ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”なにごとからも、何ものからも離れていないというつもりで行動しなさい”

 

最近、「コロナワクチンを接種した人に近づくだけで、身体に異常が生じる、ワクチン接種者とは一生会えない」──などといった情報がSNSで拡散されています。私自身、この情報が真実なのかどうか判断する材料が乏しく、何とも言えませんが、例えば私の息子がワクチンを打ってしまったとしても──私は息子に会います。自分のなかで、恐怖よりも愛情の方が勝っている、という確固たる自信があるからです。恐怖は恐れているものを引き寄せてしまいます。恐れなければいいのです。私は、そう信じています。

 

ワクチンについてのさまざまな情報は、接種するか否かを決めるうえでの大事な判断材料ですが、その情報が真実なのか嘘なのかは、おのれの感覚だけで見定めるしかありません。

では、ワクチンを打ってしまった人たちは間違っていたのか?ワクチンは絶対に打たない、と断固拒否している人は正しいのか?

単純に、「人生死んでしまったらおしまいだ」、と考えるならばそうなのかもしれませんが、そもそも、「死」など存在しないのです。「正邪」もありません。あるのは、起きていることに対し、どんな自分で在るかを一瞬一瞬再創造している「ひとつ」であり「すべて」である──愛であり、光であり、喜びであり、自由であり、無限の選択肢が与えられている、無数の「わたしたち」なのです。そして、わたしたちが「ひとつ」であるならば、ワクチンを打ってしまった人たちもまた、わたしの一部であるわけです。自分が病気になるからと、ワクチン接種者を非難し、差別する行為は、またしても「分断」を招いてしまうことになります。ワクチンを打って、重い副作用に苦しんでいる人がごまんといるのなら、その人たちを「自業自得だ」と切り捨てるより、愛と癒しを送ってあげることが、地球の光をさらに強く輝かせることになるのではないでしょうか。

 

 

よく聞きなさい。真実を知りなさい。そうすれば自由になれる。分離などない。お互いからも、神からも、何ものからも、ばらばらに離れてはいないのだ。この真実を、わたしは、何度も、何度も語る。

なにごとからも、何ものからも離れていないというつもりで行動しなさい。そうすれば、明日にも世界を癒すことができる。これが、あらゆる時を通じて最も偉大な秘密だ。人間が何千年も探し求めてきた答えだ。人間が苦労して求めつづけた解決策、祈りつづけた啓示だ。(サンマーク出版:「神との対話③」より)

 

 

なんだか最近すっかり楽観的になってしまって、ひとりでに顔がにやけてくるし、外出してマスクを着けている人たちを見ても、以前のように「あ~あ、まだこんなに洗脳されている人がいるのか・・・がっくりショック汗」などとは思わなくなり、「一人ひとり、いろんな思惑があってマスクを着けているのだろうなあ・・・。この暑いのに(沖縄ですから)大変だなあ・・・。みんな、熱中症にならないようにね。」と一歩下がっておおらかな目で見られるようになって、そのせいでしょうか?今日買い物に出かけた先で、2度も見知らぬ人に話しかけられました。別に私がマスクを着けていないことに対してのクレームとかそんなんではなくて、ささやかな、たわいもないことなんですけど、マスクを着けて表情が読めないひとよりも、ノーマスクの私が話しかけやすかったからなのでしょうか?

なんにしても、何だか2度ともほっこりする話題で、すっかり嬉しくなってしまったのでした。

 

「この世を変える!」とか「洗脳を解く!」とか、気負い満々だと、そこに悲壮感も漂ってしまいがちで、なかなかうまくいかないのかもしれません。

やっぱりなによりも、自分自身が楽しく、喜びに満ち溢れた状態であり、善だろうが悪だろうが、闇だろうが光だろうが、すべてに対し感謝の意をもっていると、気負いも取れ、こんなコロナ渦の毎日が光り輝いてくる・・・。そんな感じです。

 

 

準備ができたとき、あなたははっきりと目覚める。微笑みがそこへ連れて行ってくれる。

シンプルな微笑みだ。一瞬、すべてを止めて、ただ微笑む。何かに向かって微笑むのではない。ただ、良い気分だから微笑む。心が秘密を知っているから微笑む。魂が秘密を知っているから微笑む。そのために微笑む。たくさん微笑む。その微笑みが、どんな痛みも癒してくれる。(引用元:同上)

 

 

昔は、このくだりを読んでもさっぱり意味が分かりませんでした。最近、ちょっと、「もしかして今の自分、こんな感じかな?」と思うことがたびたびあります。

ほんとうに、ほんとうに、すべてに感謝です。

 

お読みくださりありがとうございます。照れドキドキ