ガイアとともに5次元へいこう!!

妄想癖の激しいオバちゃんのスピリチュアル探求エッセイ

目覚めた種の基本的な資質⑤

 

目覚めた種の基本的な資質

 

⑤目覚めた種の文明では、人間が「正義」「懲罰」と呼ぶ概念と関連する規範は受け入れられていない。

 

べつの次元から来た高度に進化した存在の文化には、「犯罪と懲罰」などということはない。

誰も「犯罪」を犯さない。なぜなら、誰でも自分たちが「すべてひとつ」であり、ほかの個体に対する攻撃は「自分自身」に対する攻撃だと理解しているから。

だから、あなたが言う「正義」の必要はない。「正義」の概念はもっと深く、あなたがたが「正しい行動」と呼ぶものとして理解されている。(サンマーク出版:「神との対話④」より

 

今の地球上では、「誰も犯罪を犯さない」状況にはありません。いたるところで犯罪が起きているし、それが発覚すれば、罪の重さによって裁かれるのが当たり前の社会です。しかし、その裁きですら、不正があり、金持ちや権力者は何をしても正しく裁かれないという、正義も何もあったもんじゃない世の中にあって、この目覚めた種の基本的な資質⑤は、まだ、レベルが高すぎて地球人には無理なんじゃ・・・?と思えなくもありません。

でも実はそうではないのです。

 

「善と悪」「光と闇」「正義と不義」「愛と不安」「右と左」「男と女」「黒と白」「上と下」「真実と嘘」・・・・。三次元の世界は二元性の世界です。二元性の世界がつくられたなりたちは?というと・・・。

 

神は、愛が存在するためには---そして純粋な愛である自分を知るためには---対象となるものが存在しなければならないことを知っていた。正反対のものが存在する必要があった。そこで、神は偉大なる極---愛の絶対的対極にあるもの、愛ではないあらゆるもの---を創りあげた。それが現在、「不安」と呼ばれるものだ。不安が存在した瞬間、愛もまた、体験しうるものとして存在しはじめた。愛とその対極、この二元性が、人間のさまざまな神話で言われる悪の誕生、アダムの堕落、悪魔の反抗などである。

あなたがたは、純粋な愛を人格化して神と呼び、恐るべき不安や恐怖を人格化して悪魔と呼んだ。地上のある者は、この出来事を中心とした神話を完成させようとして、天使軍と悪の戦士、善の力と悪の力、光と闇の戦いのシナリオを付け加えた。(「神との対話①」より)

 

今、トランプ大統領が矢面に立ち、ディープステートを相手に行っていることを、「光と闇の戦い」「善と悪の戦い」と皆、称しています。しかし、このブログで何度も言っていますが、わたし達が今すべきことは、自分の中にある闇を野放しにせず、見つめて、受け入れて、赦して、愛に昇華させることです。神が、自らの愛を体験するために二元性の世界をつくり、対極である不安を存在させたのだとしたら、闇を批判したり、罵倒したりするのはお門違いであり、言うなれば、自分の身体の一部分がどうしても気に入らないとからと、忌み嫌った挙句に切り取ってしまうようなものです。もう、長いこと、ほんとうに長いこと、人間は愛を体験し、思い出すために、数えきれないほど転生を繰り返し、ようやく今の地点にまでたどり着いたのです。私たちは、単に、いま行われている光と闇の戦いの場の傍観者なのではなく、一人ひとり全員が、自分の中の光と闇に、真摯に向き合う時に来ているのです。

 

確かに、ディープステートたちがしてきた行為は「犯罪」です。彼らはグアンタナモ刑務所に連行され、罰せられることになるのでしょう。私は、ごくフツーの一般庶民ですから、逮捕されることはありませんが、知らず知らずのうちに、彼らの犯行に手を貸していた可能性は無きにしも非ずです。献血や募金を良かれと思ってしていたけれど、日本〇十字社やユ〇セフは闇側、という説もありますし、悪事を働いている企業の実態を知らずに、その会社の商品を購入していたり、テレビの誇大広告にまんまと騙されていたことも否めません。

「知らなかったんだから仕方がない」でいいのでしょうか?闇側がのさばる世界を許してきたのは誰でしょう?全く責任はない、と言いきれるでしょうか?

「わたしたちはすべて一体である」のなら、光も闇も、もとはひとつであり、どちらを体験するのかの選択肢として存在してきたにすぎないのです。闇を批判すれば、自分も批判されることになるのです。

 

あなたがたはここで決断しなくてはならないだろうな。無条件に愛する神を望むのか、それとも審判し、糾弾し、罰する神を望むのか。(「神との対話④」より)

 

私は、断然、無条件に愛する神様がいいです!肉体が滅びてあの世に行ったとき、神様に審判され、糾弾され、罰せられたいですか?いやですよね、そんなの!自分が神の一部分であると信じられるのなら、無条件に愛することも当然できるはずなのです。

 

「正義」とはある行為が行われた後に経験されるものではなく、ある行為をすることで経験される。正義とは行為で、ある行為に対する懲罰ではない。(引用元:同上)

 

今までの地球では、「正義」とは悪事の後に行われるのが主流でした。今、トランプ大統領が行っているのもそうですし、「倍返し」のセリフが有名になった某ドラマも、そうですよね。悪人が悪事を働き、それをただす正義のヒーローが登場、悪人をやっつけてめでたしめでたし。

しかし、もうそのパターンは終わりにしなければならないのです。人類が一人残らず、正しくあろうと決意し、それを生きることによって。

 

 

でも、そんなことが可能でしょうか?誰もが正しく行為する日なんて、来るのでしょうか?

 

誰もが目覚めたときには、そうなる。

 

誰もが目覚めることがあるんでしょうか?

 

あなたがたは、いまそれを決断しようとしている。(引用元:同上)

 

 

さあ、いまが決断の時です!

 

お読みくださりありがとうございます。

すべてに感謝照れドキドキ