ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

娘の忠告より、テレビがいちばん!?

 

実家の母親に荷物を送るので、ついでに、コロナ関係の資料をプリントして一緒に送ろうか?とラインで聞いてみました。

 

私の母は多趣味で、同年代の友達が大勢いますが、先日、ワクチンのことでラインした際に、

母:「周り(の友人)はほとんど受ける。一人で真逆な行動をとっても社会的にいいかどうか迷う。一人では生きていけないし、周りの人たちとの足並みも大切にしたい」

といった内容の返事が来て、私は

「ただの風邪に、障害抱えるかも、死ぬかもしれないワクチンを、”周りと足並みそろえたいから”って理由で打つんかい~ガーン!!!!」と絶句。(母には言いませんがあせる

 

う~む、手ごわい・・・・。

というわけで、いつも、ラインで情報を送っているので、紙ベースのほうが見やすいし、友達にも見せやすいかな、と思って、プリントしたものを送ろうか?と聞いてみたのですが。

母からの返事が

母:「みなさん(母の友達)、混乱するからいりません!

(テレビより)SNSの恐ろしさのほうを皆さん気にするけど。

あなたが心配でしかたありません。」

 

そうきたか・・・!母親世代(70代~80代)は、ネットから取り込んだ情報は信頼できないが、テレビで報道されていることは信ぴょう性がある、という、ゆるがない信念をもっていて、そこを突き崩さないかぎり、洗脳は解けないのだということを、あらためて認識させられたのでし

た。

 

1年前くらいから、母にはいろいろな情報を送っていたのですが、最初のころのほうが聞く耳をもっていた気がします。この頃は、「陰謀論」も有名になってきて?メディアでさんざん警告するものだから、娘が反社会的思想を持っている、ということが心配でならないご様子。

 

なんだかね、真実に気づいている人の親ほど、どっぷり洗脳されているような気がします。なんでだろう?って考えてみたんですが、これは、

 

”批判しない・非難しない・見放さない・理解する・受け入れる・期待しない・無条件に愛する”

 

といったことを、正義感あふれる人たちが、学ぶ(思い出す)ために、”洗脳された親”という役割を演じてくれているのかなあ・・・なんて思ってみたりして。

 

自分もなんですが、「不正を許さない!」みたいな人種って、能天気な人たち、社会問題に無関心で、無頓着、娯楽やゴシップが大好き、みたいな人をちょっと見下しがちなところ、ないですか?反省しなくちゃなんですが。

 

親だけじゃありません、伴侶だったりわが子だったり兄弟だったり。もちろん友達も。

大事な人、特別な人にほど、ワクチンを打ってほしくないから熱心に情報を伝えたりしますが、すんなり、

「そうなんだ!教えてくれてありがとう!爆笑キラキラ」なんて感謝されることは、あまりないのではないでしょうか。胡散臭がられたり、馬鹿にされたり、冷笑されたり・・・・。

 

「せっかくあなたのためを思って伝えているのに!」と憤慨することもできるし

「もうお前のことなんか知ったこっちゃない!ワクチン打ったら俺に近寄るんじゃねえぞ!」と

キレることもできます。

かくいう私もこの1年で、「テレビの報道を信じて疑わない身内」に対しての思い・態度が徐々に変化しました。

 

落胆・疎外感・孤独 → あきらめ・失望・放置 →  受容・感謝・見守り 

 

・・・って感じでしょうか。

 

 

 すべてを受け入れるとは、いま目の前に現れたものにあらがわないことだ。拒否せず、押し戻さず、逃げ出さず、抱きとり、つかみ、自分自身であるかのように愛することだ。それは自分自身なのだから。あなた自身が創造した楽しいものなのだから。楽しまなければべつだが。

楽しまなければ、自分が創造したものを引き受けまいと抵抗することになる。抵抗すれば相手はかえって強くなる。

だから、楽しみ、喜びなさい。もし、現在の状況や条件が変えたいと思うようなものなら、べつの方法で体験することを選択しなさい。外へ現れた姿、外見はまったく変わらないかもしれないが、内なる体験は変えられるし、変わる。あなたの決心しだいだ。

あなたがたはそれを追及しているのだということを、思い出しなさい。外見はどうでもいい。内的な体験だけを考えればいい。外の世界はあるがままでよろしい。こうありたいと思う内的な世界を創造しなさい。それが、この世にいるがこの世のものではない、ということだ。

(中略)

何かを受け入れるとは、それに賛成することではない。賛成しようがしまいが、ただ受け止めるということだ。

サンマーク出版:「神との友情 下」より)

 

 

命にかかわることだし、もしかして周囲に悪影響を及ぼす可能性もありうるワクチンなのだから、必死になって止めたり説得したりするのも当然と言えば当然ですが、こちらが目の色変えて伝えれば伝えるほど、相手は逃げてしまうのです。

淡々と、伝えるだけ伝えて、その効果については期待せず、相手の反応も態度もすべて尊重すること。

いまは、こちらの言うことを信じてはくれなくても、いつか、

「ああ、このことを必死に言っていたんだ!」と気づく日も来るかもしれないし、来ないかもしれない。どちらであっても、

「私はあなたの存在に感謝しています、いつでも、どんなあなたでも、愛しています」と言える自分でありたい──。そう気づかせてくれた、母とのやり取りでした。

 

 

大切なのは、「してもらいたくなかった」と思うことをされた人にも、「してほしい」と思うことをしてくれなかったひとにも、害を与えられてはいないということだ。

いいかな、もういちど言おう。

わたしは天使以外の何ものも、あなたがたに送っていない。みんな、あなたがたが真の自分を思い出すための贈り物、すばらしい贈り物を与えてくれた。あなたも同じだ。この壮大な冒険が終わるとき、そのことがはっきりとわかり、お互いに感謝するだろう。

いいかね。自分の人生を振り返って、すべての瞬間に感謝するときが来る。どんな痛みも、悲しみも、喜びも、祝いごとも、人生のすべての瞬間が宝物になる。人生の筋書きが完璧だったとわかるからだ。織物から離れて見れば、構図の美しさに涙があふれるだろう。

だから、互いに愛しあいなさい。すべてのひとと愛しあいなさい。すべてのひとを愛しなさい。迫害者だと思うひとも、敵だと呪うひとも愛しなさい。

お互いに愛しあい、自分を愛しなさい。神のために頼むから(For God's sake)、自分を愛しなさい。(引用元:同上)

 

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ