ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

”人間の魂の目的はすべてを経験すること、それによってすべてになりえること”

 

「絶対的な気づき」の瞬間──これはほんとうの自分を完全に知って、体験し、感じる瞬間だが──に達するには、順番に段階を踏まなければならない。

ひとつの生涯がひとつの段階だと考えていい。

どんな魂もひとつの生涯で「絶対的な気づき」に到達することはない。幾多の生涯を通じてたくさんの段階を積み重ね、その結果「完璧な完了」「絶対的な気づき」が生まれるのだよ。どの段階も、その段階固有の課題(アジェンダ)あるいは使命が完了したときに終了する。

この生涯は、あなたが今回この物理的な世界で経験しようとしたことが完了すると終わる。

サンマーク出版:「神へ帰る」より)

 

自分が今まで過去生でどんな生涯を送ってきたのか、知る由もありませんが(3回のヒプノセラピーで一度も前世を垣間見れなかったワタシ・・・笑い泣き)今生で、どの段階まできているのかはわからないものの、できれば3次元での経験は卒業したいと思います。過去も、未来も、そして現在も、ほんとうにたくさんの人たちと関わって、神性のあらゆる側面──を経験し、感じつくしてきたことを考えると、自分と関わりをもったすべてに対して感謝の念こそあれど、恨んだり憎んだりするのは筋違いということになります。私だって、どれほど多くのひとに対して、ひどいことをしたのか想像もつきません。すべては相互に進化・成長するためなのです。

 

魂が求めているこの「わたし」には非常に複雑で、非常にたくさんの層、感覚、面がある。わたしには100万もの側面が、10億もの、一兆もの側面がある。わかるだろうか?冒涜的な面と深い面、小さな面と大きな面、うつろな面と神聖な面、おぞましい面と神々しい面とがある。(中略)

わたしはアルファでありオメガだ。ただの言葉でも、気のきいた概念でもない。それが真実だ。そこで、「わたし」であることを求める魂には、壮大な仕事が待っている。「在り方」の厖大(ぼうだい)なメニューのなかから選ばなければならない。いま、この瞬間も魂はそれをしている。(「神との対話①」より)

 

神の側面は、決して神々しいものだけではなく、善も悪も、愛も不安も、ありとあらゆるすべてを含んでいるのです。その1兆もの側面を体験し、感じることを魂が求めているのだとしたら、この「完璧な完了」「絶対的な気づき」への旅はほんとうに途方もないものです。

 

人間の魂の目的はすべてを経験すること、それによってすべてになりえることだ。

一度も下降したことがなければ、どうして上昇できるだろう?冷たいということを知らなければ、どうして温かくなれるだろう?悪を否定していたら、どうして善になれるだろう?選択肢がなければ魂は何も選べない。魂が偉大さを体験するためには、偉大であるとはどういうことかを知らなければならない。そこで魂は、偉大さは偉大でないところにしか存在しないと気づく。だから、魂は偉大でないものを決して非難しない。それどころか祝福する。そこには自らの一部、別の一部が現れるために必要な一部があるから。

もちろん、魂の使命はわたしたちに偉大さを選ばせること──選ばなかった部分を非難せず、最善の自分を選ぶようにさせることだ。こんな大きな使命を果たすには、いくつもの生涯が必要だ。あなたがたはすぐに批判しようとし、自分が選ばなかったものを祝福しないで、ものごとを「間違っている」とか「悪い」とか「充分ではない」と決めつけたがる。

非難するよりも、もっといけないこともある。自分が選ばなかったものを傷つけようとするのだ。破壊しようとする。自分が賛成できない人間や場所やものごとがあれば、攻撃する。あなたがたの宗教と対立する宗教があれば、間違っていると言う。自分と違う思想があれば、ばかにする。自分と違う考え方があれば、拒否する。だが、それは間違っている。それでは宇宙の半分しか創造できない。残る半分を拒否していたら、自分の側の半分さえ理解できない。(引用元:同上)

 

わたしたちが、神と同じ要素でできているのなら、神の1兆もの側面がわたしたちの中にある、ということになります。つまり、神々しい面も、おぞましい面も、自分の中に存在しているが、それを選ぶか選ばないかは自由意思を与えられており、一人ひとりがどういう自分で在りたいのか、毎秒ごとに選択・創造しているのです。しかし、みんながみんな、神々しい面を選ぼうとすると、誰もそれを体験できないことになってしまいます。神々しいという側面を体験するためには、神々しくない、おぞましい側面が存在する必要があるからです。おぞましい側面であることを選択した魂は、ある意味、嫌われ役、憎まれ役を買って出てくれているのですから、おいしい役どころである、善・愛・光といった偉大さを体験する人生を目指しているのなら、悪役を演じてくれている存在に対して自分はどう感じているのか──を、よくよく振り返ってみることはとても大切なことではないでしょうか。

 

今生で3次元を卒業したいのなら、偉大でないものを決して非難せず、祝福することは、避けて通れない──難しい課題です。そんな究極の愛の姿勢を身につけることが、果たして可能なのでしょうか。

 

あなたがたは、キリストの道を歩くのはむずかしい、ブッダの教えに従うのはむずかしい、クリシュナの明かりを掲げるのはむずかしい、〈マスター〉になるのはむずかしいと言う。ところが、真の自分を受け入れるよりも否定するほうが、はるかにむずかしいのだよ。

あなたがたは善であり、慈悲であり、同情であり、理解だ。あなたがたは平和であり、喜びであり、光だ。あなたがたは赦しであり、忍耐であり、力であり、勇気であり、苦しいときの援助者であり、悲しいときの慰め手であり、傷ついたときの癒し手であり、迷ったときの教師だ。あなたがたは最も深い智恵と真実、最も偉大な平和と愛だ。あなたがたはそういう者なのだ。そして、たまには、自分がそういう者だと気づくことがあった。

これからは、いつも、自分はそういう者だと理解していなさい。(引用元:同上)

 

 

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すべてに感謝照れドキドキ