ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

「死とは何か⑨」”死から引き返すことができる”

以下太字・青字サンマーク出版「神へ帰る」より引用

神へ帰る(サンマーク文庫)[ニール・ドナルド・ウォルシュ]

人生/生命の終わり、死の第三段階と前に説明したところで、あなたがたは、ただならぬ質問をされる。その質問はあらゆる問いのなかで最も重要な質問であり、それに対する答えはあらゆる言明のなかで最も重要な言明であって、それは想像しうるかぎりの最も重大な「自由な選択のとき」でもある。

それほど重要だからこそ、天国にいるすべての天使が手を止めて、あなたの言葉に聞き耳を立てる。

それほど重要だからこそ、あなたが愛したひとたちすべてが、あなたの言葉を聞こうと集まってくる。

それほど重要だからこそ、神である彼自身がその質問に立ち会う。

それどころか、神である彼女自身がその質問をする。

 

 

死後、三つの段階を経て、私たちは「聖なる審問」の場に到達するようです。

三つの段階では、好きなだけ創造行為を満喫したあと、喜悦としか言いようのない「自分の存在の核心」との合体を経験し、それからじっくりと人生の振り返りをします。

そしていよいよ、重要な選択の瞬間がやってくるのです。

(死の三つの段階については、以前の記事に詳しくアップしていますニコニコ

 

 

 

で、その質問とは?

 

「あなたはとどまりたいか?」

 

はあ?「とどまりたいか?」って聞かれるんですか?とどまるって、どこに?つまり、死んだままでいたいか、ってことですか?

 

そう。人間の言葉、あなたがたの言語で言えばそういうことだ。それが質問だよ。

(中略)

●思い出すこと──その16

死から引き返すことができる。

(中略)

「死ぬ」ひとは誰でも、どうやって──それにどこで──生きつづけるかを決めることができるのだよ。

(中略)

死後、すべての魂は「あの世」にとどまるか、置いてきたばかりの物理的な人生に戻るかを選ぶ機会が与えられる。

 

 

な、ななんと!

私たちは、あの世に行った後に、「やっぱり、やり残したことあるから戻りたい!」と思えば、また、物理的な人生に戻って来られるというのです!

しかも、神様は、死ぬほとんどのひとは、初めて死ぬのではなく、少なくとも一度は死からよみがえっていると説明します。なので、「死にとどまる」ことを選んだ魂は、その人生での目的を本当に完了したからなのであり、残された者は、先立たれたことを恨んだり腹を立ててはいけない、と言うのです。

 

ここでいう、物理的な人生に戻る、という体験は、例えば、医師が「ご臨終です・・・」と言った一分後、奇跡的に心臓がまた動きだし、蘇生した!という、わかりやすいパターンだけではなく、べつの代替現実にジャンプする、ということなのだとか。

 

 

あなたが「死んで」そこから「戻る」というのは、じつは、意識的な気づきをべつの代替現実に移行させるだけなのだよ。

その現実のなかで、あなたはまた「死」の瞬間を経験するが、今度は死なずに生き延びる。

「危機一髪」に見えることもあるだろう。驚異的に回復したとか、突然、快方に向かったと見えることもある。「時間の流れ」のなかで「死」の直前に何分間か何週間かが挿入され、そこから転轍機(ポイント)が働いて分岐線に誘導されるようなものだね。

 

 

私たちは三次元を生きているのでなかなか想像することがむずかしいのですが、そもそも宇宙に時間というものは存在せず、「いま」という瞬間が無限に存在しているだけであり、私たちの人生のコースもたったひとつではなく、何パターンかが同時に存在しています。日常的に意識しているのは、ひとつきりの人生ですが、魂レベルでは、過去生も未来生も、そして連続同時に存在している違うパターンの人生も、すべて包括して認識しているようです。例えば、同時に存在しているタイムラインのなかに、事故に遭って死んでしまうパターンと、危機一髪で死なずに済んだパターンとがあったとしたら、初めて死んであの世に行ったと認識している自意識が、「やりのこしたことがあるから戻る!」と決めて、危機一髪で危険を回避し、死なずに済むパターンの人生にパッと移行する・・・・ような感じですかね~。

この、「聖なる審問」の際に、「自分は、先ほどまでいた物理的人生にはもう戻りません。」と答えて、霊的な領域への境界線を越えるまでは、死は決定的にはならないのだとか。なので、何度死にかけても、その人生にまた戻りたければ、何度でも戻って来れるのです。

しかし、ニールさんはこの神様の答えに納得できず、質問をします。

代替現実にジャンプするというのなら、自分が正式に死んでしまう現実がそのまま存在する、ということになり、そっちの現実では、納得できないまま、死ぬことになるんじゃないか?と。

それについて神様はこう答えます。

 

 

いわば、最初の現実に「残った」魂は、何が起こったかを知らないわけではない。自分自身の一部が代替現実にジャンプし、完了したかったことを完了することを知っている。

さらに時間などというものがないことも知っている。だから、自分自身の一部が「戻って」完了しようとしたことを、すでに完了したことも知っている。

だから魂は、「存在する一瞬」「いまという瞬間」にいて、完全に完了したと感じながら、霊的(スピリチュアル)な領域を移動する。

 

 

さあ、ここまで来ると、限られた三次元の頭で理解するのは難解です。私たちは、そもそも、現世に居る時は肉体と精神についてしか認識しておらず、魂についてはほぼ思い出せていませんが、魂は限られた視点しか持ちえない肉体や精神と違って、時間や次元を超えた視点を持っています。なので、代替現実のなかに、「完全に逝った」パターンと「死ななかった」パターンがあるのをわかっているのです。魂はいくつもの意識に分割され発達進化しているので、ある一つの瞬間に意識を合わせれば、たったひとつしか存在しないように感じる人生も、意識を拡大していけば、無限とも思われる様々な人生が、すべてつながっていて、どのポイントでの経験も、そのすべてに影響を及ぼしている、というわけです。

だからこそ──「いま、ここ」をどう生きるか、が、いかに大切であるかがわかります。

自分の今のささやかな選択ひとつひとつが、自分の代替現実に、過去生に、未来生に、そして、全宇宙に影響を及ぼしているからです。

 

では、「完了した」と納得して霊的な領域へ進むと決めた魂には、そのあと何が起きるのでしょう?

 

 

光と合体したとき、すべてのレベルの意識が「ひとつ」になり、その単一の意識をもって、あなたは「小部屋」から──「存在の核心」から──離れて、霊的な領域に入る。

それと同じく、存在のすべての側面──身体、精神、霊(スピリット)──もひとつになる。

さらに創造の三つの道具──思考、言葉、行為──もひとつになる。

こうしてついに、あなたが「時間」と呼ぶ三つの経験──過去、現在、未来──のすべてがひとつになる。何もかもが統合される。

じつは「死」とは再統合なのだよ。「死」とは崩壊などではなくて「再」統合だ。

すべての三位一体がひとつになる。「聖なる三位一体」とも呼ばれるものがひとつになるのだ。

このように、気づきのすべてのレベルですべての創造の道具を使っていっぺんに創造するから、あなたの創造は即時的になる。

 

 

結局、霊的な領域に行っても創造行為は続くのです。この世でもあの世でも、魂の欲求は、ほんとうの自分を十全に知ることであり、ほんとうの自分について、つぎにいだく最も壮大なヴァージョンとして自分を再創造すること。

霊的な領域で、生きることとは・自分であることとは・神聖な存在であることとは、どういうことなのか、知りうるすべてを知り尽くすために活動をするようです。

そして、やがて、「知る」だけでは充分でないときがやってきて、魂は霊的な領域で知ったことを経験したくなります。しかし、霊的な領域では経験することができないため、また霊的な領域をあとにして、「自分の存在の核心」に戻り、「聖なる審問」に答えるのです。

 

 

あなたは自分が何を欲しているかを知っているか?あなたは物理的な存在に戻ることを選ぶか?

その答え/思考/感情がイエスなら、魂はもうひとつの選択をする。同じ物理的な生涯に戻るか、それとも違う物理的存在として戻るか?

(中略)

選んだあと、あなたはもういちど「全面的な溶け合い」へ入る。

そこで生命エネルギーが減衰することによって、「誕生」と呼ぶ経験のなかへ入ることが可能になる。

 

 

前回の人生を、また一からやり直してもいいし、地球外の惑星での人生を生きることも可能だと神様は言います。過去も未来もないのなら、1万年前だろうが100年後だろうが、関係ありません。

そして、物理的な世界に誕生し、人生を謳歌し、やがて死を迎え、あの世へと戻り──このプロセスを何度も何度も、永遠に旅するのです。

 

 

●思い出すこと──その9

「すべてであるもの」が「自らの経験」によって「自らを知ろう」とする欲求。

それがすべての生命/人生の因(もと)だ。

 

 

私たちは神の一部として自らを経験するために、この世に存在しています。神の側面は「存在するすべて」であるのですから、自分のした経験を非難したり否定せずに、「こんな経験ができた!ラッキー!」と感謝して受け取り、その経験が心地よくなければ、手放し、卒業すればよいだけのこと。そう簡単に手放せないこともありますが、手放せるまで、何度も同じ経験をさせてもらえるので大丈夫!(ホントはあんまりしたくないけど・・・笑い泣きあせる

こりゃキツイ!もう無理!って時にはいくらでも助けを呼べるのです。なんたって、私たちには10万もの天使の援軍がついているのですからねラブラブ

経験は、自分の視点がつくるもの。視点を変えさえすれば、どんな出来事も、幸せな経験となるのです。

 

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ