ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”「よりすぐれている」というのは、いちばん危険な言葉だ”

 

今日は、今まで感じたことのないような、妙な胸騒ぎがします。

 

かなり前から、光の銀河連合さんのメッセージのなかで、「シートベルトをしっかり締めて!」というフレーズが何度も出てきましたが、シートベルトしっぱなしで1年も待てないよう~ショック!あせるなんて思いながら、緊急放送への過度の期待も薄れ、時期が来れば情報は開示されるだろう・・・と、この頃はちょっと緊張感がなくなってきていました。

けれど、昨日今日と、自分の身辺で立て続けに異変が起き、私は平静を保てず、ちょっと動揺してしまっていたのですが、そんな自分に、高次の存在から、「覚悟はできている?」と言われているような気がしてならず、すごく気持ちが高ぶっています。

アドレナリンが放出されている?というのか、なんというのか。

 

いよいよ、時が来た、という感じがするのです。

(あ、私は霊感もないし神秘体験もしたことありませんよ、あくまでも個人的感覚ですので)

 

何が起きるのかわかりませんけれど、ちょっとダラダラ間延びしていたような状況が一変するような、驚くべき状況が近々訪れる気がします。

以前、ブロッサム・グッドチャイルドさんと光の銀河連合さんとのやり取りのなかで、

今は第1章のさなかで、第2章突入時は、大きな発表があって世界的ロックダウンが起きる。全部で第5章まである。とのことでしたが、その後計画の変更があったのかどうか詳細はわかりません。

でも、第2章に突入するための、「バーン!」が起きる、そんな気がしています。

 

大切な家族、友人知人と言えど、これから先、歩む人生は、本人が自分で決定するのだから、どこかで別れ別れになるかもしれない。

ずっとそのことは、頭では理解してきましたが、昨日今日起きた事件のおかげ?で、ありありと今生での別れが実感を伴ってリアルに感じられ、いずれそのことを受け入れなくちゃいけないんだ・・・と、腹をくくりました。

別の惑星で、3次元の人生をまた経験するために、近々肉体を脱ぎ捨てる予定の方も大勢いるのでは、と思います。それについて、他人がとやかく言うのは余計なお世話なのです。5次元に行くことが偉いとか、すぐれているとか、レベルが高いとか、ではなく、選択肢の一つにすぎないのです。

 

 

 

さまざまな文化的神話のなかで、なくしたほうがいい神話がひとつあるとしたら、何か魔法のような要因によって、自分たちはほかの人間よりすぐれているという考え方だろうね。自分たちのほうが民族としてすぐれている、すぐれた信仰をもっている、すぐれた国だ、すぐれた政治システムをもっている、すぐれた方法、すぐれた道をとっている、ということだ。

いいかね。あなたがたの文化にこうした考え方を捨てさせられたら、その日に世界を変えられるよ。「よりすぐれている」というのは、いちばん危険な言葉だ。それより危険なのは、「正しい」という言葉だけだ。この二つはつながりがある。自分のほうがすぐれているから、自分が正しいと考えるのだからね。

だが、わたしはどの民族もどの文化圏も選民だと言ったことはないし、わたしに通じるひとつの道こそ真の道だと言ったこともない。どの国、どの宗教にも特別の好意をもってはいないし、ひとつの性や人種を他よりすぐれていると言ったこともない。

(中略)

すべての聖職者や僧侶、ラビ、教師、導師、マスター、大統領、首相、王、女王、指導者、国、政党にわたしは世界を癒すたったひとつの言葉を発しなさいと呼びかける。

わたしたちの道がすぐれているのではなく、これもひとつの道にすぎない。

サンマーク出版:「神との友情 下」より)

 

 

 

覚醒し、様々なことが明確に見えるようになってくると、他のひとにも気づいてほしい、という、一見親切心から、こうした方がいい、ああすべきだ、とアドバイスをしたくなります。ましてや、コロナワクチンについて、となると、「危険極まりない、絶対打たない方がいいシロモノ」という断固とした譲れない確信があり、100%自分は正しいと思ってしまいます・・・よね。

確かにコロナワクチンが人体に危険なのは事実かもしれません。けれど、それを打つことは間違っていて、打たないことは正しい、という主張を周囲に押しつけるのは、もしかして一方的な決めつけなのかもしれません。

というのも、わたしたちがこの世に生きる真の目的とは、単純に”健康で長生きするため”だけではないのです。神の一部である魂が、互いにさまざまな役目を演じながら、ありとあらゆる感情を味わい、経験し、より完全なる愛へと成長しつづけることを、あらかじめ事前に計画してきているのです。そこには犠牲者も加害者もなく、正しいも間違っているもありません。

魂のレベルでは互いに了承を得た上での計画なのです。

コロナワクチンを打ってしまったことにより、健康を損なうこともあるかもしれないし、死亡することもあるかもしれませんが、本人にとって、その道こそが、自分の魂の成長と周囲の魂の成長を効果的に促す行為だとして、事前に計画をしてきたのかもしれないのです。

「じゃあ、目の前で大切な人がむざむざワクチンを打つのを黙って見ていろというのか!」と言えば、そうではなくて、「自分はこういった理由でワクチンは打たない。大切なあなたにその情報を伝えるので、よく考えて決めてほしい。」と真剣に伝えればよいと思います。

私は実際身内にこのように伝えてみましたが、結果は撃沈です。でも、仕方ないと思っています。ワクチンを打つことが、そのひとにとっての「道」なのです。自分の歩む道こそが正しい唯一の道なのだ、というのは、驕り高ぶった考えなのではないでしょうか。

 

自分の意見を聞かない輩に対し、腹を立てたり、見下したり、見捨てたり、批判したりするのではなく、「それもあなたの道ですね」と尊重する。もし、あとになって、その人が傷ついて助けを求めてきたりしたら、突き放すのではなく、大らかな愛で思いやり、対応してあげる、懐の深さをもちたいと、真に思います。

だってその人と私はつながっており、「一体」なのですから、目の前の相手を癒すことは、ほかならぬ自分を癒すことになるのです。

 

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ