ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”喜びがすべてを可能にする。喜びがなければ何もありえない”

 

ひとは、神は全然ユーモラスではなく、笑わず、誰もが神の前では敬虔でなければいけないと思い込んでいる。もう少し気軽になってもらいたいものだ。あなたがた全員にだよ。自分を笑いとばしなさい。誰かが「自分を笑えるようになったら、おとなだ」と言ったことがある。自分のことをあまり深刻に考えないことだ。気楽にしなさい。自分もだし、ひとにもそうさせてやりなさい。(サンマーク出版:「神との友情 下」より)

 

 

今、こんな時代だからこそ、この神様の言葉を実践したいと思います。現メディアの崩壊がなかなか起きず、洗脳が解けない人がまだまだたくさんいる日本で、圧倒的に少数派の「気づいた人」として生きることは容易いことではないし、孤独に陥りがちでもあるでしょうが、悲壮な気持ちで毎日を過ごしていたら、闇に加担するだけとなってしまいます。

今のこの状況を、笑いとばし、ユーモアに変え、楽しむくらいの余裕を持ちたいものです。

 

 

神の五つの姿勢について知りたいのだね?第一の姿勢からいこうか。

──「全面的な喜びにひたされていること」

それが第一の姿勢だ。気づいたかな?わたしは、喜びを第一にあげたのだよ。

(中略)

喜びがすべてに先立つということだ。喜びがすべてを可能にする。喜びがなければ何もありえない。多少のユーモアがなければ、人生には意味がないと言っているのだよ。

笑いは最高の薬だ。喜びは魂に良い。

それだけではない。喜びは魂だ。魂は、あなたが喜びと呼ぶものだ。

純粋な喜び。限りない喜び。濁りのない、限度も制約もない喜び──それが魂だ。

微笑みは、魂への窓。笑いは、扉だ。(引用元:同上)

 

 

たとえ、「気づいた人」として生きているのであっても、毎日が、周囲への怒り、いらだち、自分は知っているという優越感、分断の意識、焦燥感、闇側への憎しみ・蔑み等々の感情で、いっぱいだったとしたら・・・・。

そこに”愛”はあるでしょうか。

 

と、偉そうにのたまってる私も、ずっとずっと「全面的な喜び」から遠ざかって生きてきました。

世界がこんな有様なのに、全面的な喜びにひたって生きるなんて不可能だ!と何十年も思っていたのです。それは、自分を無条件で愛していなかったことと、たった一人の人間が、神の姿勢(喜び・受容・祝福・愛・感謝)を生きることにより、周囲が、世界が変わっていくなんて、実感が伴わなくてどうにも信じられなかったのです。

それよりも、一生懸命チラシをつくって配ったり、講演会に参加して知識を増やしたり、啓蒙活動をする方がずっと効果がありそうに見えました。しかし、周囲の無理解や結果になって現れないことへの落胆から、鬱になってしまったという暗黒の歴史があります笑い泣き

 

「喜びがすべてを可能にする。喜びがなければ何もありえない。」

 

何という力強い言葉でしょうか。喜びなくしては、何もかもが色あせてしまうのです。

 

 

でも、どうすれば心に喜びをいだいていられるのですか?喜びがなかったら、どうしていだいていられますか?

(中略)

 

ほかのひとが喜びを感じるのを、助けてやればいい。

他者のなかにある喜びを引き出せば、自分のなかにある喜びを外に出すことができる。

(中略)

微笑みのような簡単なことでもいいのだよ。

ほめ言葉。愛情に満ちたまなざし。愛の営みのような優雅な方法でも可能だ。

(中略)

感情を分かち合うこと。真実を語ること。怒りをしずめること。批判をやわらげること。耳を傾けること。積極的に語ること。赦そうという決意。手放そうという選択。与えようという努力。受けとろうという、ひろい心。ひとの心の喜びを引き出す方法は何千もある。いや、何千のさらに何千倍もある。(引用元:同上)

 

私は今日、誰かに微笑みかけたでしょうか。誰かの話にじっくり耳を傾けたでしょうか。愛のこもったまなざしで誰かを見つめたでしょうか。

 

でも、誰にも会うことなく一人きりで過ごす日々が続いたら?不要不急の外出はするなとお達しが出ているなかで、家に籠って暮らしていたら、誰を喜ばせることができるでしょうか。

もちろん、電話やメール、ラインなどで、離れている友人や身内に連絡を取ってみることもできます。でも、自分の周りはコロナ脳の人ばかりで、すっかり話が合わなくなってしまった──なんてこともありますよね。

孤独で虚無感を感じているさなかに、「喜びをいだけ」と言われても・・・。

 

わたしを抱きとりなさい。毎日数分、わたしという経験を抱きとりなさい。その必要がないとき、状況がそれを求めていないときに、実行しなさい。そんな時間がないとすら思うときに、実行しなさい。孤独を感じていないときに、実行しなさい。

そうすれば、「ひとりぼっち」のときでも、ひとりではないことがわかるだろう。

1日1回、わたしとの聖なるつながりに加わることを習慣にしなさい。

(中略)

ほんとうに神を抱きとり、聖なるつながりをつくれば、二度と失いたくないと思うだろう。かつてなかったほどの大きな喜びを感じるからだ。その喜びがわたしであり、その喜びがあなただ。

(中略)

自分はひとりぼっちだと想像したときは、わたしのもとへ来なさい。

魂の奥底で、わたしのもとへ来なさい。

心からわたしに話しかけなさい。精神で、わたしとつきあいなさい。

わたしはあなたとともにいるし、それがあなたにはわかるだろう。

毎日、わたしと接触していれば、簡単にできるようになる。だがそうでなくてもだいじょうぶだ。

あなたが呼んだ瞬間に、わたしは、あなたとともにいる。それがわたしの約束だから。あなたがわたしの名を呼ぶ前ですら、わたしはともにいる。(引用元:同上)

 

私の場合は、できるだけ1日2回は瞑想をするようにしています。以前はかたちにとらわれて、瞑想アレルギーのようになっていましたが、今は全くの自己流のやりかたで好きなようにやっています。あんまり大仰に考えなくてもいいのです。ネットやテレビなどから離れ、何もせず、何も考えず、ぼーっとする時間を作るだでもいいと思います。

「神との友情 上・下」を読んで、神様って親友のように話しかけて構わない、気さくでユーモアがあって楽しい存在であり、そしてそれは自分でもあるのだ、と知って、何かっていうとすぐ神様に話しかけています。

 

「わたしたちはすべて一体である」、ということを人類が心底思いだし、みんながそれを生きる日が来ることを、ワクワクしながら楽しみにして日々過ごしたいと思います。

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ