ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”われわれすべてが「ひとつ」なら、あるのはあなただけだろう”

 

あなたが他者に対してすることはすべて、自分に対してしている。なぜなら、あなたと他者は「ひとつ」だから。したがって、他者に対して何かをすれば、自分に対してもすることになる。他者に何かをしてやらなければ、自分にもしてやらないのだ。

他者にとって良いことはあなたにとって良いことだし、他者にとってまずいことはあなたにとってまずいことだ。これがもっとも基本的な真実だ。だが、あなたがたはしじゅう、無視している。
サンマーク出版:「神との対話③」より)

 

自分が正しいと決めつけ、意に反する誰かを、非難したり中傷したり攻撃したりすれば、それは自分に対してしているのと同じことになる──私がそれを感じたのは、自公政権についての批判をツイートしたときでした。身近な人に対しては、意地悪をしたり陰口をたたいたりすると、それが回りまわって自分に返ってくる・・・・と思っていたので、他者を批判するような行為は慎もうと気をつけてきましたが、自公政権に対しての不満が爆発した時は、容赦なく批判する権利が自分にはある、相手が政権なら、個人的に向こうから攻撃されることはないだろうし!と思い、私の気に入らないことばかりする政権の批判をツイートしまくっていたのですが・・・。どういうわけか、気分が晴れないのです。それどころか、すごく嫌な気分になってきて、それ以降、政権批判のツイートはやめてしまいました。

 

さて、他者と関係を結ぶとき、目的はたったひとつしかない。ほんとうの自分とは何者かを決定し、宣言し、創造し、表現し、経験し、最高の姿を実現することだ。(中略)

それが、あなたが身体に宿った目的なのだよ。相対的な世界の物質的な領域でしか、自分を知ることはできない。絶対の領域では、知るという経験は不可能なのだ。

ところで、ほんとうのあなたが自己を愛さない存在だとしたら、そして虐待され、傷つけられ、破壊されるままになる存在だとしたら、そういう経験につながるふるまいをしつづけるだろう。だが、ほんとうは親切で思いやりがあり、心づかいをし、分かち合い、共感と愛にあふれる人間なら、その相手に自分自身もふくめるはずだ。それどころか、まず自分から始めるだろう。自分を第一にするだろう。(引用元:同上)

 

このくだりは、「愛とは受けるよりも与えるもの」ではない、と神様が明言したことから始まっているのですが、とかく、「自分のことは一切顧みずに、他人に奉仕をすることが美徳である」、という認識が、世間では一般的になっています。しかし、神様は「そうだったことは一度もない」と言っているのです。自分を愛する、というと、ナルシストだとか自己チューだとか、なんだか良くない、悪いイメージが付きまといます。おそらく、そういった間違った信念を人類に植え付けることによって、わたしたちを迷路に迷いこませ、人間関係をうまく結ぶことを困難にさせているのでしょうね。

 

人生のすべては、あなたがどんな存在になりたいかで決まる。たとえば、あなたがすべての他者と「ひとつ」になりたいなら、具体的に「ひとつ」であることを体験し、示せるように行動するだろう。そういう考えで行動すれば、結果として他者のためではなく、自分のためにしたのだと感じるだろう。ほんとうの自分として何を求めるにしても、同じことだ。愛があふれる存在になりたいなら、ひとと一緒に愛があふれる行動をするだろう。ひとのためではなく、ひとと一緒に。

この違いに注意しなさい。ニュアンスの違いをくみとりなさい。(中略)

自己に対して誠実で、自己を裏切らなければ、ひとに「与える」ように「見えて」も、実際には「受けとって」いることがわかるだろう。じつは、自己に与えているからだ。

じつは他者に「与える」ことはありえない。理由は簡単で、「他者」というものはないからだよ。われわれすべてが「ひとつ」なら、あるのはあなただけだろう。(引用元:同上)

 

すべての”他者”を自分自身の延長線上として見る──人だけではありません、動物も、植物も、モノも何もかも。

私は、おおざっぱでテキトーなところがあり、モノに対する扱いが乱暴になりがちなので、いつも反省しています。また、以前は害虫を駆除する時、忌々しい気持ちを抱きながら殺虫剤を浴びせかけていましたが、いまは「ごめんね、できたら家に入って来ないで欲しいです」と言いながら駆除しています。(結局は殺生するんですけどあせる

飼い猫たちに対する私の態度も変わりました。あまり可愛いと思えないクセの強いコたち(5匹中2匹)に対して無条件で愛そう!と悔い改めることを決意し、真剣に心から実践したところ、嘘のように猫同士のトラブルが激減したばかりか、可愛くないと思っていた2匹に対しての愛情が自分のなかから泉のようにあふれかえり、自分でもびっくりしてしまいました。「愛情を与える」つもりが、自分のなかの無条件に愛する源泉を発見した喜びで、胸がいっぱいになり、「愛がすべての解決策である」という神様のメッセージは本当だ!と実感しました。

もちろん、私もまだまだ修行中ですから、虫の居所が悪いときとか、体調が悪くて周囲への気遣いができないときもあります。でも、以前は自分に対しても厳しくて、「あ~あ、やっぱりあたしってダメダメじゃん・・・。」とかすぐ落ち込んでたんですが、それはきっぱりやめました。

だって、自分に優しくできない人間が、他者に優しくできるわけがないですからねっ!

 

いまも、そして永遠に、わたしたちは「ひとつ」だ。(引用元:同上)

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ