ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”「必要としない」、それは偉大なる自由だ”

 

内心の平和を見いだせば、あなたがたは「なしでやっていく」ことができるようになる。つまり、あなたがたは外部世界のものを必要としなくなる。「必要としない」、それは偉大なる自由だ。まず、不安から自由になれる。自分にはもてないものがあるという不安だ。それに、特定のものがないと幸せになれない、という不安だ。

第二に、「必要としない」と、怒りからも自由になれる。怒りとは、不安の表現だ。不安に思うことが何もなければ、怒ることもない。欲しいものが得られなくても、あなたは怒らない。なぜなら、欲しいといっても、好みの問題であって、絶対に必要というわけではないからだ。だから、あなたは得られないかもしれないという思いにつきものの不安を感じない。したがって、怒りもない。

誰かがあなたの意に反したことをしたとしても、怒りは感じない。なぜなら、どうしても誰かに何かをさせねばならぬ、あるいはさせてはならぬという必要性を感じないから。だから、怒りも感じない。

あなたは、誰かが不親切でも怒りはしない。なぜなら、親切にされる必要性を感じないからだ。誰かに冷たくされても怒りはしない。なぜなら、愛される必要性を感じないから。誰かがあなたにひどいことをしたり、傷つけようとしたり、損害を与えようとしても、あなたは相手に別のふるまいをさせる必要性を感じないし、自分が傷つけられはしないことを知っている。たとえ誰かがあなたの生命をとろうとしても、あなたは怒りはしない。なぜなら、あなたは死を恐れないから。恐れがなくなれば、ほかのすべてもなくなり、あなたは怒らなくなる。あなたは心のなかで直感的に、自分が創り出したものはすべて再び創り出せることを知っているし──もっと重要なことには──じつはそれがどうでもいいことも知っている。(サンマーク出版神との対話②」より)

 

デクラス(緊急放送)が遅れていることで、やきもきしている人はおおぜいいることと思います。私も、日本にコロナワクチン接種が広がるまでには、デクラスが起き、騙されている人たちも目が覚めるだろう・・・と思っていたのに、気が付けば医療従事者の方々へのワクチン接種は開始されてしまいました。

ここで、「何が何でもコロナワクチンの恐ろしさを知ってもらって、いまだ気づいていない人たちを目覚めさせなくては!」と躍起になることもできますが、私自身は、そこまでしようとは思っていません。以前は、せめて身内だけでも・・・!と煙たがられない程度に情報を伝えていた時期もありましたが、相手の気づきのタイミングと合致しないと、何をどう伝えてもはねつけられるのだ、ということを身をもって知りました。

 

ワクチンを打つ・打たないの選択も、それぞれの自由でそれぞれの人生なのだ、ということです。「一般の人たちが、あまりにも真実を知らずにメディアの情報に騙されているのを看過するわけにはいかない。どんなにののしられようとも、自分は真実を伝え続ける」と、必死になっている方もおられると思いますが、その際は、あくまでもそうすることが真の自分を表現し、創造することにつながるから、という動機づけであることが望ましいでしょう。他人の行動を変えたいからそうする、というのは、いずれ他人への失望や怒り、焦燥感や自暴自棄、燃え尽き症候群といったネガティブな感情へとつながってしまいます。(20年ちかく前にひととおり体験済みでございます笑い泣き

 

「必要性」という幻想から解き放たれると、様々な縛りから解放され、1つの執着を手放すごとに1つの自由を手に入れ、人生がどんどん楽になっていきます。マスクを外し、ワクチンを拒否し、そのことを誰かに言葉で批判され攻撃されても、ニコニコと笑顔で

「アドバイス有難う爆笑」と返すことができれば、相手は言葉を失ってしまうでしょう。

自分がしがみついている「必要性」は何か、点検して、手放せそうなものがあったら、「さようなら」してみませんか。

さしずめ、自分の場合は・・・・。デクラスがあってもなくても、「じつはそれがどうでもいい」と思えることかな?(笑)

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れラブラブ