ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”愛は手放すが、必要だという思いはしがみつく”

 

人間の基本的な性質は何か?──これがいま人類の前におかれている最も重要な問題だ。人類は本質的に信頼できない邪悪なものだと信じるなら、その見方を支える社会を創り出し、それを正当化する法律を制定し、規則を採用し、規制を実施し、制約を課すだろう。

人類は本質的に信頼できる善良なものだと信じるなら、まったくちがう種類の社会を創り出すだろうし、法律や規則、規制、制約はほとんど必要なくなるだろう。

最初の社会は自由を制限し、第二の社会は自由を与えるだろう。

神が全面的な愛であるのは、全面的に自由だからだ。全面的に自由だということは、全面的な喜びにひたされているということだ。全面的に自由なら、あらゆる喜びに満ちた経験ができる。

自由は神の本質だ。人間の魂の本質でもある。自由度が減少するにつれて、喜びも減っていく。それにつれて、全面的な愛の可能性も低下していく。

サンマーク出版:「神との友情 下」より)

 

私たちの社会は、そもそも法律、規則、規制、制約でがんじがらめです。だというのに、作為的につくられたコロナパンデミック渦では、さらに制約が課され、人目を気にする日本人は、ほとんどの国民が、健康であるのにもかかわらず、常時マスクを着用するという異常事態となっています。私は田舎に住んでいて、自宅に籠って暮らしていますので、都会の状況があまりよくわからないのですが、先日関東在住の方に聞いた話によると、都会ではみな猜疑心の塊で、電車内など常にぎすぎすした空気が漂い、非常に居心地が悪い、とのこと。沖縄は車社会なので、満員電車の通勤地獄はあったとしても南部のモノレールだけ?で、自家用車のなかでは比較的「自由」です。しかし、先日会った人は「周りから非常識と思われるのが嫌なので、自家用車内でもマスクを着けている」と話していました。ここにあるのは、コロナウイルス感染に対する予防でもなんでもなく、「他人からのバッシングを受けるかもしれない」という不安・恐怖です。周囲からの評価を気にして1日を過ごしていれば、そこに喜びや解放感はなく、あるのはストレスばかりになってしまうでしょう。

 

まだ(子供が)未熟な場合には、いちばん早く成熟に導く方法は、できるだけ早くから自分で選択する自由を与えることだ。それが愛だ。愛は手放す。だが、あなたがたがよく愛と混同する、必要だという思いは反対だ。必要だと思うとしがみつく。それが愛と必要だという言う思いを見分ける方法だよ。

愛は手放すが、必要だという思いはしがみつく。(引用元:同上)

 

日本の教育現場の教えも、困ったことに、「人様に迷惑をかけてはいけません」「団体行動を守りましょう」「先生の言うことには素直に従いましょう」「給食は残してはいけません」・・・・・挙句の果てに、下着の色まで統一させる学校もあったり、ヘアスタイルは短髪かおさげ等、直毛黒髪が絶対、天然カールや栗毛だと、学校に生まれつきのものだという証明書を提出しなくてはならないだのなんだの・・・本当に異常です。子供が自分で選択する自由は、家庭でも学校でも、ろくに与えられません。

そんな教育を受けて育つと、自然に「長いものに巻かれ」「権力には逆らわず」「目立たない」ように生きることこそ、この世知辛い世の中で生きる術である、と思い込んでしまい、「自分の頭で考える」ことを放棄した人間ができあがってしまうのです。

私自身も、我が子の子育ては、もう一回やり直したいと真剣に思います・・・。後悔しきり、です。

 

期待を手放し、要求を手放し、愛する者に押しつける規則や規制を手放す。制約されていたら、愛されていることにはならない。全面的な愛ではない。

あなただってそうだ。自分を制約して全面的な自由を与えないなら、自分を全面的に愛していることにはならない。(中略)

だが、自分の考えやルール、選択をひとに押しつけてはいけない。ひとが自分とちがう選択をしたからといって、愛を出し惜しみしてはいけない。それどころか、ひとが貧しい選択をしたと思うときこそ、愛を示してやりなさい。

それが優しさというものだ。これより高い表現はない。(引用元:同上)

 

過去の自分のふるまいは、もう過ぎ去ってしまったことなので、反省はするにしても、いつまでも罪悪感に苛まれてはいけません。今、そして未来に向かって自分に出来ることは何か?

一人ひとりが真剣に考え、実践するときに来ています。

まず、自分自身に課した制約を取っ払うこと。自分に過度の期待・要求をしていないか?振り返ってみましょう。そして家族や他人に対しても、自分の理想を押しつけたり、「こうあるべきだ」という価値観の押しつけをしていないか?考えてみましょう。

そして、なにより、今後、デクラス(緊急放送)があった時、パニックにおちいったり自暴自棄になる人が大勢出ることが予想されますが、その際に、

「だからあんなに言ったのに、こちらの言うことを馬鹿にして聞く耳持たなかったあんたたちが悪いんでしょ!自業自得、ざまーみろってんだ」・・・などという態度を取らぬよう、くれぐれも気をつけましょう!ウインク

 

どんなときにも、しっかりと向かいあうこと。しっかりと意識すること、完全にオープンで、正直で、透明であること。心にあふれる愛をしっかりと表現すること。

全面的な愛とは赤裸々で、隠れた問題や動機がいっさいなく、なにごとも隠さないこと。(引用元:同上)

 

全面的な愛の実践を、日々心がけて生きていきたいと思います。

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ