ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”目覚めていることに目覚めて、そのように行動する人間”の指標

 

 自分が目覚めていることに目覚めたように行動することを選ぶなら、あなたがたがすることがいくつかある。

(中略)

 あなたがたは心のなかでネガティブな考えを弄ぶことはしないだろう。ネガティブな考えが心に忍び込んで来たら、ただちに追い出すだろう。意図して、何か別のことを考えるだろう。それについて、シンプルに「心変わり」するだろう。

 また、自分自身をありのままで充分に愛するだろう。そして、ほかの誰でも、そのありのままで完全に愛するだろう。それから生命/人生を、そのありのままで充分に愛するだろう。そこでは何も変える必要がないし、すべては自分が知って、「ほんとうの自分」を明示する文脈的な場を創造するために、自分が通過し経験しているのだ、とわかったうえでね。

 赦しは必要ないし、自分が目覚めていることに目覚めている人間にとって自然でもないと知って、二度と誰も赦すことはないだろう。赦しが必要だという考えを抱くことは傷つけられたと考えることであり、目覚めた人間であるあなたがたは、「神性」──それがあなたがただ──の経験のなかでは傷つくことは不可能だと気づくだろう。したがってほかの人たちとの交流のなかで赦しを理解に代えるだろうし、真の性質を捨ててそんな行動をするほどに強いレベルで感じているに違いない他者の苦痛や怒り、悲しみに充分気づく経験をするので、それは自然にほかのひとびとへの思いやりにつながるだろう。

 さらにまた、目覚めた者として、あなたは誰かの死を一瞬たりとも嘆き悲しまないだろう。あなたがたは喪失を嘆くかもしれないが、彼らの死を嘆くことはないだろう──そうではなくて、彼らが他者と分かち合った愛と喜びのときを、そして彼らが自分の進化のプロセスの自由ですばらしい表現のなかで生き続ける事実を称えるだろう。同じく、あなたがたは全く同じ理由で、自分自身の死も恐れないし、嘆き悲しまないだろう。

 最後に、あなたがたはすべてが振動するエネルギーであることに目覚めるだろう。すべてだよ。だから、あなたがたは食べるものすべて、身につけるものすべて、見たり読んだり聞いたりするものすべて、そして一番大事なこととして、考え、言い、行動するすべての波動にもっと注意を払うだろう。

サンマーク出版:「神との対話④」より)

 

上記のことは、決して自分や他人をジャッジするというのではなく、目覚めのどの段階にいるのかの指標にはなりますね。そして、「これはだいぶマスターしているぞ!」というものもあれば、「これは自分はまだまだ・・・だなあ」と思うものもあるかもしれません。

いずれにしろ、すっかり完璧にできるようであれば、もう、キリストやブッダと同じレベル?!で、迷ったり悩んだりすることは一切ないでしょうね~。

地球の5次元へのアセンションに向けて、自分に何ができるのか、ほかのひとの目覚めを促すためにどうしたらいいのか、その問いの答えでもあると思います。

 

中でも、いちばん最初に取り組んだほうがいいと思われるのは(あくまでも個人的意見として)「自分をありのままで充分愛する」ではないでしょうか。

私は、20代なかばから生きる意味が分からなくなって、長年もだえ苦しみ続けてきましたが、

「自分を愛する」より前に、ネガティブ思考を追い出そうとしたり、自分の思考言動を見張って、波動を上げようとして、必死になればなるほど、「うまくできない自分」が露見して、自分を責めて、苛めて、自己肯定感ゼロどころかマイナスにまで落ち込みましたからね~。

結局、こういったスピリチュアル的生き方が上手にできてはじめて、自分は愛する価値がある人間だ、と条件付けしていたのですから、「どこがありのままやねん!」ってことですよね。

 

 つまり、ネガティブ思考を心変わりさせることも、他人や自分を赦す必要がないと思い至ることも、死(小さな数々の喪失含む)に対して嘆き悲しまないことも、波動に注意を払うことも、一瞬でマスターできるわけがないんです。まず最初に、自分がいかに無意識に人生を歩んできたのかに気づいたその日から、目覚めた人間として意識的に生きることを目標に掲げ、「よし!やるぞ!」と意気込んでみたものの・・・・大概は失敗の連続になるわけですよ。(実際には失敗ではなく、成功へのプロセスに過ぎませんが)

そんな時、「ありのままの自分を愛する」ことが特に苦手な性格だったら・・・・。どうなるか、容易に想像できますよね?へこむ、落ち込む、責める、批判する、もう~ネガティブ街道まっしぐらです!

「ありのままの自分を充分に愛する」ことが、真の目覚めの扉を開く第一歩ではないかな、と私は思います。ありのままの自分を充分に愛せれば、他人をありのままで愛することにつながり、生命/人生をありのままで愛することにつながって、

 

そこでは何も変える必要がないし、すべては自分が知って、「ほんとうの自分」を明示する文脈的な場を創造するために、自分が通過し経験しているのだ

 

という気づきに至る──のです。

 

コロナ茶番デミックに対しても、「みんなを気づかせなくちゃ!!目覚めさせなくちゃ!!」と必要性に駆られて焦燥感や正義感から行動するのではなく、

自分が、みんなが、ほんとうの自分を明示するための絶好の機会を共同創造しているのであり、それぞれが「自分はどんな人間だ~!」ということを(目覚めていようがいまいが)創造し、表出している、舞台の1幕にすぎない、と思えてはじめて、「真の目覚め」の入り口に到達できたことになるのでしょう。

 

私は、もう、暗唱できるくらい、「目覚めていることに目覚めているリスト」をしっかり理解していますが、実際の言動でそれを示せているか?と言えば・・・・。10段階で言うと、決して10ではなく、5以上8未満?日によってもばらつきがあるし・・・・。まあ要するに修行中です。

神との対話」の著者、ニールさんも、自分に大変厳しく、おのれの言動はまだまだ目覚めた人間には程遠い、と弱気になるのですが、神様はこう言ってくださっています。

 

 

これらのすべては、あなたがすでに経験してきたことだよ。

(中略)

あなたがたみんなが、こうしたすべてを行ってきたのだよ。どれも、あなたがたの能力を超えたものではない。たったひとつの側面であっても、あなたがたの知力の範囲を超えてはいない。ここで話したことは何ひとつ、知覚ある存在としてのあなたがたの〈マスター〉としてのレベルを超えてはいないのだよ。

 あなたはただ、もっとたびたび、そのようであろうと決意しなければならないだけだ

(中略)

いままでの人生ですでにしてきたことを、これからはもっと頻繁にするというに過ぎない。(引用元:同上)

 

 

いますぐ、目覚め率ゼロから100%になりなさい、などということではないのです。

これまでの人生振り返ってみたら、ちょっとした頭の切り替えでネガティブ思考をポジティブに変えたこともあるし、「わたしだってまだまだ捨てたもんじゃない!」と思えた瞬間もある、失恋してしてがっくりしたけど、嘆き悲しむ自分を短期間で追い払ったこともあるし、もっと体にいいものを食べよう、とジャンクフードを減らし新鮮な野菜をたくさん取るよう頑張っている──などなど、ささやかなことかもしれないけど、目覚めと関係あるなんて思ってもみなかったけど、誰だってチャレンジしたり目標に掲げているような事を、もっと頻繁に、もっとレベルを上げて、取り組んでみてはどうかな?という神様(自分の魂)からの、誘いなのです。

 

今日は、誰が、何が、私の目覚めのレッスンを届けてくれるのかな?とワクワク待ち受けて生きていけたら、怖いもんなし!ですね。

地球上の、全宇宙の、すべてに──本当に感謝です。

 

 

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