ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”あなたがたは完璧だ”

 

いまのままで、あなたがたは完璧なのだよ。

あなたがたが生後1日の生まれたての新生児に、生後一週間の赤子に、生後一か月の嬰児に、1歳の幼児に、美しさと完璧さ以外の何も見ないように、わたしはあなたがたのなかに完璧さしか見ていない。(中略)

あなたが「わが家」へ戻るとき、わたしたちは「完全な一体化」のなかで出会うだろう。そして、わたしが約束したように、あなたがたはすべての生涯を通じて、決して── 一瞬たりとも──わたしなしではいないのだよ。わたしから離れている間もね。

わたしは、いつも何の見返りも求めず、何も必要とせず、何も要求しない純粋さであなたがたを愛してきたように、いまもあなたがたを愛している──あなたがたとわたしは、「永遠にひとつ」であり、その経験こそが、「わたしたちの自己」が望んでいるすべてだから。(サンマーク出版:「神との対話④」より)

 

自己卑下が習慣になってしまうと、せっかくの神様の言葉も、「こんな自分のどこが完璧なのだ」となじりたくなります。私も数年前まではそうでした。神との対話シリーズをどれだけ読み込んでも、自己肯定感はアップせず、どんなに打ち消そうとしても、自己否定の感情がつぎからつぎへとむくむくと湧きあがってくるのでした。

私の自己否定の根本的な原因は、何をするにも、完璧を求めすぎるからだということは以前からわかってはいたのですが、なかなか自分でハードルを下げることができないのです。そして、目標値に届かない自分を責め、落ち込み、自信を失い、自分が嫌いになる・・・のパターンを何十年繰り返してきたことでしょう。けれども、50歳も過ぎて、やっと、ありのままの等身大の自分を素直に認めて愛することができるようになった今、本当に幸せです。特に自己肯定感を上げるために何か策を講じた、っていうわけではないのですが、気が付いたらそうなってました(笑)。

結局、すべての分野において、完璧主義の自分が満足できるような結果は、永久に出せないのだ、と悟りの境地になったから?かもしれません。

「いまのままで完璧」だと、神様が太鼓判を押しているのだったら、完璧主義の私の目的はとうに達成されているともいえるわけでして、しなくてもいい苦労を自分に背負わせていたという、一見、時間を無駄にしたかのような50年ですが、このプロセスがあったからこそ、やっと、ありのままの自分を受容する心境になれたのだと思います。神との対話シリーズも20年読み込んでいましたが、以前は字面だけしかわかっていなかった概念が、この頃バンバンと腑に落ちている感じです。

そう思うと、過去の苦労も、いまの自分につながるための大事な宝物だったのだと納得します。

 

他人を見ると、自分よりすごく上手に人生を渡っているように見えて、ついうらやましくなったりします。けれども、一人ひとり、皆それぞれに異なった苦労・悩み・困難を抱えながら生きているはずです。そして、それぞれが、進化・成長するために最もぴったりな境遇のなかにあり、誰ひとり神様から見放された人などいないのです。起きることも、出会うひとも、すべてが完璧なのです。

 

わたしはあなたを愛している。わたしの愛はつねにあなたのものである。

いまも、そして永遠に。

わたしはいつも(always)あなたとともにいる。

あらゆる道で(all ways)。(「神との対話③」より)

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ