ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”正しい祈りとは、求めたりすがったりすることでは決してなく、感謝である”

昨夜、おやき♡たいやきさん主催の祈りのライブに参加させてもらいましたキラキラ

 

そのなかで、「祈りってそもそもなんでしょうね?」っていう問いかけがあり・・・・。

私の持っている国語辞典によりますと、

 

祈る:①神や仏に願う ②心から願う

 

・・・・。なんだか、ぴんと来ない。やっぱりここは、「神との対話」から祈りについて書かれた部分をピックアップしてみましょう~。

 

 

それでは、欲しいものを求めることはできないのですか?何かを祈るということは、じつはそれを遠ざけることになるのですか?

 

(中略)

あなたは求めるものを手に入れられないし、欲するものを得ることもできない。求めるというのは、自分にはないと言いきることであり、欲すると言えば、まさにそのこと──欲すること──を現実に体験することになる。

したがって、正しい祈りとは、求めたりすがったりすることでは決してなく、感謝である。

現実に体験したいと考えることを前もって神に感謝するというのは、願いはかなうと認めることだ・・・・。感謝とは神を信頼することだ。求めるより前に神が応えてくれると認めることだから。決して求めたりすがったりせず、感謝しなさい。

(中略)

祈りがかなえられないというときは、じつは、最も強く信じている思考や言葉、感情が作用している。あなたが知っておかなければならない大切な秘密は、思考の陰には常にもう一つの思考、「思考を支える思考」とでも言うべきものがあって、それが思考をコントロールしているということだ。

つまり、何かを求めたり、願ったりしたら、望んだことが叶う可能性は非常に小さい。なぜなら、「欲求を陰で支えている思考」というのは、「望みはかなっていない」という思いだから。そちらの方が現実になるのだ。

支えとなる思考のなかで、「望みがかなっていない」という思いよりもっと力強いのは、「神は必ず求めるものを与えてくれる」という信念、それだけだ。その信念をもっているひともいるが、非常に少ない。

神があらゆる求めに応じてくれると信じるのはむずかしいが、そもそも求める必要はないのだと直感的にわかっていれば、祈ることはずっとやさしくなる。そのとき、祈りは感謝の祈りになる。求めるのではなく、望みがかなっていることを素直に感謝するようになる。

サンマーク出版:「神との対話①」より引用)

 

 

・・・・なんだか、前回アップした内容とリンクしていますね。

祈る内容が、状況の変化を求めるものであった場合、それが絶対不可欠!とか、叶わないと幸せになれない!といった思考があったりすると、より、いまの現実にガチガチにとらわれている自分が明確になりますから、望みがかなうことも難しいのかもしれません。

個人的状況にしろ、世界的状況にしろ、その変化を求める思いを陰で支えている思考は何なのか、が、とても重要なのだと思います。

 

私は20代のころ、地球がひどい環境汚染にさらされ、戦争がいつもどこかで起きていることに耐えがたい苦しみを感じていました。自分がちっぽけで無力であること、世間一般の人や国家、大企業の意識の低さを呪い、人間なんか地球から絶滅してしまったほうが、地球にとってどれほどいいかしれやしない、と本気で思っていました。植物や動物はとても大事に思っていましたが、自分も、人間そのものも、愛していなかったのです。

 

この当時願っていたことと、いま願っていることは同じです。

「地球が愛と平和で包まれた惑星になること」です。けれど、根っこにある支える思考はまったく違います。

今、私は何もかも愛しています。自分にとって都合のいい存在だけではなく、地球を破滅寸前にまで追い込んだ存在、世の中の悲惨な出来事や他者の苦しみに無関心な人たち、そういったものすべてをひっくるめて、そして何より自分自身を無条件に愛することを、ようやく自分に赦し、日々実践しているのです。

 

私にとっての「祈り」は、自分を含め、すべての人が「ほんとうの自分」を思い出すことです。そして、すでに、すべての人にとって最善の環境がいつでも、どこでも与えられている、ということを、完全に信じています。なので、結局、神に何を祈るか、というと・・・・。

 

「私たちがほんとうの自分に気づくよう、つねに手を差しのべてくださりありがとうございます。

すべての人がその無限の愛に気づきますように」

 

という、ひたすら感謝・感謝の祈りになります。

 

では、昨日おやき♡たいやきさんが企画した、アフガニスタンに祈りを届ける、といったような

世界のなかでも厳しい状況におかれた地域に対して祈る場合、どんなふうに祈ったらいいのでしょう?

 

ここからはあくまでも私個人の考えですが、祈る人、一人ひとりの「欲求を陰で支えている思考」が大事なのではないかと思うのです。

祈りを届けたい誰か・どこかを心から愛し、癒したいと思い、

「私たちは分離しておらず、すべてつながっている・一体なんだ」という意識から祈るのであれば、細かい文言はどうでもいいのかな?と・・・・。

思いを寄せる、寄り添う、自分の中にある無限の愛で包む──それだけで、他者への祈りはすでに「叶えられている」気がします。

自分の事で祈る場合も結局一緒かもしれませんね。自分が、神とひとつである、と心から信じているのなら、自分を愛で包むことは、神の愛で自分を愛おしむことと同じです。

 

他者に対しても、自分に対しても、心から慈しむ気持ちをもつこと。

それ自体が波動の上昇につながり、世界の癒しにつながる、昨夜はそう思えたすばらしい祈りの会、「PRAY TOGETHER LIVE」でした。

おやきさん、そしてラファエルさん、本当にありがとうございましたおねがいラブラブラブラブ!!

 

 

まず何よりも、あなたがた自身の内なる真実と智恵と愛に、目を向けなさい。

それに照らして、すべてを試してみなさい。

それによって、すべてをはかりなさい。

あなたがたが新しい霊性を創造するだけでなく、まったく新しい世界を創造するための最大の道具(ツール)は、あなたがた自身が生きる人生/生命であることを忘れないように。

あなたがたの人生/生命のひとときを、あなたがた自身の最高の真実を示すため、真の愛を差し出すため、あなたや他者があなたがた自身に付けた傷を癒すために使いなさい。

サンマーク出版:「新しき啓示」より引用)

 

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ