ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”魂にとっては、どんな行動をするかではなく、その間どんなふうに在るかだけが問題だ”

(以下太字・青字サンマーク出版神との対話①」より引用)

 

何かで「在ること」と「行動すること」には違いがあり、たいていのひとは後者に力点を置いているということだ。

 

それがいけないのですか?

 

「いい」とか「いけない」ということではない。あなたが何を選ぶか、どうすればそれが実現するかというだけだ。あなたが平和と喜びと愛を選ぶなら、行動を通じてでは、獲得できないだろう。あなたが幸運と満足を選ぶなら、行動という道を通じては、手に入れられないだろう。ふたたび神と一体になることを選ぶのなら、そして最高の知識、深い理解、終わりのない共感、全面的な目覚め、限りない充足を選ぶのなら、行動では、達成できないだろう。

言い換えれば、あなたが発達することを──魂の発達を──選ぶなら、身体の世間的な活動によって達成できることはできない。

「行動すること」は身体の動きである。「在ること」は魂の働きである。身体はつねに何かをしている。毎日、毎分、何かをしようとしている。

身体は魂に促されて何かをするか、魂に反して何かをする。人生の質はこのバランスによって決まる。

魂は永遠にあるものだ。身体が何をしようとも、魂は在るがままに存在する。

あなたが、人生とは「行動すること」だと考えているなら、自分を理解していない。

あなたの魂にとっては、暮らしのために何をするかなどはどうでもいい。人生が終わるとき、あなたもどうでもいいと思うだろう。魂にとっては、どんな行動をするかではなく、その間どんなふうに在るかだけが問題だ。魂が追及しているのは在り方であって、何をしているかではない。

 

 

このブログは、自分自身の魂の成長を鼓舞し、さらなる覚醒を促すために書いているので、格好つけたり悟ったふりをすることは一切せず、ありのままを暴露する覚悟?でやってますので、正直に言いますが・・・・。

もともと、自分はコンプレックスが強いところがあり、今現在もそれを完璧に克服しているかと言いますと、まだまだでして、いまだに日常生活のなかでそんな自分に気づかされることが多々あります。
どんなコンプレックスなのか具体的にバラしますと、私は齢54才のおばちゃんですが、この年になって「やり遂げた、極めた」と言えるものが何もない(と自分で思い込んでいる)ことなのです。
 
若い時から、やりたいことは色々ありましたが、どれもこれも中途半端。環境問題や平和活動に熱心に取り組んでいたころは、色々な講演を聴きに行ったり、地域の活動家と一緒に行動を共にしたり、超熱心にやってましたが、そのうち無力感にさいなまれて鬱になり、活動は一切やめて沖縄に逃げてきた?のです。沖縄に来る前は、子育てワークショップを自分で主催したり、「神との対話」の地域ミーティングも主催しました。機関紙の発行にも携わっていたし、育児の傍ら本当に色々な活動をしていたのです。でも、だんだんと活動することが喜びではなく、苦しくなってきたので、様々なしがらみをリセットしたくて、沖縄に移住しました。(なんで沖縄だったのかはいまだ謎・・・。不思議な縁があったのでしょうかにやりはてなマーク
しかし、どこに逃げてもだめなんですよね。自分の在り方は変わっていないんですから。世界平和も環境問題もスピリチュアルも自然療法も、その他諸々、沖縄では細々と自己流で続けてはいましたが、表だって活動する、行動を起こす、組織にかかわる、ということは避けてきました。そして、人の役にたってお金を稼ぎたいという(これも長年のコンプレックスだった)夢がかなって、在る仕事につきましたが、これも、まあいろいろあって、たった5年で辞めることとなり。
(なんで自分はいつまでたっても経済的自立ができないのだろう・・・何をやっても長続きしないのだろう・・・・)などと悶々とした思いを抱え、払しょくできないでいるさなかに、コロナ騒動が始まったのです。
 
私の場合、コロナのおかげで霊的成長が一気に加速し、長年のコンプレックスはかなり解消されましたが、ここ数日、ちょっとしたことで、このコンプレックスが再燃してしまったのです。
以前だったら、また悶々と負のスパイラルに陥ったことでしょうが、最近は、こういったネガティブ思考を歓迎することに決めていますので、早速ブログで取り上げて、一気解決しちゃおう!と思い立ったのでした。
 
私の場合、自分が若いころから取り組んだり関心をもっていたことを、つい最近始めたような方が、いつのまにかすっかりそれをものにして、世間的に活躍されたりしているのを見ると、心に羨望をこえたモヤっと感が生まれてしまい、そんな自分がとっても嫌だったのですが、神様はこう言っているのです。
 

あなたが平和と喜びと愛を選ぶなら、行動を通じてでは、獲得できないだろう。あなたが幸運と満足を選ぶなら、行動という道を通じては、手に入れられないだろう。ふたたび神と一体になることを選ぶのなら、そして最高の知識、深い理解、終わりのない共感、全面的な目覚め、限りない充足を選ぶのなら、行動では、達成できないだろう。

言い換えれば、あなたが発達することを──魂の発達を──選ぶなら、身体の世間的な活動によって達成できることはできない。

 
いまの自分は、定職に就かずに、自分の体験を大好きな「神との対話」のメッセージと絡めたブログを思いつくまま書き、日々庭いじりをしたり畑仕事をしたり犬猫と戯れたりしているだけですが、そんな日々のなかで、喜びと祝福と受容と愛と感謝(神の5つの姿勢)であれば、それをつねに念頭に置いて生きれば、もう、それで充分なのです。いま置かれている状況のなかで、どんな自分でいることを選ぶのか、ということのみに集中して生きるのなら、すでに自分の魂の発達に充分時間を割いて努力しているということであり、何か派手に表立った行動をする必要もないし、大金を払って何かの講座に通う必要もない。
誰でもみんな、いま置かれている状況が完璧なのであり、人を羨んだり妬んだりしてしまうのは、自分の完璧さに対する認識がまだ足りていないということなのです。
私の魂の発達のために、シナリオが練られ、大勢の魂がそれを手伝ってくれて、いまの自分がある──そう信じることができるなら、ささやかな自分を「これでいいんだ」って心底思うことができます。
 
まず、おのれの「在り方」を追求すること、そこから自然に生まれ出る行動には、無理もないし、義務感もないし、焦燥感や、結果を求める気持ちもない。
 
やっぱりこうやって文章にすると、気持ちがまとまっていって、自然に答えが浮かんでくるから、ブログの存在はありがたいですね、感謝、感謝ですおねがいラブラブ
 
 
あなたがより高い在り方を選ぶとしよう。あなたは善、慈悲、同情、理解、赦し、愛を選ぶとしよう。神性を選ぶとしよう。そうしたら、どんな体験をするか。それを教えよう。
存在は存在を引きつけ、経験を生む。
あなたは身体によって何かを生むために、この地上にいるのではない。魂によって何かを生むために、この地上にいる。身体は魂の道具にすぎない。身体を動かす動力はあなたの精神だ。だから、あなたが地上にもっているのは、魂の欲求に従って創造するための動力機械なのだ。(引用元:同上)
 
 
お読みくださりありがとうございます。
すべてに感謝照れドキドキ