愛は究極の現実だ。それが唯一であり、すべてだ。愛を感じると言うことは、神を体験することだ。至高の真実のなかでは、存在するすべては愛であり、存在したすべて、これから存在するであろうすべても愛である。絶対の領域に入るとき、あなたがたは愛のなかへ歩み入る。(サンマーク出版:「神との対話①」より)
相対性の領域のなかで、私たちは愛を選び、経験する絶好の環境にいるのです。そこに、愛しかなかったら、愛を選ぶことはできないし、愛がどれだけすばらしい経験なのかを実際に体験することもできません。”愛ではないもの”が存在してくれてやっと、概念でしかなかった”愛”を体験しうることができるのです。
地球に生まれた〈マスター〉たちとは、相対性の世界の秘密を発見したひとたちである。そして、それが現実だと認めなかったひとたちである。要するに〈マスター〉とは、愛だけを選択したひとたちである。あらゆる時に、あらゆる環境で、彼らは愛を選択した。自分たちが殺されても、殺害者を愛した。迫害されても、迫害者を愛した。(中略)
哲学はどうでもいいし、伝統も、宗教もどうでもいい。すべての〈マスター〉は愛だけを選んだのだ。(中略)
宇宙はあらゆる設定を利用して、この真実をあなたがたの前に差し出してきた。歌や物語、詩、踊り、言葉、動き、動く絵つまり映画、そして、本と呼ぶ言葉の集まりを通じて。
その真実は最も高い山頂から声高に叫ばれ、最も低い場所でささやかれてきた。人類のあらゆる経験の回廊に、この真実がこだましている。答えは愛、それが真理だ。
(引用元:同上)
誰かと話をするとき、食事を作るとき、散歩しているとき、ペットに餌をあげるとき、お茶を飲むとき、仕事をしているとき、すべてのときに、私は”愛”でいるだろうか?