払いをすればいいか?どうすればいい?ルールは?限界は?教えてくれ、教えてくれ。誰か教えてくれれば、そのとおりにするよ!それから、うんざりし、幻滅する。すべてのルールに従い、言われたとおりにした。なのに、どうして、うまくいかないんだろう?どうしてこんなにつまらないのか?どうして、何もかもばらばらになってしまうのか?

あなたが精神を、創造のための最高の道具を捨てた瞬間に、ばらばらになるのだ。

もういちど精神と付き合うべきだ。精神と道連れになりなさい。そうすれば、それほど孤独ではなくなる。精神を養いなさい。そうすれば、飢えなくなる。

サンマーク出版:「神との対話②」より引用)

 

 

なかなか辛口な神様のお言葉ですが、ひれ伏して「おっしゃる通りでございます!」と言うしかないのではないでしょうかあせる

現在のコロナパンデミックの茶番ぶりを見ていますと、特に日本人は自分で考えることを放棄して、メディアの煽り・扇動を真に受け、屋外でも真面目にマスクを着用し、ワクチン接種券が届けば、何の疑いもなく予約を入れ接種する。けれども、闇側のつきつづけた嘘が巨大化し、真実があちこちから漏れ始めているので、緊急放送がなくても、

「言われたとおりにしてきたけれど、状況は改善するばかりか、悪化の一途をたどっているじゃないか!」と、(気づきの遅い日本人でもzzz)いいかげん、そろっと気づかないものだろうかなあ・・・・と思いますが、どうでしょうね汗

私自身、コロナのおかげで、今までざっくりとしか知らなかった闇の裏事情を深く知ることができたので、「ピンチはチャンス!」と思ってはいるのですが。

 

 

あなたがたの一部は──少数だが──肉体と精神の両方があることを理解している。そんなひとたちは、精神もていねいに扱う。だが、精神にどれほど大きな能力があるかがわかったら、精神の驚異のお相伴にあずからないではいられないだろうに。肉体と精神のバランスをとっている者が少数だとしたら、肉体と精神と魂という三つの部分を生きている者はさらに少ない。だが、あなたがたは三つの部分からなっている。肉体以上の存在であり、精神をもった肉体以上の存在なのだよ。

(引用元:同上)

 

 

果たして、日常生活のなかで、魂の事に関心をもち、魂のための時間をとっている人が、世界に、日本に、一体どれだけいるでしょうか。

「偉そうなことを言って、お前はどうなんだ!」と言われますと、霊的成長には何十年も関心をもってきましたが、肉体・精神・魂のバランスが取れているのか、実践はできているのか、というと、キャイ~ンあせる笑い泣きすみません、絶賛・学びの継続中です!

 

 

あなたは、魂を養っているだろうか?そもそも、魂の存在に気づいているだろうか?魂を癒しているだろうか、傷つけているだろうか?魂は成長しているだろうか、退化しているだろうか?拡大しているだろうか、縮小しているだろうか?

あなたの魂は、精神と同じように孤独だろうか?もっと無視されているだろうか?あなたが前回、愛を感じたのは、いつのことだったろう?喜びに泣いたのはいつだった?詩を書いたのは?音楽を作ったのは?雨の中で踊ったのは?パイを焼いたのは?絵を描いたのは?何かを修理したのは?赤ん坊にキスしたのは?ネコを抱き上げてほおずりしたのは?山登りをしたのは?裸で泳いだのは?夜明けに散歩したのは?ハーモニカを吹いいたのは?

夜明けまで話しこんだのは?何時間も海辺で、森のなかで、愛しあったのは?自然とふれあったのは?神を求めたのは?黙って座り、自分という存在の最も深い部分にまで旅をしたのは、いつだった?魂に、「やあ」とあいさつしたのは、いつだった?

(引用元:同上)

 

 

神様がここで言っているのは、こういった行動そのものを推奨している、ということではなくて、しなければならないことを義務感でやるのではなく、純粋に、心の奥底から湧き上がってくる情熱からつき動かされて、何かをしたか?ということだと思います。

ネコを抱き上げてほおずりするとき、「抱き上げなくちゃいけない」などと思いながらするでしょうか。また、誰もが、無垢な愛らしさに惹かれて思わず赤ちゃんにキスしてしまうのではないでしょうか。けれども、日々の生活が忙しく、時間に追われて余裕がないと、吹き抜ける風の清々しさや、ひっそりと咲いている草花の愛らしさなどを感じることができずに、機械的に肉体の欲求をかなえることだけに焦点が置かれて、魂の存在は忘れ去られてしまいます。

しかし、神様は肉体の欲求を軽視しろとは、決して言ってはいません。

 

 

一面的な存在として生きていると、肉体的なことがらにどっぷりと染まってしまう。

金。セックス。力。所有。肉体的な刺激と満足。安全。名声。金銭的な利益。

二面的な存在として生きていれば、精神的なことがらにまで関心が広がる。友情、創造性、新しい考えや思いつきという刺激、新しい目標、新しい挑戦、個人的な成長。

三つの面をもつ存在として生きたとき、あなたはようやくバランスがとれる。魂に関することがらに関心を持つようになる。霊的なアイデンティティ、人生の目的、神との関係、成長への道、霊的な成長、最終的な運命。意識が高まれば高まるほど、あなたは自分という存在のあらゆる側面を充分に認識するようになる。成長とは自分のある面を大事にして、べつの面を捨てることではない。焦点を広げることだ。ある面にばかりかかずらうのをやめること、すべての面を真に愛し、評価することだ。

(引用元:同上)

 

 

甘いものが大好きだからと言って、三食甘いものばかり食べていたら確実に身体を壊します。かといって、魂の成長のため!と、いきなり大好きな甘いものを一切断ったら、イライラしてストレスが溜まり・・・・これまた本末転倒です。

こうするべきだと思うからする、誰かに言われたからする、こうしないと非常識だと他人に思われるからする、ではなく、自分の正直な感情を、身体の発するサインを、大切に尊重すること。心も体も、わたしたちに「いまあなたはこんな状態だよ!」と教えてくれていますよね。けれども、わたしたちは気のせい、とか大したことないとか、こんなふうに感じる自分なんてありえない、と無視して放置しがちです。その結果どうなるか──病気になる、鬱になる、無気力になる、つねに不満を抱えて生きる──ようになってしまいます。

つまるところ、やっぱり自分と向き合う時間を作ることが、肉体・精神・魂の、三つのバランスをとるための最適な解決策なのかな、と思います。たとえ、心や体からのサインが、好ましいと思われないこと──例えば、義母がどうしても好きになれない、また体重が増えてしまった──だったとしても、そんなことを感じる自分を嫌ったり、もしくは義母を憎んだり、または、太った自分を蔑んだり、自分を太らせる菓子パンを恨めしく思ったりするのではなく、そんな時こそ、自分と戦わず相手を敵と思わず、その状況をもたらしたすべてを祝福し、受け入れ、感謝するのです。変革は、それが十分できてから!

(できるかいな、そんなこと!と思ったあなた、出来ます!絶対に!)

 

 

魂は身体を通して語り、「いま、ここ」であなたの真実を体験させる。何かについてあなたの真実を知りたければ、感情を探すことだ。それには身体をチェックするのがいちばん手っ取り早い。(中略)

魂はすべてを、過去も現在も未来も知っている。

あなたが何者か、何者になりたいかも知っている。

(「神との友情 上」より引用)

 

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ